ゆびきりと約束は

 広い野原。
 一面の緑が私を囲う。

 世界は広い。一人だと尚更広い。
 がさりと草が踏まれる音がして、私は一人じゃなくなった。

「もしも君がこの先マジ辛的なことがあっても、ミーが君を守るッス」

 どこかの小さな男の子が、隣にいる小さな女の子にそう言っている。ままごとか何かだろうか。初々しく指切りなんかして。

 彼は誰だろうか。彼女は誰だろうか。
 ままごとの続きし始めた彼らは、とても幸せそうだ。

 無邪気に、ずっと一緒にいられる。そんな風に考えていた時代だった。そうやって信じて疑わない、疑えないそれは。

 幼く何も知らない私たちだ。

 ああ、一体いつの事だろう。何十年か前? それとも何世紀も前の話?
 約束したことしか思い出せない私は相当年をとったんだ。もちろん、同じように君も年をとったに違いない。国として。人として。
 もしかしたら、長い年月で約束なんて忘れちゃってるかもしれない。
 覚えていたら、もし、覚えていたら……


 名前、と自分を呼ぶ声で目が覚めた。目が開いたついでに見回せばここは私の部屋である。
 野原ではない。今のは夢の中での景色? それとも夢の続きなのか。

「なにごとだ・・・・・・」

 乾いた口の中でなんとか呟いたつもりが、寝起きで口の中がパサパサしていてうまく言葉にならなかった。

 きっと口の中では何万の細胞が死んでいるんだろう。そういう内容の番組を先週テレビで見た。
 朝日が眩しくてとても目なんか開けられない。さっきの声も夢の中の話。もしくは夢の境目の声だったんだろう。

「ねむちゃ・・・・・・」

 夢の続きでも見よう。今度はもっと楽しい夢になるかもしれない。
 ばさり布団をかぶり直し、二度寝しようと試みる。まぶたを閉じればゆっくりと眠気が襲ってくる。どこまでも、どこまでも……それが心地良い。

「ミーは何度名前を呼べばいいッスか」

 一生呼んでろ。声になっていないだろうなと自分でも思いながら意識はどんどん落ちていく。
 二度寝ってこれだから止められない。

「名前いい加減にして欲しい的な」

 むぎゃ、と言えたかどうだかもわからないが。
 とにかくそんな声が出た。鼻に衝撃。呼吸が出来なくて無意識に口が開く。すーはーと激しく息を吸っては吐いて。
 首を左右に振って自由になった鼻で息を吸い始めた時やっと異常に気が付いた。

 現実に誰か居る。
 それは決して夢なんかじゃなくて。

「誰?」

 自分では勢いよく動いたつもりだが、朝だからか全然うまくいかない。頭が指令をうまく出さない。

「俺です的な」

 ばさり、と体に引っかかっていた布団が力無く二つ折りになった。まるで私の気力を表しているようにも見えたが今はそれもどうでも良かった。

 「何しに来たし」かすれ声で聞いても、目の前にいるチャラ男はにこりと営業スマイルをかますだけだった。
 その鼻に彼の大好きな花火を突っ込んでやったら……もれなく自分の身が危険に及びそうだ。やってみたいけど。

 そんなびびりな私の気持ちなんか気にせず、彼はにやにやしながら口を開いた。

「何でここにいるの」
「それはsecret的な」
「まじ帰れ的な感じ」
 
 わぉ、なんかその喋り方新しい感じしますね。と男の癖に形の良い唇が言って。少し見惚れると同時にほんの一瞬だけ誉められたかもとか思ってしまった自分が恨めしい。

「誉めてはない的な」

 知ってるよチクショウ!
 ぼすんと私に叩かれた布団が二回、三回ぐらい悲鳴をあげた。若干埃がたってそれがまた苛立つ。しまったアレルギーなのに。
 悪かったな、頭が悪くて。

