未だ名も無き花よ


「わーっ! やっぱり似合う!」
「早く着替えたい……」
「なに言ってるの、今着たばかりよ」

 項垂れる私とは対照的に、ピスティはぴょんぴょんと跳ねてはしゃいでいる。手伝ってくれたヤムライハさえ、柔かな微笑みを浮かべて楽しそうに言った。

「とても似合っていると思うわ」

 その言葉に私が唇を噛むと、ヤムライハはクスクスと笑う。その笑顔は随分と綺麗なものだけれども、今の私にはそれさえ恨めしく見えた。
 その原因と呼べるものを挙げるならば、宴のためにピスティが用意したこの衣装である。いつも私が着ているものよりずっと華やかで露出も多いこれは、私の好みとはまるで違っていた。確かに綺麗なものだとは思うけれども、私が着たところで布と仕立屋が可哀想なだけである。熱心なピスティに根負けし、とりあえず着替えたはいいものの、ひどく居たたまれない。いっそこのまま泡のように消えてしまえたらどんなに良いだろう。

「着替えては駄目?」
「駄目だよー。もう時間もないし

 そう言うなり、ピスティは私の手を取った。

「そろそろ行こう! みんながどんな反応をするか楽しみだね!」

 ピスティの声は弾んでいて、私が今まで見た中で最も楽しそうな表情をしている。声どころか足取りも心なしか弾んでいるようだったけれども、私は同意しかねて固く口を引き結んだ。
 手を引かれるまま、重い足を引き摺るようにして部屋を出る。ヤムライハは一度自室に戻るようで、廊下には私とピスティしかいない。ああ、出来るならこのまま永遠に誰とも会いたくない。そう思っていたのに、そういうときに限って誰かと出くわすものらしい。ピスティが「あっ」と呟くのと、相手がこちらに気がついて同じく「あ!」と声を上げるのとは、ほぼ同時のことだった。

「エルハームさん!?」

 シャルルカンが焦ったような表情で駆けてきたけれども、私は口を結んだまま目をそらした。代わりにピスティが「エルハームさんだよ!」と片目を瞑って答える。

「どう? 似合うでしょ!」
「…………お前が見繕ったの?」
「そう!」
「嫁入り前なのになんつー格好させてんだよ!」

 私は一瞬耳を疑った。軟派そうな彼から飛び出してきたにしては、随分と真面目な言葉である。むしろスパルトス様やドラコーン様の方が余程言いそうな言葉だろう。やはり彼は見かけによらず案外真面目らしいと思いながら目線をシャルルカンに戻すと、仄かに顔を赤らめて怒っている。どうやら本気で憤慨しているようだ。
 しかし、対するピスティは全く気にしていない様子で、からかうような笑みを浮かべた。

「うぶだな〜」
「それ以前の問題だろ! そんな……ヘソ出して出歩くなんて……!」
「……臍?」

 はてと首を傾げた。臍がなんだというのだろう。困惑する私をよそにピスティはますます可笑しそうに笑い、シャルルカンは一層顔を赤らめる。

「どういうこと?」
「エリオハプト人はヘソに性的魅力を感じるんだって。よく分からないよねー」

 けらけらと笑いが混じった説明を聞いて、成る程とは思うものの、確かにその感覚は私にもよくわからなかった。国が違えば文化が違うということは分かっていたつもりではあったけれども、これまでその違いに直に触れることなどあまり無かったように思う。
 まだ顔を赤らめて怒っているシャルルカンをピスティはなんでもないようにかわして、私を引っ張っていく。

「あーあ、王様に最初に見せたかったのになぁ」
「私は誰にも見られたくなかったのになあ……」

 ピスティは笑うだけだった。ぼやく私をズルズルと引き摺っていく。私の足は鉛のように重いのに、力一杯引っ張られては動かさざるを得ない。この小さな体のどこにこんな力があったのかと思う程である。

「おや、着替えが終わったんですね」
「あ、 ジャーファルさん!」

 その声に、思わずぎくりと体が強張るのが分かった。おそるおそる見上げると、ジャーファルさんは目を丸くして私を見、もう一度ピスティを見て、全て察したように笑った。

「ピスティ、あまりエルハームさんを困らせないように」
「エルハームさんが恥ずかしがり屋すぎるだけですよー」
「……ピスティ」

 笑顔のまま、しかし厳しさを増した声色に、さすがのピスティも肩を竦めて私の手を離した。それでもへらりと笑い返してみせたあたり、この少女はなかなかの大物である。
 ジャーファルさんはそれをやや呆れたように見たあと、思い出したように口を開いた。

「初めにシンから国民にエルハームさんを紹介しますから、準備が宜しければシンのところへ行って下さい。あとのことはシンに任せておいて大丈夫ですので」

 気をつけていなければ聞き逃してしまいそうな程の小さな声で「恐らく」と付け加えられたような気がしたけれども、聞こえなかったことにした。いくら自由奔放な人であるとはいえ、初めての宴の席で放っておかれたりはしないだろう。

「分かりました。シンは今……」
「部屋にいるはずですよ」
「それじゃ、早く行こうエルさん」

 先程より幾らか控えめに手を引かれ、私はジャーファルさんに礼を行って歩き始めた。後ろからジャーファルさんの涼やかな声が追いかけてきたせいで、シャルルカンとは別の意味で顔を赤らめる羽目になった。

「せっかく良く似合っているんですから、いつものようにしゃんとなさい。そうやって背中を丸めている方が、余程エルハームさんらしくありませんよ」

150722 
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