朝日が昇り、先に朝食を済ませたフィルは、父と祖父に挨拶を済ませ宿屋へと向かう。
そろそろ、ルークたちも目が覚めて出発の時間になるだろう。
祖父から聞いた話によると、橋が雨により落ちてしまっているらしい。
「そうなると、雨の影響で流れも酷いことになってると思うし…」
迂回するしかないか、と1人で悩んでいると、遠くから声が聞こえた。
顔をあげると、ティアがこちらに向けて手を振っているので、フィルは問題をとりあえず置いといて駆け寄った。
「おはようティア、もう大丈夫なの?」
「ええ、みんな準備は終わってるわ。貴方も…ご家族への挨拶は…」
「今済ませてきたよ。有難う」
ティアの優しい言葉に、フィルは自然と笑みがこぼれた。
そして、仲間たちの方へと体をむきなおすと、再度「おはようございます」と挨拶する。
「何か変わったことはありましたか?」
「はい、大佐。どうやら非常に面倒なことにフーブラス川の橋が落ちてしまっているようです」
ジェイドに早速状況を聞かれ、フィルは即答する。
だが、そのフィルの言葉にガイは驚いたのか「おいおい」と言葉をもらしていた。
「フーブラス川の橋が落ちてたって…奴らの仕業か?」
「いえ、多分災害でしょう。フーブラス川の水は氾濫しやすいですから」
フィルが苦笑して言い返すと、ガイも同じく苦笑した。
「でも、迂回すれば大丈夫だと思います。それじゃあ、参りましょうか?」
フィルがそう促すと、皆が歩き出す。
全員が門を出たことを確認すると、一度だけ街を振り返り、そして再び前を向くと皆の後を追いかけた。
***
フーブラス川にたどり着けば、案の定橋は落ちていた。
流れも急で、下手に水場に足をつっこめば、そのまま水に浚われそうな状況である。
「ここを越えればすぐキムラスカ領なんだよな」
ルークが氾濫した川を見ながら、ガイに問いかけるとガイは「ああ」と言って頷いた。
「フーブラス川を渡って少し行くとカイツールっていう街がある。あの辺りは非武装地帯なんだ」
「早く帰りてぇ……。もういろんなことがめんどくせー」
肩を落として、だるそうな表情で言うルークに、ミュウがルークの前で飛び跳ねた。
「ご主人様、頑張るですの。元気だすですの」
「おめーはうぜーからしゃべるなっつーの!」
その話し方が気に入らないのか、ルークはミュウをいきなり踏みつけて蹴飛ばす。
それを見ていたティアが慌ててミュウに駆け寄り抱き上げると、ルークをにらみつけた。
「八つ当たりはやめて。ミュウが可哀想だわ」
ティアがミュウの頭に優しくて手を置きなでると、ミュウも「みゅぅ〜」と言いながら耳をたらす。
それがまた面白くなかったのか、ルークが言い返そうとしたとき、イオンがすまなそうな表情をしていた為か、
ルークは舌打ちをするとティアとミュウに背を向けた。
「ルーク。面倒に巻き込んですみません」
その背中に向けるようにイオンはそう言う。
だが、ルークはずんずんと先に進もうと荒い足取りで歩き出す。
そのときだった。
ルークがぬれた岩に足を乗せた為か、力強く踏み出した足は勢い余ってすべる。
「うわっ!」
「ルーク!」
それにガイが慌てて叫ぶが遅い。
そのまま水に足を取られて川に落ちそうになる。
水の流れが早い川に落ちると思い、ルークは反射的に目を閉じた。
が、次の瞬間川よりも陸地側から腕に強い引力を感じ、おそるおそる目を開ける。
「っ……く」
そこにはフィルが、ルークの腕を取って流されまいと陸地で足を踏ん張っている姿があった。
「フィル……」
「ルーク様っ、うご、かないでください、ねっ!」
必死でルークの腕を引くが中々引きあがらない。
このままだと落ちる…
そう思っていると、自分の手の上に白い綺麗な手がのせられた。
その手を伝って相手の顔を見れば、イオンがフィルと一緒にルークの腕を引っ張っていた。
「イ…イオン様!?」
「僕も、手伝いっます」
ルークを助けようとしてるのだろう。
そんなイオンの気持ちにホッとしたが、ふと何かを思い眉間に皺を寄せながらフィルはチラッと後ろを見た。
ガイは、あわあわしているし、ティアはミュウを抱きしめたままハラハラ、ジェイドは……――
「ガイ殿やティアはともかく、たいっさ!手伝ってくださいよ!」
「おや?貴方1人では難しいことでしょうか?
