ユニコーンが殺されて、ヴォルデモートと思われる人物がその血をすすって生き長らえ、このホグワーツの禁じられた森にいる。にわかに信じ難いことだが、ケンタウルスがそれを仄めかしたというのだから、紛れもない事実なのだろう。それでも、ホグワーツの生活はいつも通りで、何一つ変わったことは起こらない。じわじわと数日が過ぎていって、ついに試験の日がやってきた。
 ただでさえ茹だるような暑さが続いているのに、筆記試験が行われる大教室はことさらに暑かった。今ならゴーストに体をすり抜けられるのも吝かではない。試験用にカンニング防止の魔法がかけられた特別な羽ペンが配られ、どうせなら教室にも涼しくなる魔法か何かをかけてくれればいいのにと密かに不満に思ったのは、きっとフェリシアだけではないはずだ。
 試験には実技もある。フリットウィック先生は、生徒を一人ずつ教室に呼び入れ、パイナップルを机の端から端までタップダンスさせられるかどうかを試験した。マクゴナガル先生の試験は、ねずみを「嗅ぎたばこ入れ」に変えることで、美しい箱は点数が高く、ひげや尻尾が残っている箱は減点された。スネイプの試験は「忘れ薬」の調合だった。スネイプはみんなが作り方を思い出そうと必死になっている時に生徒の後ろに回ってまじまじと監視した。しかし、フェリシアの時は監視の時間が明らかに短く、すぐに別の生徒のところへ行ってしまったので、さすがのフェリシアも不安を覚えた。至っていつも通りの対応ではあるのだが、まさか試験でもこうだとは思わなかったのだ。正当な評価をつけてもらえなかったらどうしよう。嫌っている教科といえど、及第点は欲しい。
 森の事件以来、ハリーはあまりよく眠れていないようで、常に顔色が悪かった。自分がヴォルデモートに殺されるかもしれない──しかも、それはそう遠くない未来に起こるかもしれないというのだから無理もない。加えて試験前の復習にも追われていては、気の休まる暇もないだろう。フェリシアは、石についてもヴォルデモートについてもハリーと比べればずっと楽観視していたし(だってホグワーツにはダンブルドアがいるのだ)、試験勉強もそこまで追い込まれてはいなかったから、ハリーの体調のほうがよほど気にかかった。
 そうしてまたじわじわと時間が過ぎていき、気づけば試験も終わりに差し掛かっていた。
 最後の試験は魔法史だった。「鍋が勝手に中身を掻き混ぜる大鍋」を発明した風変わりな老魔法使いたちについての答案を書き終えれば、すべて終了だ。試験結果が発表される一週間後までは、晴れて自由である。ビンズ先生が羽ペンを置いて答案羊皮紙を巻くように指示をした時、生徒たちは思わず歓声を上げた。
「思ってたよりずーっとやさしかったわ。一六三七年の狼人間の行動綱領とか、熱血漢エルフリックの反乱なんか勉強する必要なかったのね」
 さんさんと陽の射す校庭に、わっと繰り出した生徒の群れに加わって、ハーマイオニーが言った。
「そうだわ、答合わせでもする? 私、さっきの問三の答え、不足なく書ききれたか不安なのだけれど……」
「やめろよ、ハーマイオニー。もう試験は終わったじゃないか。わざわざ思い出させないでくれ……気分が悪くなる」
 ロンがそう言うと、ハーマイオニーは少し不服そうに口を閉じた。
 四人はそのままブラブラと湖まで降りて行き、木陰に寝転んだ。ウィーズリーの双子とリー・ジョーダンが、暖かな浅瀬で日向ぼっこをしている大イカの足を擽っている。偶然振り返った双子のどちらかと目があったので、フェリシアはどちらかわからないまま手を振っておいた。
「もう復習しなくてもいいんだ」
 ロンが草の上に大の字になりながら、嬉しそうに息をついた。
「ハリー、もっと嬉しそうな顔をしろよ。試験でどんなにしくじったって、結果が出るまでまだ一週間もあるんだ。今からあれこれ考えたってしょうがないだろ」
「一体これはどういうことなのかわかればいいのに! ずーっと傷が疼くんだ……今までも時々こういうことはあったけど、こんなに続くのは初めてだ」
「マダム・ポンフリーのところに行ったほうがいいわ」
「僕は病気じゃない。きっと警告なんだ……何か危険が迫っている証拠なんだ」
 ハリーの声は真剣だったが、ロンにはあまり気にかからないらしい。試験疲れとこの暑さとで、冒険心もなかなか沸いてこないようだった。
「ハリー、リラックスしろよ。ハーマイオニーの言うとおりだ。ダンブルドアがいる限り、『石』は無事だよ。スネイプがフラッフィーを突破する方法を見つけたっていう証拠はないし。いっぺん脚を噛み切られそうになったんだから、スネイプがすぐにまた同じことをやるわけないよ。それに、ハグリッドが口を割ってダンブルドアを裏切るなんてあり得ない。そんなことが起こるくらいなら、ネビルはとっくにクィディッチ世界選手権のイングランド代表選手になってるよ」
 ハリーは頷いたが、「何か大変なことを忘れている気がするんだ」
「それって、試験のせいよ」とハーマイオニーが言った。「私も昨日夜中に目を覚まして、変身術のノートのおさらいを始めたのよ。半分ぐらいやったとき、この試験はもう終わってたってことを思い出したの」
