残骸なんて信じてない


side シャルルカン


 エルハームさんの向こうには、倒れ伏す男達の姿があった。あの少女の言葉、そして、落とした杖を拾い上げることも出来ないらしいその様子から、彼女が満身創痍であることは容易に分かる。だというのに、返ってきた言葉は人々を解放を優先しろというものだった。
 そりゃあ確かに、手足を拘束された人々は一刻も早く解放してやりたいし、そうするべきだとも思う。しかし、今優先するべきなのはエルハームさんの保護ではないのか。今にも倒れそうなその背中に言ってやりたかったが、よく見れば人々とエルハームさんの間には両者を分かつ薄い雷の膜が張られていて、駆け寄ったもののそれ以上近づくことが出来ない。
 手放しでの納得は出来ないが仕方ない。一旦離れ、人々の手足を自由にしてやる。枷は簡単に外れないのでもう少し辛抱してもらうことにして、紐で縛られた人から外していった。皆ホッとした顔を浮かべ、声にならない礼を伝えてくる。顔色は悪いが彼らに大きな怪我はないようで、俺もひとまず安堵した。
 しかし、すぐ側で膝をつく音がして顔を上げた。見れば呼吸の荒いエルハームさんが膝をついて、背中を折り曲げ苦しそうに咳き込んでいる。

「おい、大丈夫かよ!?」

 返事はない。というよりも、出来ないのだろう。とても大丈夫とは思えない呼吸音が答えである。
 不意にバチンという音を立てて雷の膜が消えた。それを理解するのとほぼ同時に、エルハームさんの体が完全に地面に崩れ落ちる。

「え…、おい! しっかりしろ!!」

 駆け寄って突っ伏したエルハームさんを仰向けにし、頬を叩いてみるも反応がない。後ろから見たときは気づかなかったが、口元と掌、それから肩に赤黒い血がこびり付いている。そして顔色はぎょっとするほど青ざめ、薄桃色のはずの唇も今は紫色をしていた。怪我はないようで、しかし、それならばこの血は、どうして。
 ただならぬ事態であることは、俺の背中越しに伝わったらしい。誰からともなく悲痛な声が上がった。

「シャルルカン様、どうか、どうかその人を……!」
「私達の恩人なのです!」
「ああ、もちろん助ける。けど、一体何が」
「毒を飲んで……!私達を助けるための、賭けとして、それで……っ」

 サッと血の気が引いた。確かエルハームさんは、毒が効きにくいのだと聞いている。強引に身につけた耐性があると。ところが、毒を飲んだ彼女は目の前で弱り切っている。余程の猛毒なのか、あるいは限界を超える量を摂取したのか──どちらにせよ、一刻を争う事態には違いなかった。早く解毒しなければ、手遅れになる。
 今すぐ王宮に連れて行くべきだ。こうしている間にも、彼女の体内を毒が駆け巡って命を蝕んでいくのである。抱き上げようと手を伸ばしたが、そこでふと気がついた。この人々はどうする。まだ枷の外れていない人もいるし、自力では動けない人も少なからずいる。彼らをここに残していくことは出来ない。途中で置いてきてしまった少女だって、まだそこにいるかは分からなくとも迎えに行ってやらなければならないし、彼ら彼女らにも手当が必要だった。それに、倒れ伏す男達のこともある。今はエルハームさんにやられて倒れているが、いつまた動き出すか分からない。拘束したあとで然るべきところに連行しなければならず、それは俺の仕事だった。
 くそ、どうする。どうすればいい。悩んでいる時間が一番無駄だというのに、そうやって時間を無駄にしていることがもどかしく、歯を食いしばった。誰かあと一人連れてくるべきだったのだ。自分の至らなさを呪う。それさえも時間の無駄である。
 そのとき、重い足音が駆けてくるのに気づいた。振り返ると、俺が置いてきてしまった少女を抱えたマスルールがいる。そうか、こいつもあの稲妻を見たのか。驚く俺をよそに、マスルールは少女を足元におろして動かないエルハームさんに目を留めた。

「先輩」
「あ、ああ、マスルールちょうど良かった。お前、」
「ここのことは任せます」
「は、」

 一瞬でエルハームさんを抱え上げると、地面を蹴る。一カ所しかない出口には目もくれずに上へと飛び上がり、あっという間に見えなくなった。この場の誰もが呆然とそれを見送る。王宮へ向かったのだろう。道なりに駆けていくよりも、ああやって上から直行するほうがずっと早く着くのは間違いないし、ファナリスの脚力ならば尚更だ。今し方マスルールが蹴っていった箇所は、ぽっかりと抉れていた。
 しばしの間呆けてマスルールの後ろ姿が消えた方角を眺めていたが、すぐに我に返って、自分のやらなければならないことをするために動き出す。
人々の自由を奪う枷はやはり外すには時間がかかるので、ひとまず鎖だけ断ち切った。動ける数人が近くにある馬車の残骸のようなものの中から縄を見つけ出してきたので、悪党の拘束に有り難く使わせてもらう。
 奴らは見る限り誰一人として動かなかったから、てっきり全員が意識を失っているものと思っていたのだが、動けずとも意識がある者も何人かいたらしい。大方、エルハームさんの十八番のアレが効いているのだろう。奴らは、身動ぎも出来ずに絶望の目で自身の手足が縛られるのを見ているしかない。奴らのしでかしたことを思えば、同情の余地はなかった。

「シャルルカン様、あの女の人、大丈夫ですか……? 死んじゃったり、しませんよね……?」

 あの少女が、涙を目に溜めて震える声で問う。大丈夫、なのだろうか。それは俺には分からない。毒の知識などあるはずもないし、エルハームさんの体がどこまで毒に耐えられるのかも知らないのだ。ただ、ひどく危険な状態であることだけが確かだった。

「……ありがとな、お前が必死に教えに来てくれたから、手遅れにはならずに済んだ。あとは任せろ」

 大丈夫だ、とは言ってやれなかった。誤魔化して頭を撫でる。不安そうな眼差しが痛かったが、それ以上のことは俺には言えない。
 やがて複数の足音が聞こえてきて、ジャーファルさんが寄越したのだろうか、武官達が袋小路に入ってきた。見知った顔ぶれに、無意識に剣の柄に伸ばしかけていた手を下ろす。

「……ルト、アミン、ラフィークは市民を介抱しろ。なるべく早く王宮に連れて行って手当する。他の奴らはこの悪党を連行だ。自分じゃ動けねえから担ぐなりなんなりして連れて行くぞ」

 動けねえからって油断はするなよ。そう念押ししながら、エルハームさんのことを考える。そんな自分が一番油断しているのかもしれなかったが、どうしても気になって仕方がないのだ。何せあの人は、死ぬためにこの国に来たという。ならば仮にこのまま助からず命を落としたとしても、本望だと言うのだろうか。その方が彼女の為なのだろうか。
 少なくとも、そんなことは我らが王様は許しはしない。そして俺も、このまま死ぬほうが良いなどとは到底思えなかった。

140918 
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