好きすぎてすき過ぎて

 好きになることは本当に罪深いことだと思う。

 好きだよ。
 愛してる。
 どこの誰よりも君が好きだよ。

 今まででこんなに人を好きになった事はない。

 君は夜空に浮かぶ月の様だ。いつまで見ていても飽きない。
 むしろ、時間が過ぎるたび惹かれて止まないんだ。

「ふーん」

 ねぇ名前ちゃん、俺と良いことしない?一晩を共にしてより仲を深めようよ。
 俺は君の事を思うだけで、胸が裂けてしまいそうなほど切なくなるんだよ。
 それだけ君が過ぎなんだ。
 だから少しぐらいこっち向いてよ。

「あっそ」
「……なんだよもう! 名前ちゃんの意地悪! お兄さん拗ねちゃうよ!?」
「どうぞどうぞ」

 俺はじとりと名前ちゃんに穴を開けんばかりに見続けた。彼女はなんのその、と言わんばかりに(実際なんのその、とか言ったりしない事は俺がよく知ってる)本にその目を向けている。

 なんて意地が悪いんだろう。だけどそこを含めて俺は名前ちゃんが好きなんだ。
 例えば俺が君を押し倒した時だって冷静に「なに」と言えるんだろうね(もう一度実践してるからたとえではないけど)。

 どうすれば君が振り向いてくれるかを考えて、実行しては失敗する。随分前の顔を赤らめて好きだと言ってくれた君はどこに言ったんだろうね?
 まさか、夢とか幻覚なんかじゃなかったよね?
 じゃなければ彼女はきっと俺が家に来たって鍵も開けずにいるだろう。

 先週イギリスのやろーが来たときは鍵も開けずインターフォンだけで追い返していた。あの時の奴の顔を思い出すだけで一ヶ月は最高の優越感に浸る事ができるね。

 それでもただ、奴と俺の違いと言えば、家の中に入れるか入れないかの違いだけ。
 現に俺たちはただ一緒の空間にいるだけで、手を繋いだりといったボディタッチはおろか会話だって俺からじゃないと始まらない。
 これじゃイギリスと一緒なのだ。

 これならイギリスが少ししぶとく粘ったとして、窓から彼女の姿を見ることで済んでしまうような事なのだから。


 だから俺は名前ちゃんのあの黒い目をどうにか自分の方へ向けて、それでいて彼女の思いをその口から聞きたい。
 だからこそ俺は、今までにない、今まで以上の行動をおこす。今日は、その為に来た。

 彼女はそれに驚くだろうか。
 もしかしたら彼女の事だからほんの少し、他の誰にもわからないぐらい、その大きな目を見開くぐらいかもしれない。
 そして少し不機嫌そうな声で「なに考えてるの」と俺に聞いてくるのだろう。

 なんて可愛らしい名前。
 想像しただけで胸が騒ぐ。なんでもっと早くこの考えに行き着かなかったのだろうとも悔やんだ。

「ねぇ名前」

 なに、と返ってくる所を口を塞ぐ。柔らかい唇を味わってそのまま優しく抱きしめた。

 名前の甘い匂いが鼻を擽ってぎゅ、と抱きしめた力を強くする。彼女の体が堅くなったのがわかった。
 緊張したのかどうなのかわからないけど、その事実に少し悲しくなる。

 可愛いリップ音を残し唇を離して見つめ合った。まばたきを忘れ顔を真っ赤にして、何か言いたげに口を何度も開け閉めさせて。腕の中に居る彼女は、少し動揺しているように見えた。
 可愛い。愛おしい。

「ベッド行かない?」

 いつもみたいに名前の返事を待つつもりは無かった。ひょい、と羽みたいに軽い彼女を抱きかかえた。「わ」と予想外だったのか驚きの声が名前ちゃんから漏れる。
 抱えたまま、彼女の顔を覗き込む。

「名前はさ、俺の事好き?」

 答えは返ってこない。
 予想ではもうそろそろ機嫌が悪くなって、降りると暴れるところだったんだけど。もしくはベッドに座らせた途端に彼女は否定の言葉を出すのか。
 嫌だ。止めて。そう言って別の部屋に行く。その背中を見送るのは、想像だけでもすごく悲しい。
 でもそれが、いつもの君。

