想い
ランプの明かりに照らされたテントの中には、ペンが紙を走る音だけが響いた。

だが、徐々にそこに一つだけ増える音。

それが聞こえ、フリングスはゆっくりと振り返った。


テーブルには腕を枕にするようにして突っ伏しているフィルの姿。
微かだが、金の髪を上下にさせて静かな寝息を立てている。

あれだけ気を張っていたが、とうとう疲れに負けたかとフリングスは微笑んだ。


夜に剣を振るう彼女と相見えた時、まるで手負いの獣のようだった。


普段の彼女からは想像出来ないくらいに敵意をむき出しにし、それ以降も何かに怯えるかのように頑なに休むことを拒否していた。

ペンを置いてフリングスは簡易ベッドにかけてあった毛布を手に取ると、フィルの傍らに音無く近づく。
その細い肩にふわりとかけてやると、頬にあった汚れをそっと拭ってやった。


「……本当に、君は昔から変わらないな…。その頑張り屋なところ…」


隣に腰を掛けてその寝顔を眺めながら、フリングスは思い出す。

そう、確か…彼女と初めて見たのは……





フリングスがまだ大佐の階級にいた頃。
フィルは女性には珍しく異例の出世をし、小尉に上がったばかりだった。

ホドが消滅し、その後に養い親となってくれたのは元元帥のマクガヴァン。
また、その親のグレン・マクガヴァンの後ろ盾が大きかったのかもしれない。

だが、彼女の出世の理由はそれだけではない。
誤りを正そうとする正義感、女というだけで甘えを捨てひたすら任務に忠実に従う姿を知る者は、徐々に彼女に惹かれていった。

しかし、上層部はそれを煙たがる。
例え上官であろうが、誤りは誤り。
自分より下の階級、それも女にそれを指摘されればプライドは傷つく。

そしてそれは『親の七光り』とされ、軍上層部には軽く見られる存在となった。


そんなある日、フリングスは修練場に一人残っていたフィルをたまたま見かけることになる。

彼女は一心不乱に様々な武器を作り出す練習をしていた。

偶然出来た譜業武器。
本人の音素に反応し、様々な武器に変わるという優れものは、扱えるものがいないという理由で上層部から彼女に渡ってきたのだ。

『扱いにくいものには、扱いづらいもの』をという皮肉を込めて―――

その話を聞いた時には、フリングスも自分の事のように怒りが湧いた。
見知らぬ女性、関わったことのない部下ではあるが、彼らもそのはず。
彼女の何も知らない上層部が、卑怯な手で軍を追い出すかのように見えて苛立ちを感じたのだ。

誰もが泣いて武器の返納をしてくる、そう思っていた。

だが、フィルは違った。

それに反抗するかのように、フィルは腕輪を使い切ってやると決意し、残り練習を繰り返していた。

腕輪に音素を流し込み、剣へと変える。
それを一振りしては、再び音素を流し、槍へ変える。

言葉で言えば簡単なことも、自らの音素を術と変えるものとはまた違う。
無機物への音素の移動は並大抵な努力では進まない。

額に玉の汗を浮かべながら、何度も変化を繰り返す。
変化を繰り返すだけではいけない、出来上がった武器を使いこなさなければいけない。

日が沈んでも彼女はずっとそれを繰り返していた。

毎日、少しずつだが、それは形となっていく。

弱音も言わず、ただ一心不乱に武器を振るう彼女は……ただ美しささえ感じた。


「……なかなか頑張ってるな、マクガヴァンのじーさんの孫は」

「陛下…」


噂を聞いてこっそりと見に来たのだろう。
ピオニーが隣でぽつりと呟いたのに、フリングスは会釈を返す。


「あれだけ頭の固いじーさん方に嫌がられてるっていうのにな。あれを使い切れるようになったからといって、あいつらがあれの努力を認めるわけもない。なのに…、なんだろうな」


負けず嫌い。
そういえば簡単かもしれないが、彼女の中には譲れない何かがあるのだろう。
兵に…、軍にいなければいけない理由が。


「俺に言えば異動だって出来るっていうのに、あいつ断るんだぜ? どう思う、アスラン」

「……確かに。彼女の噂を聞く限り、部下の信頼は厚いそうです。信頼のおける上官を置けば、もっと伸びそうな予感もするのですが…」


なぜそこまで頑ななのかは分からない。
でも、きっと彼女は……


「自分の力で…、認められたいのですかね…。もしかしたら…」



『親の七光り』と言われるからこそ、自身の力で挽回したいのだろう。
そう呟くとフリングスは自然と腰の剣を抜いて歩き出した。

それを見てピオニーも静かに笑う。


「ほどほどにしてやれよ、明日の執務に差し支えないくらいにな」


後ろから聞こえてくる主の声に、フリングスは苦笑をこぼした。

そして、フィルの前に剣を出す。

私が稽古の相手になろう、と言って――――






「まるであの頃に戻ったみたいだ」

その寝顔を横で眺めれば愛しさが膨れる。
さらりとした髪を撫でて、フリングスは独り言をこぼした。

あれから自分と彼女の関係は始まった。

彼女が自分を見て頬を染める。
何か言いたそうに口を開いては閉じ、その度に皆にいじられる。

そんな態度を取ってるからか、想いを寄せられているのもすぐに分かった。

あれほど硬い態度だった彼女が、自分に対してだけ崩れるのが楽しくて。
それを主に言ったら「性格が悪い」と言われたこともあった。

「でも…、つい待ってしまうんだ。君から言ってくれるのを」

本来なら告白は男からするものかもしれない。
だが、自らの力で乗り越えようとする彼女なら、ここは待ってあげた方が良いかもしれない。
こちらから手を伸ばすのは、まだ早い……。

その葛藤に悩んでいたら、かなりの時間が経ってしまった。
戦争もついに始まり、既に犠牲が出ている状態だ。

この戦争を止めるには、困難な点がいくつも存在する。
それでも、この危険な戦場を突っ切り、自分を頼ってきた彼女の気持ちを無駄には出来ない。

フィルの為にも、自分にできることをしよう。

フリングスは小さく微笑んで頷くと立ち上がった。
丸めた書簡を外にいる兵に渡す。
出来るだけ早く、上官であるノルドハイム将軍に渡すよう伝えて。


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