「難しいっです!ほんと、マジでお願いしますよ!」
相変わらず飄々としているジェイドを見てフィルが叫ぶと、ジェイドは仕方がないと肩をすくめて
ルークの救助に手を貸した。
――数分後、無事にルークを助けることが出来たが、すでにフィルとイオンは疲れ果てていた。
もちろん、ルークも流されまいと必死だったのだから先ほどまでの気だるげな様子に拍車がかかっていた。
ジェイドはジェイドで「いやぁ、大変でしたね」と軽く笑っている。
それを見て殺意を覚えたことは、過去何回あったことか…
「…イオン様、大丈夫ですか?」
「ええ、僕は大丈夫です。ジェイドが手伝ってくれましたから」
イオンの純粋無垢な笑顔を見せられ、フィルは心が安らぐ気持ちになった。
さすが、導師というべきか。
そして、フィルはガイが川がどれだけ怖いものなのかということを必死で教えているルークへと
視線を向けると笑顔で問いかける。
「ルーク様も、大丈夫でしたか?」
「…………」
「あの、ルーク様…?」
必死で声をかけるが、ルークは顔を背けて何も言わない。
表情はむすっとした様子で、自分が何かしたのだろうかと思うぐらいだ。
だが、ついさっきまで川に落ちそうになっていたところ。
この状態で機嫌をよくしてくださいといっても、難しいだろう。
フィルはそんなルークを見て苦笑すると、ジェイドは「さてと」と声をかける。
「ルークの我侭も終わったことですし、先に進みましょうか?」
「わがままってなんだおい!」
かちんと来たのか、ルークはジェイドにくいかかるがジェイドは無視をしてそのまま歩いて行ってしまう。
それを見て「無視するな!」とルークは再びジェイドの背中に向かって叫ぶが、
ジェイドが振り返ることは無く、イライラしながらもルークは立ち上がりジェイドの後を追った。
そして残りの面々がそんなルークを見て深く溜息をついていたとか…
***
その後順調にフーブラス川を進むことが出来た。
ところどころ、ルークが足を滑らせそうになったがなんとか難を逃れ、
あちこちぬれてはいるが怪我はなさそうだ。
「さ、ルーク様。あと少しですよ」
フィルが声をかけるが、やはりルークは答えない。
一体自分はルークに何をしたのか、と本気で考えてしまう。
フィルは、どうすればいいか分からず、再び声をかけようとしたその時
行く手に一頭のライガが飛び降りてきて、唸り声をあげた。
「……ライガ!」
ティアが語気鋭く言った隣で、ジェイドが「後ろからも誰か来ます」と落ち着いて告げる。
フィルとガイがイオンとルークを守るように立ち、背後へと視線を向けると、そこにはぬいぐるみを抱えた少女が現われていた。
「逃がしません…っ」
少女はぬいぐるみをぎゅっと抱き悲痛そうな表情でそう言う。
「妖獣のアリエッタだ。見つかったか……」
「まずいですね、挟み撃ちですか」
ガイが目元を歪めると、フィルは腕輪に触れて槍を取り出す。
相手がいつ襲い掛かってきてもいいように、構えて瞳を細めながら警戒する。
だが、そんな中イオンがガイとフィルの間を割って前に出てきた。
「アリエッタ!見逃してください。あなたなら分かってくれますよね?戦争を起こしてはいけないって」
「イオン様の言うこと……アリエッタは聞いてあげたい……です。でもその人たち、アリエッタの敵!」
「アリエッタ。彼らは悪い人ではないんです」
「ううん……悪い人です…、だってアリエッタのママを……殺したもん!」
アリエッタの今にも泣きそうな表情で叫んだその言葉に、ルークたちは驚愕した。
一体、いつ…自分たちは彼女の母親を手にかけたのだろう…?
きっとルークなんかはそう思っているだろう。
でも、フィルやジェイドは違う。
今まで、任務としてたくさんの人を殺したこともある。
それにアリエッタの母親がいた可能性も…否定できない。
フィルがぎゅっと手を握ると、ルークは慌てるようにアリエッタの言葉を否定した。
だが、アリエッタはぎゅっと唇を噛んで、それから再びたどたどしく話し始める。
「アリエッタのママはお家を燃やされてチーグルの森に住みついたの。
ママは仔供たちを……アリエッタの弟と妹たちを守ろうとしてただけなのに……」
「まさかライガの女王のこと?でも彼女、人間でしょう?」
ティアが不思議そうに問いかけるが、イオンは悲痛な表情でゆっくりと口を開いた。
「彼女はホド戦争で両親を失って、魔物に育てられたんです。
魔物と会話できる力を買われて神託の盾(オラクル)騎士団に入隊しました」
「ホド…で…」
イオンの言葉を聞いて、フィルがぽつりと誰にも聞こえないような声で呟く。
そして、ルークも自分の行動を思い出したのか、肩を震わせていた。
「じゃあ、俺たちが殺したライガが……」
「それがアリエッタのママ……!アリエッタはあなたたちを許さないから!
