ラフ・メイカー

母親が老衰で死んだ。随分な年だった。
どう仕様も事とわかっているのに、涙が止まらない。

 私も母と同じく年をとった。上には二人の兄と一人の姉がいた。四人兄弟で手のつけようのないほど騒がしい、そんな私達を育ててくれた私の大切な母親が、死んでしまった。

 兄二人は葬式の時だけ泣いていた。初めて見た泣き顔だった。姉はやつれた顔をして、お疲れ様と何度も母親に声を掛けていた。
 私はなにもできずに泣いていた。ずっとずっと、何をすることもできず、子供みたいに泣いている。

 母親が使っていた部屋。誰もいない。
カーテンを閉めきって電気も付けず、真っ暗闇に包まれた部屋。もうどれだけ時間がたったかわからない。時計を見るのすら億劫で。
 溢れる涙は拭われる事なく、服やフローリングが吸い込んでいく。
 そんな、私の最悪な気分と涙で濡れた部屋に突然ノックの音が転がった。

 突然の訪問者。
 兄弟ではない。父親でもない。彼らは私に気を使ってか忙しいのか、部屋に閉じこもった私を放っていてくれた。
 誰にも会えない顔なのに、もうなんだよ。

 力なく立ち上がり、ドアの前、一メートルぐらいで訪問者に問い掛ける。

「どちら様?」

我ながら酷くかすれた声だと思いながら、相手の返答を待つ。
返ってきたのは部屋に不釣り合いな明るい声。

「名乗るほど対した名じゃ無いが、誰かがこう呼ぶ」

 ラフ・メーカー。
 しばらく聞いてなかった知ってる声が、私の知ってる持ち主とは違う名前でそう名乗る。

 アホらしい。
驚きすぎて、流れず溜まっていた涙がまた零れ出す。訪問者、ラフ・メーカーは悪びれもせずに極めて明るく続けた。

「アンタに笑顔を持ってきた。寒いから、入れてくれ」

 その声では聴き慣れない標準語で、訪問者は、ドアの向こうで私に言った。訪問者に対しての怒りがこみ上げ、そして一気に消える。
 枯れた声で、声をドアに投げやった。

 ラフ・メーカー!?
 冗談じゃない。そんなもの呼んだ覚えはない。

 また、涙が溢れ始めた。一体どこにこんなに涙が溜まっていたんだろう。

「アントン、でしょ。なにやってんの、ご丁寧に標準語まで使って……」

 私には構わず消えてくれ。
 続けて強く言ったつもりが、たいして大きな声は出ずに、ただ掠れた弱々しい声がぽつりと落とされただけだった。

 そこに居られたら泣けないだろう――

 体中の水分を使い果たす勢いで涙が流れる。
 大洪水の部屋にノックの音が飛び込んだ。

「……あのやろう」

 まだ居やがったのか。掠れてがらがらになった声で小さく悪態をついた。
 あれからどれくらい時間が経ったのか、または全然経っていないのか、まったくわからない。
私はドアに近づいて出来る限りの大きな声で言った。どん、と訴えるようにドアを叩く。

「消えてくれって言ったろう」
「……そんな言葉を言われたのは、」

 未だに続いているアントンの標準語にイライラは募るが、その声の低さに気付く。

「生まれてこの方初めてだ。
 非常に悲しくなってきた」

 出会って初めて、本気でアントンに怒りをぶつけた。おそらく驚いた顔をしているだろうけど、もうそれ以上気にする事も出来ない。ずるずると力なくへたり込んだ。
 どうしよう、泣きそうだ。

 アントンの声で聞こえたその次に、鼻をすする音が微かに聞こえた。誘われたのか再び私の目から溢れる大粒の雨。

 ラフ・メーカー!?
 冗談じゃない。アンタが泣いてちゃ仕様がない。

 アントンだって知ってる筈だ。私がどれだけ悲しいか。ずっと私の隣にいた腐れ縁。わからないわけが無い。

 泣きたいのは、俺のほうさ。
 こんなモン呼んだ覚えはない
 怒り、悲しみ、悔しさ、うっとおしさに寂しさが入り混じった涙が、ドアの前に水溜まりを作り始める。

 ぐす、ぐすっ、と寂しく響く二人分の泣き声遠く。

 何時間こうして泣いていただろうか。もしかしたら数十分かもしれない。けど随分長くたった気がする。
 ドアを挟んで背中合わせ、しゃっくり混じりの泣き声。もういい加減涙も出し切ったんじゃないだろうか。

 膝を抱えて背中合わせ、二重奏で聞こえてた泣き声もすっかり疲れた泣き声になってしまった。

「今でもしっかり俺を笑わせるつもりか」

ラフ・メーカー。


「それだけが、生き甲斐なんだ。笑わせないと帰れない」

 なんだその変な覚悟。覚悟というか、意地なような物さえ感じる。
 だけども。

 もう私も意地を張るのは止めてもいいだろうか。アントンを中に入れて、このぐしゃぐしゃな顔を見せても大丈夫だろうか。

 だから今ではアンタを部屋に入れても良いと思えたが。

「あ、れ?」

 困ったことにドアが開かない。いや、開けられない。溜まった涙の水圧だ。
 なんて訳ではなく、長い時間動かずに泣いたせいで、手にまったく力が入らない。
 鍵をなんとか開けた所でもう無理だと、かろうじて聞こえるだろうと思われる声で居るであろうアントンに懇願した。

「そっちでドアを押してくれ。鍵ならすでに開けたから」

 コツン、とドアを叩いて声が聞こえなくともアントンに伝わるように願う。
だが、反応は無い。

 うんとかすんとか言ってくれ。じっと待つが、 の気配すらない。意味する事は一つ。

「どうした?おい……」

 まさか。
 一度止んだ雨がまた降り出す。頬を伝い、少し乾き掛けていた玄関の床に新しい水溜まりを作った。

 ラフ・メーカー!?
 冗談じゃない!今さら俺一人置いてまたいなくなりやがった。

「構わず消えやがった」

 さっきと矛盾してる事とは思う。しかし涙は止まらない。
 信じた瞬間裏切った! アントンは帰ってしまった。私は一人置いて行かれた。

「ラフ・メーカー! 冗談じゃない!」

 怒鳴り声と一緒に、逆側の窓の割れる音。驚いて振り向けば、割れた窓から覗く棒。
 ふらふらしながら歩み寄れば、そこには鉄パイプ持って泣き顔で帰った筈のアントンがいた。

「アンタに笑顔を持ってきた」

 ぐしゃぐしゃになった涙顔で無理やり笑うもんだから、思わずさっきまでと違う涙が頬に流れる。
 あぁ、バカだコイツ。でも今はそれ以上に、愛おしい。

 アントンは小さな鏡を取り出して、俺に突きつけてこう言った。

「アンタの泣き顔笑えるぞ」

やっぱり私は呆れたが、なるほど笑えた。

「お前はアホ顔で笑ったってや」

 小さく言われた気がしたが、私は落ち着いたのか疲れたのか落ちる意識に飲み込まれ、残念ながらそれもすぐ忘れることになる。


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