:: PICTURE TEXT


 

『承太郎かの…わしは眠いんじゃが…』
「知るか。おいジジィ、日本にいた時てめぇのマンガを注文してやったのは覚えてるか」
『勿論じゃよ。そうそう、昨日露伴君から荷物が届いての。彼の原稿を英訳したコピーが入っておった。』
「…岸辺露伴か、」
『他に誰かいるかね?で、マンガがどうかしたのか。』
「本屋に行った後、俺がどこに行ったか知ってるか」
『だからその露伴君と会ったんじゃろ、本を借りに行くとか言っておったの。本屋でばったり会って…その時自分で英訳したので良ければって言ってくれたんじゃ。尖ってるようで義理堅い青年じゃな。』

ジジィのボケと眠気で間延びした声が鬱陶しい。しかし嘘や勘違いで話しているようではなかった。
通話を打ち切り、スケジュール帳に視線と溜め息を落とす。
確実に俺は何かを忘れている。記憶の欠如、岸辺露伴との関わり、香水。思い当たるのはこの違和感に気付くきっかけになったあの漫画家の能力だ。記憶を暴く、が基本能力であるあのスタンドなら、記憶を消したり書き換えたりなんて容易いだろう。
何故俺は彼の匂いを知っていたのか。もし彼が俺にスタンド攻撃を仕掛けたのだとしたら、何のために自分と関わった記憶を消したのか。そして何故俺はその攻撃を避けられなかったのか。

胸騒ぎがする。ざわざわと虫が這うような違和感が頭と体を侵食する。生活に支障が出る訳ではない、放置しても問題はないのかもしれない。思い出してはいけない事のような気もするし、思い出さなくてはいけない事のような気もする。
しかし何より、思い出したいと思った。何を忘れているのかも分からないのに忘れたくないと強く感じた。
視界の端に黒い霧のようなものが見えた気がしたが振り向いてみても何も無い。髪を見間違えたのだろう。





ぼくはこんなにもぼくであることを有難く思った事は無い。
日常を脅かすほどの承太郎さんの記憶に1日の大半を持っていかれてしまっても、原稿に向かっている間は漫画家岸辺露伴でいられた。泣き喚いて叫び出しそうになる度に漫画を描いていたもんだから、もうこの先暫く遊んで暮らせるくらいの描き溜めが出来てしまっている。
この家はあの人の記憶にまみれてしまっていた。どこで何をしていてもあの人の断片が埃みたいにさりげなく落ちていて、ぼくはそれを気にせずにはいられない。
いっそもっと描き溜めて、一年くらい旅行に出掛けようか。イタリアなんかいい。あの国は何だか色んなものがいちいち濃厚だから、ぐちゃぐちゃに混ぜてしまえばこの記憶も薄味に思えてくるかもしれない。
パスポートの在処を思い出そうとしていると、机の上の電話が耳障りな電子音を発した。
締め切りはまだ先だし、康一君かな。康一君だといい、会いたい。遊びに来ていいかって話なら勿論OKして、彼のためにケーキの準備でもしていればきっと埃も気にならない。
申し訳なさそうな声と丁寧な言葉でアポを取ろうとする親友の声を期待して受話器を持ち上げる。そしてすぐに期待は裏切られた。

『先生か』

忘れる筈もないテノールとバリトンの中間。受話器を持つ指先と内臓が一気に冷えて、全身が軋んだ。聞きたかった、聞きたくなかった。

『話したい事があるんだが、会えないか。』
「…誰だ?」
会いたい、会いたくない。痙攣する声帯を叱責して、声だけで誰か分かる筈ないだろう名乗れよ、と匂わせる演技をする。下品な話、その一言だけで暫くオカズに困らないくらいに愛している声なのになんていうか、マヌケだ。

『…空条だ』
「ああ承太郎さんか、お久し振りです。いいですけどいつです?来月はちょっと旅行に出るんですけど」
何だろう、何か変だ。名乗るのを忘れていたすまない、みたいな雰囲気の間じゃなかった。距離を取った方がいい気がして今決めた予定を話すと、直後インターホンが鳴った。電話の向こうからも同じ音が同じタイミングで聞こえる。

『今あんたの家の前にいる。』
まさかだろ、あんたアメリカに帰っただろう。ブラインドの隙間から外を見下ろすと、玄関で携帯電話片手にこちらを見上げている男と目が合った。やばい、逃げられない。





「急に何です。来るなら来るって先に言ってくれないと、ぼくにだって都合があるんですよ。」
嫌味っぽい声と言葉を吐きながらも岸辺露伴はこちらを見ず、高そうなカップに注がれた美しい水色の紅茶を睨んでいた。表情は少し固い。何かを隠しているのでは、と疑って見ると、そういう風にしか見えなかった。

「すまない、どうしても確認したいことがあってな。」
「何です、わざわざアメリカから来てアポ無しで押し掛けるくらいですから重要な事なんでしょうね」
嫌味のつもりなんだろうがその通りだ。少なくとも俺は、重要な事なのではないかという予感がしている。
淹れてくれた紅茶に口を付け喉を整えてから、改めて彼に向き直った。

「先生の使ってる香水はどこのだ?」
彼から漂ってくる香りは公園で擦れ違ったビジネスマンと、何故か知っていた彼の香りと、寸分違わなかった。




「…GUCCIですけど。そのくらい電話でも教えましたよ。」
訳が分からないという顔で怪訝そうにブランドの名前を口にする。まぁそういう反応をするだろうな。
足元に置いた鞄を探って、ここに来る前買ってきた黒い箱を取り出す。中身はGUCCI、ギルティ。彼がGUCCIのバッグを持っていたというだけでGUCCIから探し、幸いにもあては外れていなかったようでいくつか嗅いだだけですぐに見付けた。
安直で何の捻りも無いがその品名を見た瞬間、俺の予感の的中が、彼の有罪が決定付けられた気がした。

「これだろう」
彼は演技が上手すぎた。
箱に印刷されたブランドロゴを見た瞬間僅かに指先が痙攣したが、ポーカーフェイスだ。反応の薄さが逆に、反応してはいけないと思っている事を表面化させた。

「アメリカでこれと同じ匂いと擦れ違った。その匂いで、あんたを思い出した。探すのも簡単だったぜ、あんたの顔を思い浮かべたらすぐに匂いと一致した。」
少しの表情の変化も見逃さないよう注視しながら、追い詰めていく。駆け引きはまどろっこしいが正面から行ってはかわされる気がする。
先生は俯いたまま視線をテーブルに固定していた。僅かな困惑の色。完璧だと思った論文のミスを指摘された、そんな感じに見える。
「仗助とジジィに裏を取った。俺はあんたと関わった記憶を無くしている。…消したのは先生、あんたじゃないのか?違うならそう言ってくれ。謝るし改めて、あんたの能力で原因を探ってもらうよう頭を下げる。」
さぁ逃げ道は塞いでやった。黙ってないで答えてくれ、俺はどうしても忘れたままではいたくない。海馬よりずっと原始的な部分にあんたの匂いが染み付いていた理由を。

「俺はあんたを愛してたんじゃないのか。」
視界の端に黒い霧が立ち上る。









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