三人を追いかけて玄関ホールに駆け込んだフェリシアは、薄暗いホールで息を整えた。全員が深刻な顔をしていて、今誰かがここを通りかかったとしたら、その人は、四人が試験で相当なヘマをやらかしたのだと思うかもしれない。だが、幸いホールには人気がなかった。
「……ハグリッドを酔っぱらわせてしまえば、あとは簡単だったに違いない」
 ハリーの声は大きくはなかったが、広い玄関ホールには大袈裟に響いた。
「ダンブルドアが僕たちの言うことを信じてくれればいいけど。ベインさえ止めなければ、フィレンツェが証言してくれるかもしれない。校長室はどこだろう?」
 残念なことに、四人とも校長室の場所を知らなかった。ホグワーツで生活するようになり、もうすぐ一年目が終わろうとしているが、一度も耳にしたことがなかったし、「校長室はこちら」なんていう案内板さえ見たことがない。
「こうなったら僕たちとしては……」とハリーが言いかけた時、急にホールの向こうから声が響いてきた。
「そこの四人、こんなところで何をしているのです?」
 山のように本を抱えたマクゴナガル先生だった。フェリシアがなんと答えるか考えを巡らせる間に、ハーマイオニーが言った。
「ダンブルドア先生にお目にかかりたいんです」
「ダンブルドア先生にお目にかかる? 理由は?」
 訝しげにマクゴナガル先生が聞き返した。その目は四人の顔を順に見て、最後にフェリシアで止まった──どうしよう? 正直に言うべきだろうか?
「ちょっと秘密なんです」
 果敢にもハリーがそう答えたが、これは明らかに失敗だった。
「ダンブルドア先生は十分前にお出かけになりました」とマクゴナガル先生は冷たく言った。「魔法省から緊急のふくろう便が来て、すぐにロンドンに飛び発たれました」
「先生がいらっしゃらない? この肝心なときに?」
「ポッター。ダンブルドア先生は偉大な魔法使いですから、大変ご多忙でいらっしゃる……」
「でも、重大なことなんです」
「魔法省の件よりあなたの用件の方が重要だというんですか?」
 マクゴナガル先生の声は冷ややかなままだ。もう一言も間違えられない。フェリシアたちはハラハラしながら、ハリーと先生の問答を見守っていた。
「実は……先生……『賢者の石』の件なのですが……」
 ついにハリーが慎重さをかなぐり捨ててそう言うと、さすがにこれは予想外だったのだろう、マクゴナガル先生の手からバラバラと本が落ちた。先生はそれを拾おうともせず、珍しくしどろもどろになった。
「どうしてそれを……?」
「先生、僕の考えでは、いいえ、僕は知ってるんです。スネ……いや、誰かが『石』を盗もうとしています。どうしてもダンブルドア先生にお話ししなくてはならないのです」
 マクゴナガル先生はすぐには何も言わなかった。驚きと疑いの入り交じった目でハリーを見ている。フェリシアが落ちた本を拾い集めていると、先生はやっと口を開いた。
「ダンブルドア先生は、明日お帰りになります。あなたたちがどうしてあの『石』のことを知ったのかわかりませんが、安心なさい。磐石の守りですから、誰も盗むことはできません」
「でも先生……」
「ポッター。二度同じことは言いません。さあ、四人とも外に行きなさい。せっかくのよい天気ですよ……ああ、どうもありがとうトンクス」
 フェリシアから本を受け取ったマクゴナガル先生が背を向けても、四人は動かなかった。やがて先生が声の届かないところまで行ったのを確かめると、「今夜だ」とハリーが口を開いた。
「スネイプが仕掛け扉を破るなら今夜だ。必要なことは全部わかったし、ダンブルドアも追い払ったし。スネイプが手紙を送ったんだ。ダンブルドア先生が顔を出したら、きっと魔法省じゃキョトンとするに違いない」
「でも私たちに何ができるって……」
 突然ハーマイオニーが息をのんだ。三人が急いで振り返ると、スネイプが立っていた。
「やあ、こんにちは」
 いやに愛想よく、スネイプが言う。こんなに不気味な挨拶は今まで見たことがないとフェリシアは思った。
「諸君、こんな日には室内にいるもんじゃない」
「僕たちは……」
「もっと慎重に願いたいものですな。こんなふうにウロウロしているところを人が見たら、何か企んでいるように見えますぞ。グリフィンドールとしては、これ以上減点される余裕はないはずだろう?」
 ハリーは顔を赤らめ、ハーマイオニーもわずかに顔を強ばらせた。渋々四人が外へ出ようとすると、スネイプが呼び止めた。
「ポッター。警告しておく。これ以上夜中にうろついているのを見かけたら、我輩が自ら君を退校処分にするぞ。さあ、もう行きたまえ」
 スネイプは用は済んだとばかりに大股で職員室の方に歩いていく。フェリシアはその後ろ姿をたっぷり三秒睨みつけ、ハリーたちと外へ出た。しかし、四人とも入口の石段のところで足を止めた。ハリーが三人の顔を見つめ、緊迫した口調で囁く。
「よし。こうしよう。誰かがスネイプを見張るんだ……職員室の外で待ち伏せして、スネイプが出てきたら跡をつける。ハーマイオニー、君がやってくれ」
「なんで私なの?」
「当たり前だろう」とロンが言った。
「フリットウィック先生を待ってるふりをすればいいじゃないか」
 ロンはハーマイオニーの声色を真似てみせた。「ああ、フリットウィック先生。私、14bの答えを間違えてしまったみたいで、とっても心配なんですけど……」
「まあ失礼ね。黙んなさい! でも、それならフェリシアでもいいんじゃない?」
