ベリルのホワイトデー

◎『ベリルのバレンタイン』『微睡むクリスマス』前提SS
◎2024VD『ひとりとひとりで生きるために』ともたぶん地続き




 異界の風習、バレンタインには、対になる日がある。名をホワイトデー。なんでもそのホワイトデーという日には、バレンタインのお返しをするのだという。
 ベリルがそれを知ったのはホワイトデー当日の朝、すなわち今朝のこと。それまで知らなかったのだから当然何の用意もなかったが、バレンタインに貰った相手にはその日のうちにチョコマフィンでお返ししてあるから、すでに相殺されたようなものだろう、とベリルは勝手に結論づけた。
 そんなベリルの元にも、お返しを持った若者たちが代わる代わるやって来た。
 少しはにかんだアーサーからは、とびきり甘くて口溶けのなめらかなキャラメル。やや緊張気味の賢者からは、しっとりふわふわのマドレーヌ。「実はホワイトデーのお返しで渡すお菓子には、それぞれに意味があって──」と語ってくれた話も、なかなか興味深いものだった。
 ちなみにルチルとミチルからも、バレンタイン当日にもチョコレートを貰ったにもかかわらず、「可愛いマフィンのお礼に二人でデコりました!」と可愛らしくデコレーションされたカップケーキを貰った。
 ──こういう場合、こちらも新たにお返しを用意したほうがいいのだろうか? 本場ではいったいどうしているのか、賢者には聞きそびれてしまった。お返しのお返しにさらにお返しをしたら、わけがわからなくなりそうなものだが──。
 閑話休題。 
 ベリルがバレンタインに作ったチョコマフィンは、ブラッドリーの腹の中にもきっちり収まったわけだけれど、お返しなどははなから期待していなかった。贈り物というにはあまりに飾り気がなかったし、ブラッドリーからしてみれば、「贈られた」というよりも「奪った」という感覚に近いはずだ。
 そもそも、普段はベリルのほうが何かと貰う側だ。バレンタインが日頃の感謝を伝える風習であるならばあのチョコマフィンはその礼であって、けれどもこれまでにブラッドリーから受け取った宝飾品とチョコマフィンでは、まったく釣り合わない。それくらいのことは、計算のできない子どもにもわかる。
 だから、つまり、ブラッドリーはバレンタインのお返しを用意する必要がない。
 そのはずなのに。

「これは?」
「なんだ、言わなきゃわからねえか? バレンタインのお返しってやつさ」
「……どう考えてもお釣りが出る」

 ブラッドリーから渡されたものは香水だった。お菓子じゃ、ない。賢者いわく「バレンタインのお返しは、必ずしもお菓子というわけではないんですよ」ということだったから、こういうお返しも確かにアリなのだろうが、あの日ベリルが思いつきで作ったマフィンよりも、間違いなくはるかに高価だ。釣り合わないにも程がある。
 しかしブラッドリーは、困惑するベリルをあっさり笑い飛ばした。

「受け取っておけよ。てめえ好みだと思うぜ」
「私の香水の好みなんて知らないでしょ」
「知らなくてもわかるさ。てめえが気に入った香りと嫌がった香りは、だいたい覚えてる」
「……」

 どうやらブラッドリーは、いつの日かの移り香の話をしているようだった。かつてブラッドリーが、ブラッドリーらしからぬ香りを纏ってベリルの家を訪れたときのこと。そういうことは、度々あった。ただ、日によって変わる移り香の中には確かに、苦手な香りも気になる香りもあったように思うが、さすがにそれら一つひとつまでベリルは記憶していない。

「……これ好きとかこれ嫌いとか、そういうの言ったことあったっけ」
「いや? だがあれだけ顔に出てりゃ、言ったようなもんだろ」
「ええ……そんなにわかりやすかった?」
「俺にはな」
「怖」
「なんでだよ」

 ブラッドリーは呆れた顔をしたが、それでもすぐに「てめえは素直なんだかそうじゃねえんだか、よくわからねえよな」と揶揄いまじりの笑みを浮かべる。
「そうでもないと思うけど」とベリルは首を捻った。
 ブラッドリーは大雑把なようでいて、案外周りをよく見ている男だ。だからきっと、ベリルが特別わかりやすいのではなく、ブラッドリーが人よりも察しがいいのだろう。

「まあ、いいや。ありがとう。あんたが選んだものなら、きっと好きだと思う」
「……へえ? なら、手出せ」
「なんで? まさか、まだ何かある?」
「いいから」

 訝しみながら手のひらを上に向けて右手を差し出すと、ブラッドリーにくるりと裏返される。咄嗟に脳裏をよぎったのは、また爪の色について揶揄われるのだろうかということだったが、予想に反してブラッドリーは無言のままだった。
 ブラッドリーは意外なほど優しい手つきでベリルの指に触れる──そうしておもむろに、薬指に華奢な指輪を嵌めた。

「えっ」
「よし。ぴったりだな」
「そ、うみたいだけど……なんで指輪? 盗品?」

 それにしてはサイズがぴったりだし、嵌める指を悩む素振りも見せなかったが、ホワイトデーのお返しには先程香水を貰ったばかりだ。
「それは盗んでねえよ」とベリルの指先を指の腹で撫でるブラッドリーは、やけに満足そうだった。

「ちゃんと、てめえのために用意した指輪だ」
「でも、指輪ならクリスマスにも」
「ありゃ俺のお古だったろ。あれはあれで悪くなかったが、てめえには、ちょうど合うのを贈ってやりたくなった」
「そ、そう……」
「今までやった指輪やら首飾りやらのどれよりも、てめえ好みだろ?」

 思わず言葉に詰まる。追い討ちをかけるようにブラッドリーが、「俺が選んだものなら、好きなんだろ」と笑う。
 ほんの数十秒前の発言を取り消すつもりはないが、そんなふうに繰り返されると、不思議と自分が何か恥ずかしいことを言ってしまったような気がしてくる。しかし、センスのいいブラッドリーがベリルの好きそうなものを選んで、その読みが外れるなんてことはまずあり得ない。それは、否定しようのない事実なのだ。
 狼狽えたことを誤魔化すように、ベリルはブラッドリーの手の中から右手を引き抜いて目の前に翳した。華奢な指輪が控えめに跳ね返す光は、まばたきをしても消えてくれない。

「……あんたも大概、私のこと好きだよね」

 ベリルが苦し紛れにこぼした冗談に、ブラッドリーは目を細めた。

「ああ、そうさ。だから、せいぜい自惚れて、誇れよ」


20240316
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