 悔しすぎて、そして居たたまれなくなってしまったので、叩いてぺしゃんこになった布団をまた被った。
 二度寝だか三度寝だかを決行である。布団の中の真っ暗な空間がすごく落ち着く。自分だけの空間って感じで。
 自分だけ、の……

「なにしてるんスか」
「そっちこそなにしてるの」

 ずしりと重たい感覚。布団の中に居るからって、乗られてるからって、金縛りではない。

 だって朝だし。というか、流れ的に可能性は一つしかないわけで。

「Good morning. How are you?」
「黙れ英国領め」
「Wow,それは流石に怒りますよ」

 イケメンの声が聞こえた。でも何言ってるかさっぱりわからない、わかりたくもないからやっぱり憎たらしい。ばーかばーかと布団の中で聞こえない様に悪口を言った。

 しかし。事態はそんな事言ってる場合じゃなかったのだ。
 横向いて寝ていた所為で、ちょうど腰あたりの上に乗られると股関節がみしみしいってそうで。激しく緊急事態。
 せめてうつ伏せか仰向けの時だったらこんなにも苦しくないのに。苦しいのは変わらないけど。

「降りろばか……」
「ばかばか言うところは名前の方があいつに似てますよ」

 あんだと! と力いっぱい叫ぶのと一緒に体もぐるりと回す。自分でも驚くぐらいの底力。気合いってすごい。
 あっと言う間に重さが私から消えたのは良かったがしかし、体制が座る形に戻ってしまった。そしてベッドの足側に三角座りした奴と対面する形になる。
 あ、やばい寝癖ついてたらまた馬鹿にされる。

「名前まぶたが三重になってる的な」
「悪かったな!」

 そっちかよもう! 「ぷぷー」と笑いながら私を指さした奴。次の瞬間には枕が奴の顔に吸い込まれていっていた。
 私は何もしていない。枕が勝手に。あれれ可笑しいな?
 私は何もやってないような気がしてたんだけど。


 私の大好きな、濃い赤色をした甘いイチゴジャム。それをキツネ色に焼けたトーストにたっぷりと塗り込んだ。
 朝の光を反射してきらきら光るイチゴジャムトーストが甘い香りと小麦の香りで誘惑している。甘い甘いトーストをゆっくりと咀嚼しながら茶色と白の溶け合ったミルクティーに手を伸ばす。
 ハーブの甘い香りが鼻をくすぐった。

 そんな、私の大好きないつもの朝。のはずだったのだが。
 二度寝三度寝をした挙げ句、不法侵入者と愉快な会話を繰り広げて居たらいつの間にか昼近く。むしろ昼過ぎ。

 優雅さなんて味わう暇もなく、いつもの味のトーストを口に押し込んだ。隣に居るこいつさえ居なければ少しはましだったのに。

「一体何しにきたの」
「そのうちわかります」

 いつもの無表情で、それでも上機嫌に香が言った。それが気に食わなくて。イチゴジャムを取るためにビンに入れていた、ジャムだらけのスプーンを奴の口に突っ込んだ。
とぉーそうぃーとと香の口からスプーンが出てきながら聞こえる。多分美味しいと言っているんだ。そうに違いない。

「食べ終わりました?」
「一応」

 にやにやとしながら聞いてきた。この顔はなにか企んでいる時の顔だ。
 それが私にとって良い事か悪い事かはともかく。私の身になにかがあるのは明白である。

 ミルクティーを最後まで飲み干して、食器を持って席を立つ。香もまるでピクミ○のように私に習ってか席を立った。台所まで同じように着いてくる。なんなんだこの男は。

「何考えてるの?」
「それもsecretです」

 はぁ、と鼻だけでため息をついた。お皿を洗いながら、後ろで冷蔵庫を漁ってる香の考えての事を予想する。

 無理だった。
 彼の考えはいつだって私には複雑怪奇すぎるんだ。小さい頃からそう。何世紀も前から。

「今日の予定を聞いてもいいっすか」
「香が居なければ今日はゆったり過ごせたの」
「それはそれはとても良い休日ですね」

 バカにしたように言いながら、彼は私のオレンジジュースを一気に飲み干した。あんにゃろ、今日のおやつの時にって楽しみにしてたのに。

「洗い物終わった感じすか?」
「終わった的な」

 手を拭いて香を見れば、飲み干したオレンジジュースのパックを流しに置かれた。せっかく終わったばっかなのに!
 誰にも聞こえないよう密かに悪態をつきながらパックをすすぐ。また手を拭かなきゃいけないじゃないか。

