──あのハリー・ポッターが、何人かのバカな1年生と一緒に一晩で一五〇点も寮の点を減らしてしまったらしい。
 瞬く間に広がったそんな噂の真相──ノーバートをチャーリーの友人に引き渡したあと、塔の天辺に透明マントを忘れてきてしまいフィルチに見つかってしまったこと、計画を知ったマルフォイがハリーを捕まえようとうろついていて、それを警告しようとしたネビルも先生に見つかってしまったこと、そうして四人そろって五〇点ずつ減点されたこと──をハーマイオニーから聞かされたフェリシアは、この世の終わりのような顔をした彼女になんと言えばいいかわからなかった。
 なにしろ一夜にしてグリフィンドールは最下位に落ちたのだ。クィディッチで二回もヒーローになり、称賛の的だったハリーは、今や学校一番の嫌われ者になった。グリフィンドールがスリザリンから寮杯を奪うのを期待していたレイブンクローやハッフルパフからの風当たりも強く、みんながハリーを嫌い、大っぴらに悪口を言った。一方で、スリザリンはハリーが通るたびに拍手をし、口笛を吹き、「ポッター、ありがとうよ。借りができたぜ!」と囃し立てたので、ハリーは心底惨めだったに違いない。その思い詰めようは、クィディッチ・チームを辞めさせてほしいと申し出るほどだった(これは、ウッドに突っぱねられたらしい)。
 ハーマイオニーとネビルも苦しんでいた。二人は有名ではなかったおかげでハリーほどの辛い目にはあわなかったが、それでも肩身が狭いのには変わりはない。誰も二人に話しかけようとしなくなり、ハーマイオニーは授業中に手を挙げて注目を集めるのをぴたりとやめた。
 そんな状況で、フェリシアは後ろめさを感じていた。ドラゴンの件についていえばフェリシアだって関係者なのに、あの夜は結局ハーマイオニーが帰ってくる前に眠ってしまったし、代わりのように無関係のネビルが巻き込まれ、辛い目に合っている。
 フェリシアは、ハリーやハーマイオニーにいつも通り接するのはもちろん、授業でペアを組むときは積極的にネビルを誘ったし、談話室や大広間のテーブルで姿を見かけたら必ず声をかけた。中には白い目を向けてくる者もいたが、一切取り合わなかった。
 ロンのほうも、ハリーたちといることについてパーシーに何か言われたらしかった。
「まったく、余計なお世話さ」
 ハリーとハーマイオニーがいないとき、ロンは愚痴っぽく言った。
「そもそも僕らには、入寮してからズーッと点を引かれっぱなしの兄弟がいるんだぜ。あの二人の減点を全部足したら、一五〇点でも足りないかもしれないってのに」
「三年で一五〇点引かれるのと一晩で一五〇点引かれるのとじゃ、間違いなく一晩で一五〇点引かれるほうがとんでもないことではあるけどね」
「それは……そうだけど。今のはそういうことじゃないだろ」
「まあね。余計なお世話っていうのは私も同感」
 フェリシアは先日言われた言葉を思い出して鼻を鳴らした。「これ以上寮の点を減らしたくないなら、友人は選ぶべきだと思うな」──そう言ってきたのは、名前も知らないレイブンクローの男子生徒だった。背格好からして、恐らく上級生だろう。ムッとして適当にあしらったので、顔もろくに思い出せないが、いかにも馬鹿にしたような物言いに気分が悪くなったことだけははっきりと覚えている。
「みんな、早く忘れてくれたらいいのに」



 状況はちっとも変わらないまま、いつの間にか、試験は一週間後にまで迫っていた。
 ここのところの四人は、他の寮生と離れて夜遅くまで勉強している。ハリーもハーマイオニーも、そうやって試験勉強に終われていると幾らか気がまぎれるらしかった。
