錆び付いていく光


side シャルルカン


 気がついたら、人集りのどこにもエルハームさんの姿が見えなくなっていた。なぜだかすっかりマスルールの恋人を口説いて振られたのだと勘違いしている見物人達に弁解しつつ、きょろきょろと周囲を見渡す。
 シンドリアの魔導士達は専ら研究に明け暮れ、籠もりがちだ。したがって、いかにも魔法使いですというような杖を持った女などそうそう街を歩いているものではなく、彼女の姿は目立つはずだった。ところが見えるのは見物人の好奇の顔ばかりで、彼女らしき人物に全く見当たらない。なおも姿を捜していれば、それさえもからかいの種となって、流石に苛立ちを覚え始めた。
 本当にどこに行ったのだろう、人混みに流されて迷子にでもなったのだろうか。普段であれば──そして、いなくなったのがエルハームさんでなければそんな風に悠長に考えるところだが、現実はそうではない。エルハームさんが姿を消したというただそれだけで、俺にとってもエルハームさんにとってもまずい事態なのだ。
 まだ疑いが晴れていない身であるエルハームさんには、常に監視役が置かれている。これは本人には伏せていることにはなっているものの、あの人ならおそらく気がついているだろう。
今日は俺が監視役だった。つまり現状を端的に言えば、エルハームさんは監視の目をすり抜けて姿を眩ましたということになる。
 それが仮に意図的であったとすると、目的は、真意は、魂胆は。
突き詰めて考えていけば、結論として浮かび上がる可能性はジャーファルさんが危惧している事態そのものだ。エルハームさんの立場は最早危ういなどという生温いものではなく、完全に悪と決めつけられかねない。そして、俺は目を離したという失態を咎められることになるのだ。勿論、エルハームさんが邪な企みのために姿を消したのだとは限らないわけで、例えば何かの事件に巻き込まれた可能性も大いにある。その場合にも俺には目を離した落ち度があり、エルハームさんが怪我をしていようものならその半分は俺の責任だ。王様に顔向け出来ないし、エルハームさんにだって顔向け出来ないような気がした。
 夢の都として名を馳せるシンドリアも、絶対的に平和というわけではない。あくまでも相対的に見て平和ということであって、確かに世界の中ではかなり治安の良い国ではあるのだが、それでも小さな悪は存在する。内で生まれたものにしろ外からやってきたものにしろ、それがシンドリア国内で起きているのであれば、シンドリアでの事件には違いない。
 近頃は失踪事件の報告が相次いでいた。居なくなるのは比較的若い男女を中心に、幼い子供まで。それらの人々に共通点をあげようにも、このシンドリアの国民である以外には明確な繋がりは見つけられず、無差別の拉致が懸念されていたところだった。
 ──まさか。
 嫌な予感がする。
 エルハームさんへの疑いが晴れていないとはいえ、正直なところ俺自身には既にこれといった警戒心はない。それがジャーファルさんの心労を増やしていることには気づいているが、エルハームさんを疑う気にはなれなかった。単に我らが王が信用しているからという理由ではなく、俺なりに考えて出した結論である。もしもいつか、騙されていたのだと落ち込む日が来ても、その時は潔く彼女の手際やそれと見破れなかった完璧な振る舞いに敬意を示してやろうとさえ思っている。それくらい、エルハームさんが何かを企んでいるなどとは考えられないのだ。
 とすると、だ。今居なくなったことも、邪な企みのためではなく──この失踪事件に巻き込まれてしまったのではないかという仮説に結びつく。

「なあ、さっきまで俺と一緒にいた人がどこに行ったか見たやついるか?」
「いいや、見てませんよ」
「そういえばいませんね」
「ああ、そういや、険しい顔で人集りを出ようとしていたのを見た気が…」

 見物人に問いかけてみても、そんな曖昧な情報しか出てこなかった。これだけ近くにいて誰も見ていないなんてどういうことだ。自分のことを棚に上げて苛立ってみても仕方がない。
 エルハームさんが勘違いの塊のような人集りに嫌気がさしてふらりと抜け出したにしても、自身の置かれている立場を分かっているようなあの人が何も言わずにすっかり姿を消してしまうとは思えないし、かといって心当たりも全くなかった。とにかく捜してみて、それでも見つからなければマスルールに匂いを辿ってもらうしかないのだろう。
 なんとか人集りを解散させて、巡回を再開する。途中で見つかるかもしれないと期待しながら歩みを進るも、残念ながらそんな気配は全くなかった。道端では人々が談笑し、子供達が駆け回る。笑顔が溢れる平和な光景。平穏な日常が当たり前にあること、それは誇りでもあった。
 だからこそ、突然の稲光に目を見開いた。世間話に興じていた人々も驚いて空を見上げる。そして首を傾げた。──なぜあの稲妻は、普通のそれとは真逆に、下から上へと走っているのか。そんなもの、自然に発生するはずがない。
 今のはエルハームさんだ。
 俺が知る限り、彼女は街中でむやみに魔法を使うような人ではない。きっと何かのっぴきならぬ事があったのだ。考えるまでもなく、稲妻が見えた方へと足が向いた。無意識のうちに駆け足になり、走り出す。どんどん通りから人気が無くなっていくのが、胸騒ぎに拍車をかけた。一体何があったというのか。ちょうど向こうから、一人の少女が駆けてきた。服は薄汚れていて、今にも転びそうになりながらもつれる足を必死に動かしている。様子がおかしいのは一見して明らかだ。

「シャ…シャルルカン様…!! あの、…あの…!」
「落ち着け、何があった!?」
「ど、奴隷狩り、が……!」

 思わず耳を疑った。ここはシンドリアだ。七海の覇王の治める国だ。この国で、奴隷狩り? ふざけるなよ──腹の奥から込み上げてくる怒りをどうにか抑え、少女の言葉の続きを待つ。

「不思議な、女の人が、助けてくれた、けど、まだ、人が、たくさんいて、」

 少女は言葉も切れ切れに、絞り出すように話した。大きな目は今にも零れ落ちそうな涙を湛えながらも、何かを伝えなければという強い意志を宿している。しかし、それももう限界らしかった。

「……どうしよう、助けてくれた人、死んじゃう…ッ!」

 大粒の涙が堰を切ったように流れ出して、言葉は嗚咽に変わった。
 ──助けてくれた不思議な女の人が、死んでしまう。
 その言葉を理解した瞬間、弾かれたように少女が来たほうへと駆けだした。少女をその場に残してきてしまったことを気懸かりに思うような余裕さえなく、ただ急がなければという一心でひた走る。
 辿り着いたのは薄暗い袋小路だった。力無く横たわる人々がいて、その向こうにエルハームさんの華奢な背中がある。いつもはぴんと伸ばされているそれが、今は力無く崩れ落ちそうに見えた。

「エルハームさん…! っ、これ…!?」

 返事の代わりに、金属が地面とぶつかる硬質な音が響いた。

140918
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