藤の花の家紋の屋敷
日も落ちて、途中藤の花の屋敷に泊まることになった。道中は意外と何も問題は起きず、まずは一安心といったところだろう。食事も終わり、あとは寝るだけというときにこれから向かう先について伊之助くんがぽつりと呟いた。

「そういや、オンセンってなんだ?」
「え、そんなことも知らないの? ほんと伊之助は野生児だな……」
「うるせぇ! 知ってるわ!!」
「お前が聞いて来たんじゃんかっ! いだっ! ちょ、なぐっ……、うわぁんっ、たんじろう〜っ!」

 善逸くんの一言で伊之助くんが拳を振り上げ、炭治郎に泣きつき始める善逸くん。
ああ、善逸くんも煽らなきゃいいのに……。街での生活というものに慣れていない、むしろ山で獣と共に育った伊之助くんは知らない事が多いのは彼も分かってるだろうに。彼の自尊心の高さも相まってか、知らないということは恥だと思ってるのだろうか。それが暴力に発展するのはいつものこと。わたしは禰豆子ちゃんの髪を櫛で梳きながら、ぼかすか殴られる善逸くんへ哀れみの視線を向けた。炭治郎も長男力を発揮して間に入り、そのいさかいを止めようと二人をべりっと剥がした。

「伊之助、善逸を殴るのをやめるんだ! 夜中だぞ? 善逸もだ。伊之助は山育ちだから分からない事が多いんだから仕方ないだろ」
「俺が知らない事なんてネェ!」
「いだっ!」

 男三人そろえばなんとやら。伊之助くんの拳の振り先が炭治郎へと向けられ、その間に善逸くんがわたしの後ろに避難してきた。まったく……、煉獄さんのことがあってから少しは成長したかと思ったのに……。

「伊之助くん。君の住んでた山に、あったか〜いお湯が沸いてるところなかった? 川とか湖とか……」

 炭治郎に矛先を決めた伊之助くんに問いかけると、彼は動きを止めて考え始めた。そして思いついたのか、大きく頷く。被り物をしているけども、なんとなく感情は読めたな…。きっと今、彼の被り物の下にある女の子ような大きな瞳はきらきら輝いてるだろう。

「ああ、見た事あるぜ! あれに浸かると怪我とかもすぐ治るんだよな!」
「滋養強壮に効くとこだったんだね。それが『温泉』だよ。今回行くところは、それを観光資源として栄えてる町なの。温泉饅頭とか、温泉卵とか、色々と美味しい食べ物もあるんだよ」
「美味いのか? あの衣のついたあれよりも?」
「それは伊之助くんが直接食べてからじゃないと、分からないかな。少なくともわたしは好きだけど」

 怪我や難病に効くお湯というだけではなく、観光地には様々な物があると説明したら、伊之助くんは興味を持ったのか何度も頷きを返してくれた。なんだかんだで新しいものに興味はあるんだよねぇ……、伊之助くんって。

「知りたいなら知りたいって言えばいいのに……、ぼかすか殴りやがって……」
「善逸くんが煽るような言い方をするからいけないんでしょ?」
「鈴ちゃんは伊之助の味方するの!?」
「わたしは正しい人の味方です。はい、禰豆子ちゃん綺麗になったよ」

 ショックを受ける善逸くんに構ってると夜が明ける。禰豆子ちゃんの髪から手を離して背中を優しく撫でると、禰豆子ちゃんはスリッとわたしの膝に頭を乗せてきた。

「ああ、禰豆子。せっかく髪をといてもらったのに……」
「いいよ、炭治郎。ふふ、本当に可愛いなぁ」

 甘える禰豆子ちゃんが可愛くて、ついなでなでしてしまう。こうしていると自分の弟の事を思い出す。弟も甘えるのが好きだった。いつもわたしの後ろをついて歩いていたっけ? 生きていれば今頃……―

「鈴ちゃん……?」

 ふと善逸くんの心配そうな声にわたしは我に返った。顔を上げると、善逸くんも炭治郎も心配そうにこちらを見ている。そんなに分かりやすい顔をしてた……?
わたしは慌ててなんでもないと笑って誤魔化して軽く手を振ってみせた。だけど、この二人にそんな誤魔化しが効かないのは百も承知である。すると、禰豆子ちゃんがくいっとわたしの手を取ると、布団の方を指さしてくれた。その意図が分からずに首を傾げていたら、炭治郎がぽんっと手を打った。

「ああ、鈴と一緒に寝たいんだな? 禰豆子」

 炭治郎の問いかけに禰豆子ちゃんが頷いた。本当に…、この兄妹は……。わたしが感傷的になっているのに対して、陽だまりのような優しさを与えてくれる。嬉しくて涙が出そうになるのをこらえて、わたしはそれを受け入れようと微笑んだ。

「うん、一緒に寝よっか? 禰豆子ちゃん」
「あ、いいな! 俺も一緒に!」
「善逸くん、寝言は寝てから言った方がいいよ」
「酷いっ!」

 わたしよりも泣きそうな声で善逸くんが叫ぶ。これも善逸くんなりに心配してくれてるんだって分かってるんだけど、どうしても扱いが師匠と同じになってしまった。それに笑ってしまえば、わたしは禰豆子ちゃんの手を引いて隣の部屋に移動しようと、彼女の木箱も一緒に持って廊下に出た。

「冗談だよ善逸くん、心配してくれてありがと。それじゃあ、おやすみなさい」

 先ほどまでの感傷的な気持ちも落ち着いて、わたしは笑顔を向けると禰豆子ちゃんと共にその場を後にした。

**

「あああっ! もう本当に可愛いっ! 鈴ちゃん可愛い! 禰豆子ちゃんもだけど、本当に可愛くて俺死にそう!」

 鈴ちゃん達が女子部屋に移動したのと同時に、俺はじたばたと布団の上で悶えていると、炭治郎から柔らかな視線が送られてきた。ちょ、なにその目。

「うんうん、善逸……。本当に鈴が好きなんだなぁ……」
「そうしみじみというのやめてくれる!? ちょっと恥ずかしいんだけど!? やらないからね!? いくら炭治郎が鈴ちゃんと幼馴染でも!」
「やらないって……。鈴は物じゃないんだぞ?」
「分かってるわい! そんなこと!」

 まっとうなご意見ありがとう炭治郎! だけどそういうことを言いたいんじゃないの!
 心の中で俺がツッコミを入れると、確かに一度落ち着いた方がいいと布団に改めて横になる。ふと隣を見れば伊之助は既に寝入っているのか、やけに静かだ。天井をしばらく見つめていると、炭治郎が布団に入る音が聞こえてきた。

「……。なぁ、炭治郎」
「どうしたんだ……?」
「鈴ちゃん……、大丈夫かな? なんだか辛そうな音がした……」

 禰豆子ちゃんを撫でているとき、悲しさと寂しさを表すような音が鈴ちゃんからしたんだ。普段そんな様子を見せないから、尚更心配してしまう。炭治郎も匂いで分かったのか、神妙な声が聞こえてきた。

「狂舞さんが心配していたことが現実にならなきゃいいな……。もしそうなら、鈴には辛すぎる……」

 俺と同じく天井を見上げながら、炭治郎が不安を口にした。狂舞さん、……煉獄さんの代わりとして立たされた舞柱。そして、鈴ちゃんの育手で師匠であるあの人が現れたのは、俺達に指令書が送られてきたときのことだった。
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