 その日の午後もそろって図書館にこもっていたが、集中力の切れたハリーが一足先に一人で図書館を出て行った。それから幾ばくもせず、フェリシアが自分の勉強に一区切りつけると、ハーマイオニーがロンの天文学をテストし始めるところだった。難しい顔のロンを横目に、フェリシアは大きく伸びをひとつする。一度集中力が切れてしまうと、急にテーブルの上の本が目についた。参考になりそうな本を何冊か引っ張り出してきたのだが、乱雑に積み上げたせいで今にも崩れそうになっている。
 どうせなら休憩がてら棚に戻して来ようと、フェリシアは両腕いっぱいに本を抱えて立ち上がった。持てない重さではなかったが、決して軽くはない。重さで腕が震えるのを感じながら、うっかり落とさないように注意を払って書棚の間をうろうろしていると、聞き覚えのある声がフェリシアを呼んだ。「──手伝おうか?」ハッフルパフのセドリック・ディゴリーだ。
「半分持つよ」
「じゃあ……お言葉に甘えて」
 フェリシアがそう言うと、セドリックはなに食わぬ顔で半分以上の本を自分の腕に抱えた。「これは向こうの棚だね」
「あ、ありがとう」歩き出したセドリックに、フェリシアは慌ててお礼を言った。
「これくらい気にしないで。それより、調子はどう?」
 セドリックは気遣わしげに表情を曇らせた。フェリシアが噂のハリー・ポッターと仲が良いことを知っているのだろう。嫌味な感じではなかったので、フェリシアは素直に答えた。
「私はまあまあ。周りの目が鬱陶しいってことに目を瞑ればね」
「まあ……みんなスリザリンから寮杯が奪われるのを楽しみにしていたからね……一晩で一五〇点なんていうのも、前代未聞だし。もちろん、だからといって、あんなふうに彼ばかり責めるのはあんまりだと思うけど……」
「そんなふうに言うの、セドリックくらいだよ」
「そうかい?」
「少なくとも、私が知る限りではそう。どの寮の生徒も、ハリーの悪口ばっかりだもの。そりゃあ、深夜に寮を抜け出すなんてこと、褒められるわけがないのはわかってるけど」
「……一度失った信用を取り戻すのは難しいからね」
 本を棚に戻しながら、セドリックが声を低くした(マダム・ピンスがじっとこちらを見ているのに気づいたのだ)。
「でも、彼も反省してるんだろう?」
「……うん」
「時間はかかるかもしれないけど、ほとぼりが冷めれば今よりはマシになるよ。クィディッチでのあの飛びっぷりを見れば、みんなもまた見直してくれるかも」
「……うん、そうだよね」
「きっと大丈夫だよ」
 実際には、口にするよりもずっと困難なことのように思えたが、セドリックのような人もいるとわかっただけで、幾らか気が楽になるものである。
 話をしているうちに本をすべて棚に戻し終わり、フェリシアは何度もセドリックにお礼を言った。手伝ってくれたことと、励ましてくれたことについてだ。セドリックは、たいしたことじゃないとはにかんで、友人のところへ戻っていった。
 フェリシアがハーマイオニーたちのところへ戻ると、なぜか少し前に図書館を出ていったはずのハリーがいて、フェリシアの姿を見るなり目配せした。何かあったに違いない。面倒なことじゃありませんように──フェリシアは誰にともなく祈りながらハリーの隣に座った。
「どうしたの?」
「話したいことがあって、君が来るのを待ってたんだ……クィレルが降参した」
 ハーマイオニーがハッと息を呑む。フェリシアは眉を寄せて、ハリーを見つめた。
「何があったの?」
「僕、聞いたんだ。空き教室からクィレルの声がして、『ダメです、もうどうぞお許しを』って──たぶんスネイプに脅されてたんだ──最後には『わかりました』って言った。教室から出てくるのを見たけど、今にも泣き出しそうだった」
「スネイプはなんて?」
「いや、スネイプの声は聞こえなかった。クィレルがいなくなったあと、教室を覗いてみたけど、反対側のドアから出ていったみたいでもう誰もいなかった」
「……それなら」フェリシアはハリーを見つめたままゆっくりと言った。「会話の相手が本当にスネイプだったのかはわからないんじゃない」
