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扉を閉じよう
 

アメリカへ発つ承太郎さんをぼくは初めて本にした。
いつの間にかぼくは自分の欲求や欲望を満たす事よりも彼の幸福を考えるほど、本気で愛してしまっていた。
ぼくはもう今後まともな恋愛を出来なくなるかもしれない。それでも彼の記憶に苛まれて暮らすのも悪くないと思えたが、彼はそうはいかない。ぼくはぼくだけの問題で済むけれど、彼には養うべき妻がいて、正しく愛するべき子供がいる。罪悪感は彼の人生を蝕んでしまうだろう。

そしてぼくは彼の人生を弄くる責任を負う覚悟をして、そっとページを捲った。


「承太郎さん、あいしてる。
だから、さよならだ。」




扉を閉じよう




スタンド攻撃を仕掛けた瞬間ぼくのやろうとする事を理解したのか、制止をかけようと伸ばされた腕はぼくに触れる前にばらばらと崩れて落ちた。倒れそうな大きな体を抱き締め、背中のページをそっと撫でる。本になったって変わらない、多分天然のマリンノートの香り。大好きだった。…大好きだ。何だか泣きそうになってしまって、堪えるために体を離す。この香りが涙に溶けて出て行ってしまいそうで嫌だった。

年齢の割にページ数の多い彼の、比較的新しいページを丁寧に読む。ぼくと出会ってしまった瞬間から一番新しいページまで、ただの知り合い、では片付けられないぼくにまつわる出来事や感情を一つ残らず消さなければならない。少しの違和感もあってはいけないのだ。
会話の内容、その時のぼくの様子、それに対する彼の感情。ぼくの好きな音楽、時間、食べ物、庭に生えた草花の種類。自分でも気付いていなかった癖。髪や肌の感触。
消すときになって初めて、きちんと愛されていたことを知った。この人が口には出さずに考えた事、感じた事は事実として存在する出来事を凌駕する程の文字数で綴られていて、家族に対する罪悪感と入り乱れながらもぼくと離れがたいと、確かに書かれていた。
承太郎さんがぼくに感じた事をぼくも感じたいとは思ったけれどページを破り取るのは止めて、丁寧に塗り潰す。まだ殆ど白紙の一番新しいページにある、ぼくからスタンド攻撃を受けたという事実、そしてその意図に気付きぼくを忘れたくないと思ってくれた事実。それも塗り潰す。

承太郎さんの意識が戻る前に触れるだけのキスをして、これでおしまい。ホテルを出て自宅に戻って、ぼく1人馬鹿みたいに泣きわめけばそれで全てが上手くいく。承太郎さんは罪悪感を持たずに娘さんを抱き締め奥さんを抱いて、世界は少し平和になる。ぼくはきっと10年か20年かして、美しい男と恋に落ちた若い頃の記憶をマンガの中で消化する。
愛し続けるのはぼくだけでいい。この苦痛は承太郎さんの時間を消してしまった責任の重さで、好きになってはいけない人を愛した罰だ。

必死で唇を噛んで、震えと涙を我慢する。玄関までが遠い。





杜王町での一件が片付き帰った自宅で、ヒステリックな妻の罵倒を大人しく受ける。徐倫がよそよそしいのは多分、日々母親が不安定になっていくのは俺のせいだと感じ取っているからだろう…もしかすると聞かされているのかもしれないが。
朝早く研究室に行き夜遅くに帰る。子供も妻も大体寝ている。日曜にはクリスチャンの妻に付き合いミサに出掛けて、マーケットへ買い物に行く。チョコレートが欲しいとねだる徐倫を妻が叱る。隠れて徐倫にチョコレートを買い与えてやり、バレて今度は俺が叱られる。至って平穏な毎日だ。

「ジョジョ見て、キティ!」
徐倫と少々無理をして手を繋ぎ、公園を歩いていると風船売りがいた。猫の絵が描かれたそれを指差し、駆け寄って行く徐倫は俺を父と呼ばない。承太郎、という発音が難しいからと妻がジョジョと呼んでいるのでそれがうつったのか、父親として認識していないのか。
そうは言わないが欲しがっているらしい徐倫を呼んで、財布を渡してやる。嬉しそうに笑って小さな手に男物の財布を握り締め走って行く姿は親の欲目でなくとも可愛いらしい。通り掛かった中年のビジネスマンが徐倫を見て微笑んでいた。
風船を受け取り代金を払おうとした徐倫は手を滑らせて財布を落とし、拾おうとした直後意識の逸れた手から風船が抜け出て行った。徐倫の柔らかな顔がくしゃりと歪む。その手に風船を取り戻してやろうと足を踏み出した瞬間、先程のビジネスマンが空中に残していったらしい香水が香り、脳裏に知り合いの漫画家の顔がよぎった。
誰もが好むという感じではない、鋭くモダンな少し甘い香り。本体が通り過ぎた後もその場に留まる強い香りだ。先程のビジネスマンとは年齢も違うし外見も似ても似付かない、日本人の青年も同じ香りを着ていた。

徐倫が泣いている。気付けば掴み損ねた風船は遥か上空を飛んでいた。徐倫の小さな頭を撫でてやって、落ちた財布を拾い二つ分の代金と入れ替わりに風船を1つ貰う。細く頼りない糸を娘の細く柔らかい指に巻き付けてやって、それとは逆の手を握り散歩を再開させた。徐倫は泣き止みすっかり上機嫌だ。それはいいが俺は何故さっき岸辺露伴を思い出した?確かに彼の近くに立った事はあったが、回数はそれほど多くない。香水の匂いがすると思った事もあったかもしれないが、どんな匂いだとかそれが彼の匂いだとか、そんな事を思う程は物理的にも精神的にも関わらなかった筈だ。

「ジョジョ?」
見上げてくる徐倫の声にはっと現実に戻る。なんでもない、と精一杯柔らかく言って、妻が待つであろう自宅へ足を向けた。


徐倫が寝た後論文を書くと言って書斎に籠り、スケジュール帳を開いてみる。杜王町に到着した日からアメリカに戻った日までに書かれた予定を確認するためだ。
何かがおかしい。記憶が揃っていない気がする。1日1日指差しながら、何をしていたのか必死に思い出してみるがどうしても思い出せない日があるのだ。
朝からジジィに付き合って本屋に行きコレクション用の漫画を注文させられた。その後確かジジィと別れたが、何故そうする必要があったのか分からない。俺かジジィに何か予定があったんだったか。しかしホテルに戻った記憶もどこかに行った記憶も無い。次の日の昼過ぎ、仗助が小遣いをせびりにホテルに来た、それまで何をしていたのか思い出せない。
その日以外にも何日か記憶が欠けている。しかもその記憶の無い日のうち何日かのスケジュールには、何かの予定があった事を示す時間が書かれていた。
何もせずぼんやりしていた日ならともかく、予定があった日の事まで忘れたなんてジジィじゃあるまいし有り得ない。記憶が風化するほど古い話でもない。

あまり使わない携帯電話を出し、ジジィの家へ繋ぐ。使用人が出てジョセフはもう寝たというが構うものか、叩き起こさせた。この家はスージーQの機嫌さえとっておけば問題無い。








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