「じゃあ行きますか」

 どこに?
 どこに行くのとかどうしたのとか、何考えてるんだとか、拭いていない食器をどうするんだとか。
 聞きたいことが山になるほどあったのに。

「これ、走らなきゃダメ?!」
「誰かサンが寝坊助サンだったんで」

 それらは全然口に出せなくて。代わりに走ってる所為で切れ切れになる息を整えようと口を開くばかりだった。 
 ついに外にまで連れられる。財布とか鍵とかいろいろ忘れているんだがいいのだろうか。いや駄目だろう。

 私の家を出てから数分。近くの広場にヘリコプターが止まっていて、中には菊さんちの人が数人待ってた。
 もしかして私が起きる前、則ち香が来た時からここにいたのかと考えるとなんともまぁ待たせ過ぎててぞっとする。ふざけるな待ってる人が居るなら先に言えよばか。
 お陰で中に入った瞬間皆さんの待ちくたびれてる感じがよくわかりすぎた。怖い怖い、遅いと文句を言われない分倍怖い。

「出して下さい」
「ちょ、意味分からないし!」

 挙げ句の果てにはヘリコプターだと思っていたのがジェット機で、機械系がわからない私はとにかく速さに怯えていた。凄い速さで空を駆け抜けていくジェット機。
 地味に初ジェット機で怖さも倍増だが、隣の香君は知らん振り。むしろ私がジェット機初めてなのを知っているのだろうかと言うぐらい。

「名前手汗やばい的な」
「うっさい!」

 周りに人がいない訳じゃないから小声で怒鳴る。なにもかも今更すぎるしそもそもなんでまだ手を繋いでるんだ!
 それでも慌てて離そうとしたその手を、ぎゅと握られてしまい騒ぐに騒げない。小さな小さな声で、実は怖いんですかと笑いながら言われてしまえば更に。

 せめてもの反抗と言わんばかりにぎゅうぎゅうに相手の手を握りしめてやった。痛そうな素振りを見せないから憎たらしい。

「守ってやりますから暴れないで下さい」

 にやりと笑う香に余計なお世話だと心の中で精一杯に怒鳴ってやった。

 心の中でですが。
 なにか?

 ジェット機はそこそこ飛んでから私たちを地面に届けた。周りから見るにここはどうやら日本の様だ。和の国菊さんのお宅。
 そう言えば今はお祭りの季節なんだっけ。いいなぁ、折角だから寄ってから帰りたい。

「菊の家に行きます」
「はぁ」

 もう反抗する気も失せていた。どうせ無駄だ。そして日本に来たなら菊さんちに行くのは私的常識である。
 彼的にどうだか知らないが。

「お待ちしてましたよ名前さん」
「待ってた?」

 どうしたんだ今日は人を待たせる日らしい。菊さんの家の中に押し込まれた私は和室に連れ込まれる。
 菊さんはいつもの様ににこりと笑って、香を部屋から追い出した。

 濃い青の中にいる真っ赤な金魚。水面から飛び上がるようにその体を捻らせて。そのちょっと上には金魚が飛び込んだ後なのか白い輪が描かれていた。すごく綺麗で、見ているだけで涼しい。
 二重に輪になったそれはきっと、金魚が作った水輪だ。

