真珠にはなれない


 宴はもう今夜に迫っていた。歓迎と快気祝いと薬草師任命祝いと、とにかくめでたいと思われる諸々を兼ねているのだと笑った ピスティの弾んだ声を思い出す。
 そのピスティは今いつになく真剣な面持ちで私と向き合っているのだけれども、私は努めて彼女を視界に入れないようにしていた。

「ねえ、エルさん。どうしてこっちを見てくれないの?」
「…………さあね」
「私のこと嫌い?」
「そんなわけないでしょう」
「じゃあどうして?」
「どうしてだと思う?」
「わからないから聞いてるんだよ」
「……わかってるくせに」

 にやりと笑ったのが気配でわかる。ピスティはぴょこぴょこと跳びはねるような動きで無理矢理私の視界の中に飛び込むと、手に持っていたものを私に押しつけた。その表情はやはりまごうことなく笑顔である。

「せめて今日くらいはこーいうの着てお洒落しなくちゃ! 主役なんだから!」
「嫌」
「わがまま言わないのー」
「だって、なんだってこんな……」

 もごもごと口ごもる私とは対照的に、ピスティの笑みはどんどん深くなっていく。まるで踊り子のために仕立てたかのような布地の少ないこの衣装を、私にどうしても着せたいらしい。シンドリアでの宴は見たことさえないので詳しくは知らないけれども、若い女性はたいていこの衣装を身に纏うのだそうだ。ピスティ曰く「シンドリアの伝統だよ!」
 私はその言葉を反芻して考える。何が伝統だ、ここは何かを伝統と呼ぶにはあまりにも歴史が浅い新興国。確かにこうして伝統は創られていくのだろう。……が、この衣装に関しては、シンドバッドの好みに左右され過ぎているように思えてならない。一度そう思ってしまうとどうにも癪で、ただでさえ着たくないのに、尚更着たくなくなった。

「私はね、もっと肌の隠れるものが好きなの。だからこれは着ない」
「なんでそんなこと言うかなあ、勿体無い。肌なんて、見せたところで減るもんじゃないのに」
「そういう問題じゃないんだよ…」

 果して着飾る意味があるのかどうか。聞けば、王や八人将はいつもと変わらぬ服装で参加するらしいし、それなら私だっていつも通りで良いじゃないかと思う。そもそも私に華やかなものが似合うはずもないのだ。無理矢理着せられた挙げ句に市民から見るに堪えないと訴えられても、私には責任の取りようもない。
 「せっかく用意したのに」と言われると罪悪感を覚えないこともなかったけれども、それでもめげずに押し問答を続けていれば、突然ジャーファルさんがやって来た。

「何を騒いでいるんですか」

 そうは言いながら、ピスティの手にあるものを見てすぐに察しがついたらしい。ああと溜息のような声を吐き出した。

「まあ、いかにもエルハームさんの好みではなさそうですよね」
「えーっ、ジャーファルさんまでそんなこと言うんですか!」
「そりゃそうですよ。シンがどれだけ服を贈っても、その大半は箪笥の中にしまい込まれているでしょう」
「ご存知でしたか…」
「着ているところを見たことがありませんから。……ピスティ、それ以上の押しつけはおやめなさい。今日は謝肉宴ではありませんし、エルハームさんは王と共に練り歩いて国民に挨拶をすることになりましたから、もう少し慎ましいものが良いと思います」
「練り歩く?」

 ぎょっとして聞き返すと、ジャーファルさんは涼しい顔で頷いた。

「ええ。国民にしっかり紹介したいそうで」
「そんな話一度も……」
「だから今 伝えに来たんですよ。決まったのはついさっきです。ちゃんと伝えましたからね。きちんと心構えをしておいて下さい」

 そう言い残して去っていく後ろ姿を恨めしく見つめる。ピスティは渋々といった表情を隠しもせず、ぶつぶつ言いながら衣装をたたみ直した。

「着てもらいたかったんだけどなー……あっ!」
「…なに?」

 いきなり叫んだかと思うと、今たたんだばかりの衣装をもう一度広げ、満面の笑みを浮かべる。謎の行動に眉をひそめる私に、ピスティは笑顔のまま言い放った。

「やっぱり今日はこれ着ようよ」
「……は?」
「長いベールを被って──パレオも巻いて──うん、それが良い! 全部見せちゃうより、逆に色っぽいかもね? そうと決まれば早速準備しなきゃ──」
「待って、ついていけない……ってちょっと、ピスティ!?」
「買い物してくる! 待ってて!」

 言うが早いかピスティは窓から飛び出して行った。彼女の特技で鳥を呼び寄せたことは分かっていても、決して低くはないこの窓から突然飛び出していくのにはひやひやさせられる。マスルールならともかくとして、小柄な少女にそれをされては心臓に悪い。
 恐らくそんなことは全く気にしていないであろう後ろ姿は、瞬く間に小さくなっていく。
 ふと、このまま彼女の勢いに流されていては、何か大変なことになってしまうのではないかと思った。万が一そうなれば、頼りになるのはジャーファルさんだけだろう。──いっそ今のうちに隠れてしまおうか──いやいや、無理な話だ。私のために宴をしてくれようというのに、それをすっぽかすなど無礼極まりない。第一、隠れることなど非常に困難である。小さな国だし、鼻の利くマスルールがいるのだから、忽ち見つかってしまうに違いない。
 頭を抱えているうちに、早くもピスティが戻ってきた。手には見るからに上質そうな布がある。にっこり笑ったピスティに、私が返せたのはひきつった笑みだった。

150620 
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