「スネイプに決まってるさ」すかさずロンが噛みついた。「ほかに一体誰がいる? 誰がなんの目的でクィレルを脅すっていうんだ?」
「それは──ううん、そもそもスネイプは本当に賢者の石を狙ってるの?」
 フェリシアが言うと、ロンが露骨に嫌そうな顔をした。
「今更何を言ってるんだい? スネイプはフラッフィーを出し抜こうとして失敗してるし、前にもクィレルを脅してる。決定的じゃないか!」
「でも……」
「ねえ、フェリシア、スネイプが箒に呪いをかけたせいで、ハリーが危険な目にあったのを忘れたの? 確かにあの人は教師だけど、残念なことに善人じゃないのよ」
 ハーマイオニーまでもがフェリシアを嗜めにかかったので、フェリシアは大人しく口をつぐんだ。納得したわけではない。ただ、スネイプが賢者の石を狙っているというのが三人にとって共通のゆるぎない見解であることはよく知っていたし、フェリシアはそれを覆せるような証拠を何一つ持っていなかった。大嫌いなスネイプのことを庇う理由だって一つもない。
 証拠も理由もないなら、スネイプなんかのために、フェリシアが三人と言い争う必要はまったくないのだ。 
「クィレルがスネイプに『闇の魔術の防衛術』を破る方法を教えたとすれば……」
「でもまだフラッフィーがいるわ」
「もしかしたら、スネイプはハグリッドに聞かなくてもフラッフィーを突破する方法を見つけたかもしれないな」
 周りにある何千冊という本を見上げながら、ロンが言った。
「これだけの本がありゃ、どっかに三頭犬を突破する方法だって書いてあるよ。どうする? ハリー」
 ロンの目は冒険心に燃え上がっている。しかし、ハリーよりも素早くハーマイオニーが答えた。
「ダンブルドアのところへ行くの。ズーッと前からそうしなくちゃいけなかったのよ。自分たちだけでどうにかしようとしたら、今度こそ退学になるわよ」
「だけど、証拠はなんにもないんだ!」ハリーが言った。「クィレルは怖気づいて、僕たちを助けてはくれない。スネイプは、ハロウィーンの時トロールがどうやって入ってきたのか知らないって言い張るだろうし、あの時四階になんて行かなかったってスネイプが言えばそれでおしまいさ……」
 三人が真剣に話しているのに、フェリシアはどこか冷めたような気持ちでそれを聞いていた。本当にスネイプが石を狙っているんだろうか。もしそうなのだとして、クィレルがダンブルドアに何も言わないのはやっぱり不自然じゃないか?
「……みんなどっちの言うことを信じると思う? 僕たちがスネイプを嫌ってるってことは誰だって知っているし、ダンブルドアだって僕たちがスネイプをクビにするために作り話をしてると思うだろう。フィルチはどんなことがあっても、僕たちを助けたりしないよ。スネイプとベッタリの仲だし、生徒が追い出されて少なくなればなるほどいいって思うだろうよ。もう一つおまけに、僕たちは石のこともフラッフィーのことも知らないはずなんだ。これは説明しようがないだろう」
「ちょっとだけ探りを入れてみたらどうかな……」
「だめだ。僕たち、もう十分に探りを入れすぎてる」
 ハリーがきっぱりと言い切って木星の星図を手に取ったので、この話はここで終わりになった。
 フェリシアは、どうしても三人のようには考えられなかった。スネイプなら悪どいことのひとつや二つ、隠れてしているに違いないとは思うのに、自分でも不思議なくらいこの件に関しては腑に落ちない。ここ一年近くシリウス・ブラックの事件について穿った見方ばかりしていたから、そういう変な癖がついてしまったのだろうか……。吐き出しそうになった溜息を飲み込みながらフェリシアが思い出したのは、ハリーの初試合の日に見た、ひどく冷たい表情で呪文を唱えるクィレルの顔だった。

160711
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