 お腹の部分には堅くて赤い帯が巻かれている。それとお揃いにするように足には赤い縮緬で作られた和風のサンダル。
 それは所謂、浴衣である。

「いつまで歩くの?」
「すぐ着く的な」

 そう言って香はどんどん前へ行く。見たことの無い日本の道をどんどん前へ。その姿は菊さんに借りたらしい甚平姿だ。

 菊さんが気を使って用意してくれた和柄のサンダルは、いつか履いたことのある下駄と違ってとても歩きやすい。
 それでも香は前へ前へ進むので、追いつくには時間がかかる。むしろいくら時間があっても距離が開くばっかりだ。

 いい加減この状況の説明をしてもらいたい。なんで私は浴衣姿で香と日本を歩いているのだ。
 日本の赤い夕日が沈み始めていた。あっという間に一日が過ぎていく。
 私の家は今ならまだおやつ時なのに。どんな一日だと憤慨しそうだ。

「ちょ、っと香!」
「what?」

 香の足が止まる。私はそれをいい機会に開いていた5歩分の距離を走って縮めた。
 どこからか笛の音が聞こえた気がする。なんの音なんだろう、と思いながら香を見た。
 ああ、少し背が伸びていたんだな。

「歩くの早いです」
「Sorry.」

 香はそういってまた歩き出した。今度は少し遅い。これならちゃんと着いていけそうだ。 
 そう思って私は少し後ろを歩いていたら、今度は呼んでないのに振り返る。なんだいったい。
 振り返った彼はなぜか少し困ったような顔をしていて、こっちが逆に困った。

「香?」
「そうやって、困らせたいわけじゃないんです」

 手を握られた。今度は掴むじゃなく、繋ぐように。ずっと昔にそうされたように。
ぎゅ、と力を入れて香はまた口を開く。

 うつむいてしまって彼の表情はさっぱりわからない。でも香がそうしている時は大抵落ち込んでいる時。それは昔から知っている。
 だからこんなに声も小さくて、繋ぐ手もどこか縋るように見えるんだ。

「名前に驚いて欲しかった的な」

 「サプライズ……」と言葉にしてはしょんぼりとしている香を怒る気にはならなかった。ふふ、と思わず笑ってしまう。
 それに気付いた香がむ、っとした顔をした。

「わかってますか?」
「わかってる的な」

 今度はうまくできた気がする香の口真似に満足しながら、私は足を一歩進めた。どこに行くの、と香に聞きながら。香もすぐに歩き始めた。

 少しずつ笛の音が近づいてくる。人の数が多くなる。
 ああ、お祭りだなぁと聞かなくてもわかった。

「後で花火見に行きますから」
「了解」
「穴場、探したんスから感謝してください」

 照れたように笑う香がなぜだか物凄く可愛らしくて、思わずにやけた。そうだ。ふと思い出した。

 私がいつか花火を見たいといったんだ。
 何年も前に、香が爆竹で遊んでいたときに。見せに連れて行くといってくれた、あの頃の約束を彼は覚えていてくれたんだ。

「ありがと、香」

 私ですら忘れていた約束を、香が覚えていてくれた事がとても嬉しくて。私も握っている手に強く力を入れた。
 香はいつでも私の足りない部分を補ってくれるんだ。嬉しい。香が居るという事が、嬉しいと言っても間違いではない。

 香は出店をきょろきょろ見回しながらも、ずっと私の横を歩いていてくれる。幸せってこういう事を言うのだろうか。
 きっと、そうだ。

「好きだよ、香」
「知ってる的な」

 何年も何年も前から一緒に居た幼馴染に初めてそう言えば、生意気にもそう返ってきて。でもそれすらも嬉しくて、へへと笑ってしまった。
 香も少し笑ってる気がした。それはどっかの眉毛野郎に少し似ていたけれど。

 大好きだよ、と私は人ごみの中でまた言った。

 夕方はあっという間に終わり、夜が来る。私たちは秘密基地のような高い所へ向かう最中で。

 私たちが花火を背景に、生まれて初めてのキスをするのは、今は知らなくとももうすぐの話。


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