目の前で眠っているように見える彼を見て、フィルは小さく息をつく。
ベッドの脇に置かれた椅子に腰を下ろして、顔に掛かった髪をそっと避けてやる。
彼がアッシュに戦いを挑んで…そして、力の差を見せ付けられたルーク。
剣を突きつけられ、しりもちをつくルークにアッシュは悔しげな表情で言い放ったあの言葉。
『こんな屑に、俺の家族も居場所も……全部奪われたなんて……。情けなくて反吐が出る!』
あれは、アッシュの心の叫び。
悔しさや悲しさ、怒りをルークにぶつけるしかなかったかのように、彼は今にも泣きそうな顔でそう叫んだのだ。
「―――フィル、いる?」
ふと声と共に扉をノックする音が聞こえて、フィルは顔を上げると「どうぞ」と静かに言った。
「外殻大地に戻る方法が見つかったわ」
部屋に入ってきたのはティアで、開口一番そう告げてきた。
フィルは「そう」と小さく呟くと、ティアへ視線を向ける。
「アッシュがタルタロスも一緒に外殻へあげることを必要としてたから、準備にちょっと手間取ったけど…」
「そういえばそうだね。あんな巨大戦艦どうやってあげるんだろう…」
「タルタロスにパッセージリングと同様の音素活性化装置を取り付けたから、一度だけならアクゼリュスのセフィロトを刺激して、再びツリーを伸ばすことができるの」
「なぁる、セフィロトツリーに乗せられる形で外殻へあがるのね」
よく考えたものだ、とフィルは呆れ半分で賞賛の言葉をあげた。
そして、視線をルークへと戻す。
「ティアは残るんでしょう?」
「ええ…」
「そか……わたしも、必然的に戻らなきゃいけないんだろうなぁ…」
心配そうにルークを見ながら、フィルはそう少し寂しげに呟いた。
ティアが、フィルの隣に立つと同じくルークを見下ろして、そして再度フィルへと視線戻す。
「ルークのことが心配?」
「そりゃあ…、アッシュとの戦いの後に倒れたんだし、あんなことがあったばかりだから。―――ティアは…?」
「私は……―――」
ティアは軽く目を伏せて、何か言いたそうにするがそれは言葉にならなかった。
重い沈黙が流れるが、フィルは優しく微笑むとスッと立ち上がる。
「冗談だよ。ティアが心配してないはずないしね」
変なこと言い出してごめんね?と言うと、フィルはティアの頭を優しく撫でる。
「それにね、わたしはティアも心配してるよ」
「――私も?」
「そうだよ。わたし、…ルークを騙してアグゼリュスを滅ぼすことをけしかけたあいつのこと忘れたわけじゃないから」
ぽつりと呟いたそのフィルの言葉に、ティアが軽く目を開く。
元々、ルークを騙していたのはヴァンだ。
そして、ヴァンはティアのたった一人の兄。
もし自分に兄がいて、ティアと同じ境遇になったとしよう。
きっと…自分は同じ行動を取るだろう。
「…ティアがヴァンの命を狙っていた理由もやっと今理解できたって感じで…気がつくのが遅れてごめんね」
「……フィル…」
フィルが申し訳なさそうに眉尻を下げていうので、ティアは「いえ」と小さく首を振る。
そんなティアを見て、フィルは苦笑するとティアへ背を向けた。
「さて、大佐たちに呼びにくる前に行こうかな」
すたすたと扉へと歩き寄り、ノブに手をかけるとフィルはドアを見ながら振り返らずに言う。
「ルークをよろしくね、ティア」
***
「お待たせしました」
タルタロスの中―艦橋に入るとすでに仲間たちは集まっていた。
ガイとアニスとアッシュは操縦席にすわり、その後ろにイオンとナタリアが控える。
中央の操縦席にはジェイドが立っていた。
「フィル、遅いよー」
「あはは、ごめんごめん」
アニスが操縦席ごしに唇を尖らせて言うと、フィルは軽く笑って自分も持ち場につく。
「フィルは中央の操縦席へ」
「了解で…って、は?いや、そこには大佐がいるでしょう…?」
「私は、皆さんに指示を出さなければいけませんので」
「……へいへい…、―――ですが、大佐…大丈夫なんですか? わたしはともかく、アニスたちは初心者ですよ」
「ああ、最低限の移動だけですから大丈夫ですよ」
席に着きながら問いかけるフィルに、ジェイドは朗らかにそう言った。
まぁ、最低限の移動なら…と、フィルは納得して準備をする。
