よっつめ
└六
『…結!』
体を引かれたままに勢いで、背中がどんっと何かにぶつかる。
すぐに頭上から薬売りさんの声がした。
「あ…薬売り、さん…」
ゆるゆると見上げると、薬売りさんは眉を顰めて私を見ている。
私と目が合うと、さらに眉間の皺を深くした。
『…何をしているんです』
「あ…いえ、私…」
『窓辺に寄りすぎたら危ないと言ったでしょう』
「…ごめんなさい」
背後から私を抱えたまま、薬売りさんが呆れた溜息を零す。
そしてそのままおもむろに手を伸ばして、私の手を握った。
『…手、冷えてるじゃないですか。風呂に入った意味が無い』
「う…あ、あの、薬売りさん、あそこの桜のところにいる人」
両手をぎゅうぎゅうと結ばれて、私は視線で窓の外を指す。
薬売りさんは訝しげに暗い窓の外を睨んだ後、私を解放して窓辺に寄った。
『………結』
窓辺から桜を見ているだろう薬売りさんは、私に背中を向けたまま私を呼ぶ。
私は言われるがままに彼の隣に座った。
「…あれ?」
『誰もいませんよ』
「そんな…どこかに行っちゃったのかな?」
自分で言っていて白々しいと思う。
「…………」
―彼が人間じゃないなら、姿を消すことなど造作ない事だ。
『…結』
「………」
『髪…まだ濡れてるじゃないですか』
無言のまま桜を見つめる私の肩を薬売りさんが引いた。
無理矢理自分に向き合わせると、手拭でわしわしと髪を拭く。
『…結、もうあの桜を眺めるのは止めなさい』
「…はい」
『近付くことも禁止ですよ』
俯いたまま小さく頷くと、薬売りさんは溜息を吐いた。
『…頼りないな』
ぽつりと呟いた言葉に、私は何も返せなかった。
だって、そう言われた今でも、私はあの桜が気になって仕方ない。
一瞬目が合ったあの青年の姿が脳裏にこびり付いて離れないのだ。
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