「それはハーマイオニーくらいじゃないかな……」フェリシアは小さく呟いた。
「なんだろうね? 忘れてることって」
「うん……」
 ハリーは空を見上げて唸るような返事をした。考えているみたいだ。邪魔をしないようにフェリシアが見守っていると、突然ハリーが立ち上がった。
「どこに行くんだい?」ロンが眠そうに聞いた。
 答えるハリーの顔は真っ青だった。「今、気づいたことがあるんだ。すぐ、ハグリッドに会いに行かなくちゃ」
「どうして?」駆け出したハリーに追いつこうと、息を切らしながらハーマイオニーが聞いた。フェリシアもハリーを追いかける。ハグリッドと聞いて、ハリーの言いたいことがなんとなくわかったような気がした。
「おかしいと思わないか? ハグリッドはドラゴンが欲しくてたまらなかった。でも、いきなり見ず知らずの人間が、たまたまドラゴンの卵をポケットに入れて現れるかい?」
「……そうそうあり得ないよね。ドラゴンの卵なんて簡単に手に入るものじゃないし、ドラゴンの飼育は違法だし……」
「そうなんだよ。それなのに、たまたまドラゴンの卵を持ってうろついている人がいて、たまたまハグリッドと出会ったなんて、話が上手すぎるんだ。どうして今まで気づかなかったんだろう」
「何が言いたいんだい?」とロンが聞いたが、ハリーは答えずにハグリッドの小屋に向かって全力疾走した。するとロンはフェリシアに視線を寄越したが、フェリシアはハリーを追いかけるのが精一杯で答える余裕はなかった。
 ハグリッドは家の外で肘掛け椅子に腰掛け、大きなボウルを前に置いて、豆のさやをむいていた。
「よう。試験は終わったかい。お茶でも飲むか?」
「うん、ありがとう」とロンが言いかけるのを遮ってハリーが言った。「ううん。僕たち急いでるんだ」
「ハグリッド、聞きたいことがあるんだけど。ノーバートを賭けで手に入れた夜のことを覚えているかい。トランプした相手って、どんな人だった?」
「わからんよ」とハグリッドは事も無げに答えた。「マントを着たままだったしな」
 フェリシアは思わず「嘘でしょ」と呟いた。三人は絶句して、ハグリッドを見つめている。ハグリッドはそんな四人の様子を見て、眉をちょっと動かしながら言った。
「そんな珍しいこっちゃない。『ホッグズ・ヘッド』なんてとこにゃ……村のパブだがな、おかしなやつがウヨウヨしてる。もしかしたらドラゴン売人だったかもしれん。そうだろ? 顔も見んかったよ。フードをすっぽりかぶったままだったし」
 珍しいこっちゃないなんて言われても、フェリシアは信じられない思いでいっぱいだった。ハリーもきっと同じような思いだっただろう。ハリーは豆のボウルのそばにへたりこんでしまった。
「ハグリッド。その人とどんな話をしたの? ホグワーツのこと、何か話した?」
「話したかもしれん」ハグリッドは思い出そうとして顔をしかめた。
「うん……わしが何をしているのかって聞いたんで、森番をしているって言ったな……そしたらどんな動物を飼ってるかって聞いてきたんで……それに答えて……そんで、ほんとはずーっとドラゴンが欲しかったって言ったな……それから……あんまり覚えとらん。なにせ次々酒をおごってくれるんで……そうさなあ……」
 ハグリッドの話を聞きながら、フェリシアはどんどん嫌な予感が強まるのを感じていた。フェリシアは知っている。ハリーたちも知っている。ハグリッドは、隠し事がうまくない──
「うん、それからドラゴンの卵を持ってるけどトランプで賭けてもいいってな……でもちゃんと飼えなきゃだめだって、どこにでもくれてやるわけにはいかないって……だから言ってやったよ。フラッフィーに比べりゃ、ドラゴンなんか楽なもんだって……」
「それで、そ、その人はフラッフィーに興味あるみたいだった?」
「そりゃそうだ……三頭犬なんて、たとえホグワーツだって、何匹もいねえだろう? だから俺は言ってやったよ。フラッフィーなんか、なだめ方さえ知ってれば、お茶の子さいさいだって。ちょいと音楽を聞かせればすぐねんねしちまうって……」
 ハグリッドはそこで突然、しまった大変だという顔をした。
「おまえたちには話しちゃいけなかったんだ!」
 フェリシアは言葉も出なかった。
「忘れてくれ! おーい、みんなどこに行くんだ?」
 三人が城へ向かって駆けていく。取り残されたハグリッドとフェリシアは一瞬見つめあった。ハグリッドは何がなんだかわからないという顔をしていて、その顔を見ていたらぽろりと言葉が口をついてでた。
「それ──忘れてくれって、賭けの相手にも言ったの?」
 ハグリッドがどんな反応をしたのかはわからない。確かめる前に、フェリシアは三人を追いかけて走り出していた。
 先を行く三つの背中を追いかけながら、フェリシアは思う。やっぱりハグリッドは、どうしようもなく隠し事に向いていないのだと。

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