地の果てまで追いかけて……殺しますっ!」
アリエッタは抱いていたヌイグルミをぐっと前に突き出した。
だが、その時、唐突に大地が揺れた。
地に亀裂が走り、紫色の蒸気のようなものが噴き上げる。
「地震か……!」
珍しくジェイドが声を動揺させた。
「でも、この蒸気みたいなものは一体…」
フィルも両足で揺れに耐えながら、噴出したものを見つめる。
そして、それに答えたのはティアだった。
「障気だわ……!」
「いけません!障気は猛毒です!」
イオンが叫んだと同時に、ライガとアリエッタの短い悲鳴が聞こえ、一同がそちらを見やる。
瘴気がまともにあたったのか、ライガとアリエッタはその場に倒れ、ルークが焦ったようにティアとイオンへと顔を向けた。
「吸い込んだら死んじまうのか!?」
「長時間、大量に吸い込まなければ大丈夫。とにかくここを逃げ……」
そうティアが言いかけた瞬間、後方も揺れで亀裂が走り瘴気がルークたちを取り囲む。
これでは、逃げることが出来ない。
「どうするんだ!逃げらんねぇぞ!」
ルークが焦ったように叫ぶ。
それに対し、ティアは何かを決意したような表情で顔を上げると、杖を構えて譜歌を歌いだした。
「…ティア……?」
「譜歌を詠ってどうするつもりですか」
「待って下さい、ジェイド、フィル。この譜歌は……。――ユリアの譜歌です!」
イオンがそう言った瞬間、ティアを中心に半球状の結界が現れ仲間たちを包み込む。
美しい歌がティアの口から発され、聞き惚れている間に視界はクリアになり、息苦しさが消えていく。
「障気が消えた……!?」
青い目を見開いて、ガイが辺りを見回す。
亀裂という亀裂からは瘴気は出ておらず、今起きたことが夢であったかのようだった。
「障気が持つ固定振動と同じ振動を与えたの。一時的な防御壁よ。長くはもたないわ」
「噂には聞いたことがあります。ユリアが残したと伝えられる七つの譜歌……」
歌い終わったティアは、冷静な口調でそう言うとジェイドが聞き出す。
「しかし、あれは暗号が複雑で詠み取れた者がいなかったと……」
「詮索は後です。早くここから逃げないと」
部下に急かされ、ジェイドは「そうですね」と軽く笑って頷き、己の手の中に槍を現出させると、
そのままアリエッタへと向き直った。
その行動の意図が分かったのか、ルークは声は叫ぶ。
「や、やめろ!なんでそいつを殺そうとするんだ!」
「生かしておけばまた命を狙われます」
「だとしても、気を失って無抵抗の奴を殺すなんて……」
「……本当に、甘いのね」
「るっせぇ! 冷血女!」
ルークが必死でアリエッタの命に対し抗議をするが、ジェイドとティアは冷たい言葉を言い返した。
それにイオンが、ルークのフォローに入ろうと口を開く。
「……ジェイド。見逃して下さい。アリエッタは、元々僕付きの導師守護役(フォンマスターガーディアン)なんです」
イオンの言葉に、ジェイドは思案の表情を作る。
そして、フィルもイオンに続いて口を開いた。
「わたしからもお願いです。彼女の気持ちは…よく分かる。
軍人として甘い判断だと自分でも分かってますが、ここはどうか」
故郷がなくなり、その悲しみを支えるように新しい家族になってくれた人がいた。
だから、その支えがいなくなった時の気持ちは…きっと耐えられないものになるだろう。
フィルはジェイドを見上げて、軽く頭を下げた。
それを見て、ジェイドは小さく溜息をつくと「いいでしょう」と槍を霧散させる。
そして、フィルの気持ちを汲み取ってかガイが苦笑しながらジェイドへと問いかけた。
「障気が復活してもあたらない場所に運ぶぐらいはいいだろう?」
「ここで見逃す以上文句を言う筋合いではないですね」
やれやれとジェイドは肩をすくめてそう言うと、フィルは「有難うございます」と言いアリエッタを亀裂のない箇所へと移す。
ルークもそれに習い、ライガも一緒にアリエッタの傍へと連れて行った。
そして、ティアが呟く。
「そろそろ……限界だわ」
「行きましょう」
イオンの言葉に、全員が頷くと一刻も早くそこから立ち去ろうとフーブラス川を走って後にした。
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