「ねぇ、セフィロトってあたしたちの外殻大地を支えてる柱なんだよね。それでどうやって上に上がるの?」
アニスが少し首をかしげて誰とも言わず問いかけると、イオンが優しく微笑む。
「セフィロトというのは星の音素が集中し、記憶粒子が吹き上げている場所です。この記憶粒子の吹き上げを人為的に強力にした物が『セフィロトツリー』つまり柱です」
イオンの説明に、ガイが「なるほど…」と呟く。
「要するに記憶粒子に押し上げられるんだな」
「一時的にセフィロトを活性化し吹き上げた記憶粒子をタルタロスの帆で受けます」
ジェイドがそう言うと、ナタリアが少し不安げな表情で胸の前で手を組む。
「無事に行くといいのですけれど」
「……心配するな。――――始めろ!」
アッシュの掛け声と共に、全員が緊張の中操縦を始めた。
タルタロスはゆっくりと進み、アグゼリュスを支えていたセフィロトの上に来ると停止した。
すると、戦艦に設置されていた音素活性化装置が作動し、泥の海からかすかに湧き出る記憶粒子が活性化をはじめる。
樹が枝を広げるように上空へ噴出す記憶粒子の流れに乗って、タルタロスもゆっくりと上昇した。
あげられる衝撃と、慣れない操作で操縦席にいる面々は手に汗を握る。
そして、窓に綺麗な青空が現れたとき、全員が肩の力を抜いた。
かつてアグゼリュスがあった場所にあいた穴から、外殻大地の海に着水したのだ。
「うまく上がれたようですね」
「はぁ…つっかれたぁ……」
ジェイドが眼鏡の位置を直しながら言い、フィルは操縦席にもたれかかった。
上級職についてからはタルタロスの操縦なんてほとんどしていない。
久しぶりの緊張感に、疲労感を感じた。
「それで?タルタロスをどこへつけるんだ?」
「ヴァンが頻繁にベルケンドの第一音機関研究所へ行っている。そこで情報を収集する」
ガイに問いにアッシュが簡潔に答えると、アニスが「主席総長が?」と呟く。
だが、そんなアニスの言葉にもアッシュは真面目に答えを返した。
「俺はヴァンの目的を誤解していた。奴の本当の目的を知るためには奴の行動を洗う必要がある」
「あたしとイオン様はダアトに帰して欲しいんだけど」
「こちらの用が済めば帰してやる。俺はタルタロスを動かす人間が欲しいだけだ」
「自分の部下を使えばいいだろうに」
「それはできない。俺の行動がヴァンに筒抜けになる」
ガイとアニスのブーイングに、アッシュは淡々と言った。
そんな中、ナタリアが「まぁまぁ」と間に入ると無邪気に笑う。
「いいじゃありませんの。私たちだってヴァンの目的を知っておく必要があると思いますわ」
「ナタリアの言う通りです」
ナタリアの提案にイオンが頷くと、アニスは「イオン様がそう言うなら…」としぶしぶ頷いた。
「私も知りたいことがありますからね。少しの間、アッシュに協力するつもりですよ」
ジェイドがそう言うと、フィルはおずおずと手をあげた。
「あのー、大佐…わたしは……?」
「フィルはベルケンドの港から先にグランコクマに戻っていてください」
「え!い、いいんですか?」
アニスとイオンは帰れないのに、自分だけ戻れという命令にフィルは思わず聞き返してしまう。
「ええ。アグゼリュスの件も報告しなければいけませんしね。 ケセドニアを経由すればグランコクマまでいけるでしょう?」
「分かりました。じゃあ、お言葉に甘えて…」
「いいなぁ、フィルー…」
アニスが項垂れながらそう言ってくるので、フィルはニッと嬉しそうに笑った。
「ベルケンドなら、ここから東だね。さー、あとひとふんばり!がんばろう、アニス」
「自分だけ帰れると思ってー、どうせフリングス将軍に会いたいからなんでしょう?」
「ち、違うよ!わたしは純粋に任務のことを思って――」
「うっそだー、フィル顔が赤いよぉ」
「あ…ああ、アニスーーっ!」
再びからかわれそうになり、フィルが声を荒げたその時、赤髪の青年から「てめぇら遊んでないで、手伝え!」と罵声が飛んできたので、フィルはすごすごと操縦を続けたのだった。
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