よっつめ
└九
「ふぅ……」
お婆さんはゆっくりと息をしながら、白湯の入った湯飲みを置いた。
「ご迷惑をお掛けして…」
「いえ、私こそ強引にすみません…それより本当に横にならなくて大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ、ありがとう」
小さく笑うと、お婆さんは薬の入っていた巾着を懐にしまった。
さっきまで激しく上下していた細い肩は、今はゆっくりと動いている。
心なしか青褪めた頬も、幾分色を取り戻したように見えた。
「あの…どこか悪いんですか?」
少し遠慮がちに問うと、お婆さんはそっと胸に手を当てる。
「ええ…胸がね、若い頃からあまり丈夫じゃなくて」
「そうなんですか…」
お婆さんは再び小さく笑った。
「でもね、お薬を飲めばこの通り。びっくりさせてしまってごめんなさいね」
「いえ!そんな…」
さっき降り出した雨は本格的になり始め。
窓の軒先をぽたぽたと雫が落ちていく。
白く煙り始めた町並みが、妙に心許なく感じた。
お婆さんはそんな窓の外を、ぼんやりと眺めている。
少し振り返る横顔が、若い頃はたいそう美人だったろうと容易に想像できた。
いや、若い頃だけじゃない。
質素な着物では誤魔化しきれない、楚々とした佇まいが滲み出ていた。
「あの…立ち入った事を聞いてごめんなさい」
「え?」
お婆さんは窓の外に向けていた視線をこちらに戻す。
そして優しそうな目元を下げて、私を伺った。
「あの…桜のところで何をしていたんですか…?」
「え……」
「わ、私もこの辺の人間じゃないんですけど…この辺りの人はあの桜に近づかないって聞いていたから…」
何だか自分の質問がすごく失礼な気がして、思わず早口になってしまう。
そんな私がおかしかったのか、お婆さんはフッと笑いをこぼした。
「す、すみません、おかしな事を聞いて……」
「ううん、いいのよ。そうよね、あんな所で人が蹲っていたら何故だか気になるものね」
お婆さんはクスクスと笑いながら、再び窓の外を見遣った。
「…人をね、待っていたのよ」
「え?」
「ずっとずっと昔に約束を破ってしまったから…」
そう言って彼女は淋しげに笑う。
「そうね…私があなたと同じ歳か…もう少し下だったかしらねぇ」
お婆さんは私に向き直ると、ゆっくりと話し始めた。
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