「いや、フェリシアは成績は良いけど真面目とはいえないじゃないか。怪しすぎる……イタッ!」
「ああ、ごめん」フェリシアは何気ない顔で、ロンを小突いた腕を引っ込めた。「手が滑っちゃった」
 そうして結局、ハーマイオニーがスネイプを見張ることになった。
 フェリシアは、ハリー、ロンと一緒に四階の廊下の外に待機していることになったのだが、この計画は大失敗だった。フラッフィーを隔離しているドアの前に着いた途端、マクゴナガル先生に見つかったのだ。今度こそは先生の堪忍袋の緒もブツリと切れ、物凄い剣幕で叱られた三人は、大人しく談話室に戻るしかなかった。
 その間、フェリシアはずっと無言だった。何か、腑に落ちないような気がする。しかし、それが何かまではわからない。スネイプが「石」を盗もうとしているということに、まだどこかで納得できていないせいかもしれない。事態が急展開してからというものフェリシアの口数はめっきり少なくなっていたが、それを気遣う余裕がある者はいなかった。
 談話室に戻ると、頼みの綱だったハーマイオニーも戻ってきて、彼女のほうも失敗していたことがわかった。
「スネイプが出てきて、何してるって聞かれたの。フリットウィック先生を待ってるって言ったのよ。そしたらスネイプがフリットウィック先生を呼びに行ったの。だから私、ずっと捕まっちゃってて、今やっと戻ってこれたの。スネイプがどこに行ったかわからないわ」
「じゃあ、もう僕が行くしかない。そうだろう?」とハリーが言った。
 三人はハリーを見つめた。蒼白な顔に緑の目が燃えている。
 その顔を見た瞬間、フェリシアは──自分でも不思議なことに──写真でしか知らないジェームズ・ポッターを思い出した。本当によく似ている。けれど、目だけは違う。リリー・ポッターの目だった。写真の中で、幸せそうに微笑んでいたあの二人が──フェリシアの父親のせいで死んだのかもしれない二人が──いとおしげに見つめていた小さな赤ん坊は、紛れもなく、今目の前にいるハリー・ポッターなのだ。なぜだかこの瞬間、それをはっきりと感じた。
「僕は今夜ここを抜け出す。『石』を何とか先に手に入れる」
「一人で行く気?」フェリシアが静かに尋ねた。
「ああ」
「気は確かか!」
「だめよ! マクゴナガル先生にもスネイプにも言われたでしょ。退校になっちゃうわ!」
「だからなんだって言うんだ?」
 ハリーが叫んだ。
「わからないのかい? もしスネイプが『石』を手に入れたら、ヴォルデモートが戻ってくるんだ。あいつがすべてを征服しようとしていた時、どんな有り様だったか、聞いてるだろう? 退校にされようにも、ホグワーツそのものがなくなってしまうんだ! 減点なんてもう問題じゃない。わからないのかい? グリフィンドールが寮対抗杯を獲得しさえしたら、君たちや家族には手出しをしないとでも思ってるのかい? もし僕が『石』にたどり着く前に見つかってしまったら、そう、退校で僕はダーズリー家に戻り、そこでヴォルデモートがやってくるのをじっと待つしかない。死ぬのが少し遅くなるだけだ。だって僕は絶対に闇の魔法に屈服しないから! 今晩、僕は仕掛け扉を開ける。君たちが何と言おうと僕は行く。いいかい、僕の両親はヴォルデモートに殺されたんだ」
 ハリーはそう言い終えると、三人を睨みつけた。フェリシアは一度口を開きかけたが、何も言わずに再び引き結んだ。一体自分に何が言えるだろう。ハリーの両親の死に、実の父親が荷担していたかもしれないというのに。
 結局三人の中で最初に口を利いたのはハーマイオニーだった。彼女消え入るような声で、「……その通りだわ、ハリー」と言った。
「僕は透明マントを使うよ。マントが戻ってきたのはラッキーだった」
「でも全員入れるかな?」とロンが言った。
「全員って……君たちも行くつもりかい?」
「バカ言うなよ。君だけを行かせると思うのかい?」
「もちろん、そんなことできないわ」とハーマイオニーが威勢よく続ける。「そうよね? フェリシア」
「うん……まだ半人前にもなれていない魔法使いが、一人で何をできるの? って話だよね」フェリシアはぎこちなく笑った。「一緒に行こう。私たちを全員足したら、ギリギリ一人前になるかもしれない。きっと、ちょっとはマシになるよ」
「でも、もしつかまったら、君たちも退校になる」
「それはどうかしら。フリットウィック先生がそっと教えてくれたんだけど、彼の試験で私は百点満点中百十二点だったんですって。これじゃ私を退校にはしないわ」
 ハーマイオニーが決然と言うと、それに対してロンが何か言ったようだったが、フェリシアの耳にはもう届かなかった。
 息が詰まるような心地がしている。ヴォルデモートへの恐怖のせいかもしれない──いや、これは、きっと違う。フェリシアは漠然とそう思った。今夜自分たちがやろうとしていることは、あまりにも危険すぎる。一人前の優秀な魔法使いや魔女でさえ敵わなかった相手に、自ら向かっていこうというのだから。
 だから──確かに恐怖や不安を感じる。だが、それでも、今フェリシアの胸を締めつけるのは全く別の何かだった。
 心を落ち着けるように深呼吸をして目を閉じると、瞼の裏にはハリーが浮かんだ。その蒼白な顔には不釣り合いなほど、緑の両目が強く燃えていた。

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