うるさい、ばか!
指先から垂れる血液。
徐々に赤く染まる布。
その様子は滑稽な私の様で、笑えたと一緒になんだか泣けた。
ぎゅ、とその白い布を握ればまた新しく出来る赤いシミ。握った手が少し痛くてまた涙が出た。
悔しい。
苦しい。
思い通りにならない自分に苛立ちが収まらない。さっき手に刺さった針がカランと机に零れ落ちる。
同時に涙も零れて針に向かって落ちた。
「な、泣いてんのか?」
「だ、って」
「だって」私は心配そうな顔をしてる佑助に言って払った。お前はこんな事で悩んだ事なんかないからわからないだろう。器用なお前に私の気持ちなんかわかってたまるか。ばか。
「ホントお前って不器用なのな」
「うるさい、ばか」
はぁ、とため息をこぼしたのは佑助。
くそ、となみだをこぼしたのは私。
佑助はそんな私に苦笑いしながら私が持っていた布を奪って行った。私の血と涙で所々の色が変わってしまった布を見て、佑助がうわ、と言葉を零した。
「なんでこんな色変わるんだよ」
「しょうがないよ、不器用なんだから」
「不器用でなんでも片付けるんじゃねえよ」
ばか、と私の代わりに佑助が言う。
うるさいよ、ばか。
「まず手、貸せ」
やだ。と言うのに構わず奪われた手。無理やり離そうと思ってもその通りに手が動かない。
私の手に何枚も絆創膏を貼りながら佑助が明らかに呆れた声で言った。
「被服実習だけでこんなになるってどういう事だよ」
「うるさいうるさいっ!」
「うるさいのはお前だよ! 今何時だと思ってんだ」
五時過ぎてんだぞ。その佑助の言葉が刺さる。そんなに時間が過ぎてたとは。
外を見ればなるほど暗い。夕日はもう沈んだあとだった。
そんな事はわかってるけど、それでも私に付き合って部室に残ってくれてる佑助もばかだ。
ばかだ。佑助も私もばか。ばかばっか。
自分でもわかってた。裁縫はなによりも苦手だって。だから頑張ったって言うのに結果はこれだ。
「糸まで色変わってんぞ。どんだけ針にやられてるんだお前」
「だって針を出そうとしたら刺さるんだもん」
ぶふ、と佑助が吹き出した。そんなに反応しなくてもいいと思う。
握って開いてをした手に血が滲む。ついでに涙も滲む。
「波縫いもガタガタじゃねえか。しかも赤い!」
「も、模様だし……」
自分でもバレバレの嘘をついて、出来る限り強がった。不器用で悪かったな、と言う前についに涙腺再び崩壊。
「ちょ、え、泣いちゃいました? え、ごめんなさい、まじでごめんなさい!」
「っ、やっぱ家に帰ってやる。これ以上佑助に残ってもらうの悪い」
「え、いや大丈夫だって!」
佑助は優しい。ばかがつくほど。あわてふためいた佑助が可笑しくて涙は止まった。
苦笑いしながら私が文字通り血の滲む努力の固まりである布を取り返し、鞄にしまう。提出期限は明後日だし、まだ大丈夫。な筈。
そんな事を思いながらソーイングセットを最後にしまって、マフラーを手にとった。
まだ余裕でバスに間に合う。
立ち上がりマフラーを巻きながら廊下へ出た。
佑助がどんな顔をしていたのか少し気になるが、きっと変わらずポケーッとして、何時に帰ろうかを考え始めるんだろう。
「あ、手袋忘れた」
「なぁ名前」
驚いた。
一瞬で考えていた事すべてが弾け飛んで、息をするのすら忘れた。正直驚愕を通り越して恐怖。叫びそうになった。
部室の中にいると私が思いこんでいた佑助はすぐ後ろにいた。私の後ろの佑助が息をすった音が聞こえる。
「名前、俺がなんでこんな時間まで一緒にいたかわかってる?」
佑助が一緒に残ってくれてた訳。
「知るわけないじゃん」
私はか細い声しか出せなくて。声を出さなければ良かったと後悔した。今の佑助はどんな顔をしてるんだろう。
佑助のその声にはいつもの元気は無く、泣きそうな、呆れてるような。
震える体を振り向かせて、やっと佑助の顔を見れば。彼は困ったような、やはり泣き出しそうななんとも言えない、けど私の罪悪感を誘うような顔をしていた。
思わずごめんと謝る。
「なんで謝るんだよ」
「なんとなく、泣きそうだったから」
「泣かねえよ名前じゃないんだから」そう言う声はやっぱり弱々しく泣きそうだった。
なんでそんなにへこんでるんだろう。
「俺はっ……お前が」
「私が、なに? 心配だった?」
「違っ……くは無いけど、えっとだな」
珍しく歯切れの悪い佑助に首を傾げる。
そんなに心配されてたのか、はたまた違う意味で心配されてた・・・・・・つまり頭の心配とか。ともかくそんなに勿体ぶられると気になって帰れない。
「す、きだか、ら……でして」
「・・・・・・え?」
「だからぁ! す、すすすし!」
「すし?」
「いやっ! すみ!」
「は?」
「すぎ!」
「杉? なに言いたいの、佑助」
どうやら彼はなにかを私に伝えたいらしい。だから私を追いかけてきた。頭が心配だからとかではない雰囲気だ。
しかしその肝心な伝えたいことが何なのかまったく見当がつかない。
元気がなかったはずの佑助の顔はあの布よりも真っ赤に染まっていた。もう泣きそうではない。
そんな彼の表情から佑助がなにを言いたいのか予想してみる。きっと言うのが恥ずかしくて、勇気がいることなんだろう。
うーんうーんと首を捻れども、なにが言いたいかがわからない。
「スキ……やき」
「すき焼き? 」
「違ぁああう!」
大きくうなだれた佑助を上から見た。彼はこれ以上なにかを言う気力が無いようで、呪文を唱えるのは止めたようだった。
「あ」と思わず口から零れてしまう。佑助が言いたいことを理解してしまった。自惚れなんかじゃなければ。
顔に熱が集まる。頬が千切れてしまいそうだ。理解したはいいけど、状況についていけない。さっきまで全然平気だった自分が恨めしい。なにを言えば良いか、なにをすれば良いかわからなくなる。
私は、えっと私、は。
「わ、私も好き」
言葉にできたのは聞こえない程の小さな声だったのに、頭が飛んでいくんじゃないかと思うぐらい勢いよく上げられる顔。涙が滲んでいた目が見開かれ、少し間抜けだ。
聞こえてしまった。心臓も体を突き破って出て行ってしまいそうだ。恥ずかしいの塊になって、転がって行ってしまいたい。
とにかく立ち去ろうと一歩引いた。
「ああぁちょっと待て!」
「ななな何!」
「え、えっと……」
呼び止められたが長い沈黙。耐えられそうにない。今すぐにでも逃げ出したい。
佑助は息を吸って吐いてを繰り返し、力を入れすぎて眉をひそませながら言った。
「明日、続きやりに来いよ! 一緒にやるから」
もう私の喉は緊張のおかげで空気しか出さなくて、とにかく肯定しようと力いっぱい頷いた。
今日は、家帰ったら化粧の練習しよう。それと髪の手入れと、ヘアメイクと、あと、あと。考えながら、全力で走り出す。佑助がどんな顔をしているかとか、考える余裕は無かった。
次の日、部室の扉をなかなか開けられなくて、ヒメコやスイッチに散々からかわれるのを、有頂天な私はまだ知らない。
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