 それでもいい。
 今日は、少しでも俺からの愛を感じてくれれば。
 俺に愛を見せてくれれば。
 それだけで充分だから。
 ただ安心したいだけだから。

 俺は君の目に、ちゃんと異性として映っているか。

 寝室に着いてしまった。
 相変わらず、彼女は何も喋らない。

 ピクリとも動かずにただ黙って抱えられていた。そっと細心の注意をして俺は名前をベッドに座らせ、隣に座る。
 彼女は俯いたまま何も言わない。何もしない。

「名前ちゃん?」

 名前を呼んでも、反応がない。返事どころか、視線も動かない。機能が全部止まってしまったかのような。
 ねぇ聞いてるの、と俺が続けても無駄で。 何かを言おうとしてるのか、何も考えていないのか。

 俺の手の甲に、ぽたりと落ちたなにか。見れば、目から落ちるもの。

 涙。

 ああ、胸が体が、全てが重たい何かにつぶされてしまいそうだ。
 一度零れたそれはどんどん数を増やしていって隣の名前ちゃんの手のひらにも、一つ。

「フランシ、ス?」

 気付かれてしまった。
 ようやく声が聞けたのに、俺の涙が遠慮することはなくて。どうしようもなく、目の奥が熱い。
 こんなハズじゃなかったのに。格好悪いなぁ。

「フランシス」

 どうしたの、と話し掛けられる。
 久々に名前を呼ばれた、と気付いてまたひとつぽたり。それにつられて今までの不安がぽたり。
 ぽたり、ぽたりと止まらない涙がシーツと名前の服に染みていく。

 それは俺の不安みたいにどんどん広がって、大きい水溜まりになった。後で洗濯しなきゃな、とどこか冷静な自分が言う。

「ごめん、名前ちゃん」
「なん、で謝るの。悪いの、私だよね。謝らないといけないの、私だよね」

 必死に自分を制して涙を止めたのに、また上から新しい雫が落ちた。シーツに、濃い丸がまた一つ。それがもう一つ、二つ。
 絶句して俺は名前ちゃんの顔をみた。

 名前ちゃんが泣いている。

 シンプルに言ってしまえばそれだけだけど、強く殴られたようなショックだった。彼女は大きな目からまた涙を零して落としてシーツの俺の涙を上書きしていく。

「ごめんなさい、ごめ、んなさい」

 指で、そっと彼女の涙を拭う。名前ちゃんがそれに驚いた所為か、新しい涙は彼女の目に収まったみたいだ。
 自分の分も、すっかり収まってしまったみたいだ。普段泣かないだけに、長く泣けないだけかも知れないけど。
 
 名前ちゃんが俺の為に泣いている。
 その事が、不謹慎にも嬉しくて。涙じゃなく笑顔がこぼれてしまった。

「俺、名前ちゃんの彼氏でいいんだよね?」

 いつもの軽口みたいにと心掛けても、声だけがまだ涙声で。その事にもまた少し笑って、そんなに自分が名前ちゃんに夢中なのだと可笑しかった。
 そうだ、俺は情けないくらいに名前ちゃんが好きだ。

 それでも彼女は。彼女はいつもの仏頂面を止め、眉尻は下がり不安げな顔をして俺に答えた。
 その声はいつも聞く声からは想像も出来ないほどたどたどしく、いつもの数倍も可愛らしく見えた。

「彼氏で、いて。だって、」

 その、えと、と彼女らしくなく言い淀む。言葉に詰まり、顔を真っ赤にして、泣き止んだと言えども目に沢山の涙を溜めて。
 そんな彼女でも愛おしい。

「私、ずっとフランシスが、大好きだよ」
「そう、か」

 この時間をどれだけ待ち望んだだろう。心臓が大きく鼓動している。大好きだよ。俺も大好きだよ。すぐにそう言いたかったのに。俺の目は本日、異例の大洪水を記録してるらしくて。
 またシーツに涙が落ちた。

 好きって本当に罪深い。


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