点と点とちぎれた線


side ジャーファル


 何かがあったことには気づいていた。
 地上から空へ走る稲妻は白羊塔の窓からも見え、それが彼女の仕業であろうことは想像がついた。先日見たものと全くの同一であったからだ。シャルルカンが共にいるはずなのに何故、という疑問も浮かんだが、ひとまず数名の武官に現場へ行くように指示を出す。シャルルカンに何かあったときのことを考え、いつでも治療に移れるよう、治癒魔法の得意な魔導士も召集した。
 しかし──まさか、虫の息の彼女が運び込まれてくるとは。
 マスルールがぐったりとして動かない彼女を抱えて飛び込んで来たときには驚いた。いつもとさして変わらぬ表情に見えるマスルールだが、ひどく焦っていることはすぐに分かった。長い付き合いだ、手に取るようにとはいかないまでも彼の表情の微妙な変化くらいは分かる。そして、その腕に抱えられた彼女が一刻を争うような状態であることもすぐに分かった。
いつ事切れてもおかしくない。
血の気のない顔色、浅く今にも止まりそうな呼吸。口元や掌にこびりついた血は、血の鉄臭さの中に妙な匂いを含んでいて、眉を顰めた。これは毒の匂いだ。それも、なかなか珍しい毒の。では、彼女は毒を飲んで? しかし、何故。彼女は毒についてある程度の知識と耐性があったはずだ。死にかける量を気づかずに飲んだとは考えにくい。そもそもなぜこんな毒がこの国にあるのか。彼女が毒を持っていないことは自分の目で確認済みであるから、彼女ではない何者かが所持していたことになる。
 何があったのか、彼女から直接問いただすことが出来れば良いが、ぴくりとも動かない彼女には何も語れない。目が覚めてから訊くにしても、正直、目を覚ますかさえ分からない。運び込まれてすぐに魔導士達による治癒が始まったし、我が国の魔導士は優秀であるが、それは外傷を治す場合の話であって、毒で体の内側をやられた人間を治すとなるとまた話が変わってくる。
 彼女の部屋で、杖を持った魔導士がぐるりと彼女を囲んでいる。淡い光に包まれた彼女の顔色は相変わらず蒼白で、目を凝らしてようやく分かるほど小さく上下する胸の動きだけが、彼女がまだ生きていると証明していた。知らせを受けて駆けつけた王の顔も土気色で、黄金色の双眸がただじっと彼女を見つめている。いつもは強い光を宿しているはずのそれは、今はやけに暗かった。

「なあ。ジャーファル」
「なんですか」
「何があったにせよ、エルなら毒に気づいていただろう。それがどんな毒で、自分がどの程度まで耐えられるのかも……きっと分かるだろうな」
「……そうだと思いますが」

 言いたいことはなんとなくわかった。彼もまた、何故彼女がこんな状態になるまで毒を受け入れたのかを考えているのだ。とすれば、おそらく同じ仮説にいき着いている。
 『彼女は、自ら命を絶つつもりで敢えて毒を飲んだのではないか』
 十分に有り得る話だと、私は思った。何せ死ぬことが目的だと公言していた人間である。それを、本来の目的を誤魔化すための嘘ではないかと疑っていたのは他でもなくこの自分だが、誤魔化すためにここまで死に足を突っ込むのはあまりにも危険な賭けだ。外傷がない以上、たとえば毒を塗った剣で斬りつけられただとか、そういうわけではないのだと分かる。しかし、そうでないなら、彼女が毒を受けること自体に違和感があった。
 王は、浮かんでしまった仮説を否定したいのだろう。今度は窓辺に佇んでいるマスルールに声をかけた。

「何があったのか、知らないか」
「……すんません、俺はあの雷を見て行ってみただけなんで…。エルが倒れていた袋小路に行く途中でそこから逃げてきた子供を拾いましたけど、泣いて話を聞くどころじゃなかったです」
「そうか」
「先輩ならもう少し分かると思うんすけど」

 そして、マスルールは黙り込んだ。王も腕を組んだまま何も言わない。小さな部屋に、重苦しい空気が立ちこめていた。彼女の治癒にあたる魔導士達の表情を見れば、事態は芳しくないことが明白だった。額に汗を浮かべて杖を握り締める彼らは、懸命に彼女を救おうとしている。あとはもう、彼女自身の生命力に賭けるしかない。

「王よ、我々は、出来る限りのことはしました。しかし……これ以上、我々に出来ることはありません」
「……ああ、お前達はよくやってくれた。ありがとう」

 廊下からばたばたと忙しない足音が聞こえ、一人の武官が顔を覗かせた。

「……ルト」

先程現場へ向かわせた者の内の一人である。まだ若く武官になって日の浅い彼は、姿勢をぴしりと正して緊張の面持ちで告げた。

「シャルルカン様から言付けを預かって参りました!」
「シャルルカンから…。どうぞ、続けて下さい」
「奴隷狩りと思しき男六人を拘束、現在地下牢へ連行しています。奴らによって捕らえられた人々は全員解放しましたが、毒による症状か、手足などに麻痺が認められる者が多数おり、至急手当てをして頂きたいとのことです」
「分かりました。その人々は今どこに?」
「はっ、シャルルカン様の指示により現在は赤蟹塔兵舎内の医務室にて保護しております」

 奴隷狩り。近頃相次いでいた失踪事件の真相はこれかと思い当たると同時に、毒という単語にこの部屋の誰もがハッとした。症状こそ違えど、彼女がこの奴隷狩りの相対して毒を受けたのは間違いない。

「ジャーファル様、我々が治癒に」
「……では、頼みます」

 彼女の治癒に当たった魔導士達の申し出に、休む間もなく申し訳ないとは思いつつも肯いて、彼らを送り出す。ルトもその後を追おうとして、しかし、一歩踏み出して足を止め、振り返った。

「ジャーファル様、……あの、その方は、助かるでしょうか」

 予想だにしなかった言葉に目を見開く。彼女のことは王宮内でもごく一部の者にしか明かされていない。彼女は与えられた部屋に籠もりがちでもあったから、ルトは今日初めて彼女を認識したのだとしてもおかしくはなかった。だというのに、それにしては悲痛な表情を浮かべる。沈黙を、ルトは答えと受け取ったらしい。拳を握り締めて、言った。

「…助けられた市民が、体を張って守ってくれた彼女にお礼を言いたいと。果敢に奴隷狩りに立ち向かった彼女を、絶対に助けてくれと……」
「大丈夫だ」
「……王?」
「あいつは、大丈夫だよ。市民にもそう伝えてくれ。彼女が目を覚ましたら必ず会わせよう」

 あいつは大丈夫だ、もう一度王は繰り返した。この場の全員に、そして誰より、自分に言い聞かせるように。

140922 
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