キムラスカが休戦の申し出を受け入れてくれれば、この場を撤退することが出来る。
例え、崩落した大地の上とはいえ、ここはマルクト領だ。
正式な休戦が決まらない限り、この場を離れる事は出来ない。
そう思うと、少しだけ気が楽になってきた。
フィルは空を見上げて大きく息を吐く。
今は夜なのか、昼なのか、それさえ分からない。
空を覆い尽くすのは、自分たちが立っていた地上があった大地と強い瘴気の靄。
無防備に瘴気の中に居れば、いずれ体調を崩していくだろう。
そう考えると、できる限り早く地上に戻りたいものだ。
「やっぱりここだと思った」
ふいに声をかけられて、フィルは慌てて頭を向けた。
そこには腰に片手を当てたまま困ったように笑う愛しい人の姿があった。
「しょ、将軍……?! え、な、何かありましたでしょうか!?」
焦るフィルは寄りかかっていた柵から身体を離して、慌て敬礼する。
しかし、フリングスは小さく笑って軽く手を振った。
「いや、何もないよ。君が見当たらないって思って探しに来ただけだから」
「で、でも、それってわたしに用事があったんじゃ……」
「特にはないけど?」
「へ……?」
フリングスの言葉にフィルはポカンと言葉を漏らす。
彼が言ってる意味が分からない。
自分に用事はないけど、自分を探していたというのはどういうことなのか。
混乱する頭で首を傾げるフィルに、フリングスはくすりと笑って彼女の隣に並んだ。
そして、柵の向こう側にいるソレを見て、ゆっくりとフィルへ視線を向ける。
「本当にフィルはブウサギが好きなんだね」
「そ、れは……、まぁ……可愛いし、美味しいですから……」
フリングスに問われ、フィルの頬は少しだけ赤く染まる。
普通の女性は可愛いは言うとしても、美味しいなんて言わないだろう。
だが、自分のブウサギへの愛情はペットはもちろん、食べ物としても好物なのだ仕方が無い。
人差し指をつつき合わせてフィルはぼそりと呟くのを、フリングスは小さく笑んだ。
「フィルのブウサギ好きには陛下も困ってたよ。いつかご自分のブウサギを君が持っていくんじゃないかって」
「それはないですっ! 流石に皇帝のペットを奪うことはしませんよっ! お散歩係と愛でる係とかなら率先してやりたいですけどもっ! あ、でも可能なら愛しいアスランをもらえたら嬉しいなぁって思うときはありま……す、け……ど……」
ぐっと拳を握りしめて力説する中でフィルは気付く。
フリングスの頬が僅かに赤く染まっていることに。
自分が今何を言ったのかを頭の中でリピートしてみれば、それこそ顔の熱が一気に上がった。
「ちちちちち、違いますっ! ブウサギのアスランですよ!? 可愛い方の!」
「可愛い方? 私は可愛くないのか?」
「いえいえいえっ! 将軍も可愛いとは思いますけども、そうではなくてですねっ! え、あーー……うー………」
大きく両手を振って必死に言い訳をするが、フリングスが真顔で問いかけてくるだけにフィルは焦りから体中の穴という穴から汗が噴き出てきそうだった。
だが、フリングスが肩を揺らし口元を片手で覆ったのを見て、彼女はむぅと唇を尖らせた。
「……将軍、からかってますね……?」
「あはははっ、ごめんごめん。あまりにも君が必死になるものだから……」
彼が大きく笑い続けるのに、それを拗ねた目で睨んでみると、フリングスはゴホンと軽く咳払いをした。
そして姿勢を正してから、改めて彼女に向き直る。
「戦争が始まってからバタバタしてたから、こうしてフィルと話す機会が欲しかったんだ。休戦の申し出はカーティス大佐にお願いしたから、私達はもう待つだけ。だったら、少しくらいいいかなって思ってね」
「………、そうですね……。将軍もずっと気を張っておられましたし、たまには良いかと思います」
彼の重責は分かってるつもりだった。
なのに、自分は彼に大役を願い、それを押しつける形となってしまった。
今思えば、本当に申し訳ないと思う。
結果、休戦は間に合わなかった。
そして、多くの兵を亡くした。
もし、休戦ではなくそのまま勢いを付けて戦い、キムラスカを追い返せていたら?
そうしたら、崩落の前に自分たちはグランコクマまで戻っていたのだろうか。
だが、その場合、エンゲーブはきっと助からなかったかもしれない。
大より小、私より国。
今回の場合、どちらが良かったのかは未だに分からない。
自分の行動は正しかったのか、悩まない日はないのだ。
「フィル、もしかして気にしてる……?」
「え?」
ひょいと顔を覗き込まれて、フィルは思わず伏せかけていた顔をあげた。
目の前には彼の青い瞳があり、思わず身を仰け反らす。
だが、フリングスは構わずに言葉を続けた。
「気にしなくていいんだ。あれは私が選んだ道だから」
「で、でも……!」
「ああ、でも……、"私もその責を負います"だったかな?」
「!!」
ああ、覚えてる。
フィルは彼の天幕でそう言ったのだ。
彼一人に背負わせたりしないと。
落ちかけた視線を上げて、フィルは真っ直ぐに彼を見つめる。
「ええ……、将軍一人の責になんてしません。罪は、私も背負います」
「ありがとう。だから、悩むなら一緒に悩もう。私も、フィルに背負わせたいわけじゃあない。私がそうしたいと思ったんだから、ね?」
優しくも諭すようなフリングスの声に、胸が締め付けられた。
泣きたくなるような言葉。
どうして、彼はこんなに優しいのだろうか。
どうして、いつも自分の言葉を聞いてくれるのだろうか。
泣きそうになるのをグッと耐えて、フィルは大きく頷いた。
「………っ、わかり、ました! 悩むなら一緒に、ですねっ!」
「うん。その粋だ」
力一杯意気込むフィルに、フリングスは暖かく、そして穏やかに微笑んだ。
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