ひとつめ
└五
「…はぁっ」
溜息交じりに掛け布団を広げる。
お世辞にも良いお布団とは言い難いけれど、疲れを取るには十分だ。
「……………」
微妙な距離を保って敷かれた二組の布団を見て、またこっそり溜息。
…あんな風に私をからかうのは、薬売りさんに取って大した事じゃ無いんだろう。
でも、私にはそうじゃなくて。
それがまた悔しくて、正直悲しくもある。
"誰がなんと言っても…あなたが好きです"
そんな風に言ってくれた事もあったけど、それってたぶん…
(私を宥めるためだったのかもなぁ…)
嫌われてる、とは思ってない…きっと大事にされてる。
ただ自信がちょっと無くて。
(…たぶん…好きすぎるんだ、私が…)
今までたくさん助けてもらって、たくさん守ってもらって。
膨らみすぎた私の気持ちは、認識すればするほど苦しくなる。
好きってもっと楽しくてフワフワしたものかと思ってた。
でもそれは私が子供だったからで…
小さい頃は、欲しいものや好きなものに無邪気に手を伸ばしていたけど、大人になったらそうも行かない。
「…嫌われたくないとか、幻滅されたくないとか」
自分の想いだけを突っ走らせるだけじゃ、上手く行かない事を知ってしまった歳なのだ。
「…うーーーん…」
ぼすっと枕に顔を突っ伏した時。
『…何してるんですか』
「ひぃっ!」
いつの間にか寝支度を整えた薬売りさんが呆れ顔で立っていた。
「お、お風呂入ったんですか?」
『えぇ、とっくに』
まだ乾ききらない髪を掻き上げながら、薬売りさんはちらりと布団に視線を投げる。
別に何か言われた訳ではないのに、私の胸はドキンッと音を立てた。
「ま、まだ雨止まないんですね!」
『…………』
「…あの…私もう寝ますね?」
薬売りさんは部屋に入ると、無言のまま自分の布団をジッと見ている。
そしておもむろに敷き布団に足をかけると。
「えぇ!?」
布団を部屋の端に蹴飛ばした。
何が何だかわからない私は、体半分を布団にいれたまま固まってしまう。
そんな私を尻目に、薬売りさんはくるりと振り返ると私の布団に入ってきた。
「え?ちょ、お布団…え???」
『…やかましいですね』
「うわっ」
薬売りさんは眉間に皺を寄せて面倒そうに吐き捨てると、私ごと布団に潜り込んだ。
そしてガッチリと私を抱きかかえると、眠たそうに欠伸をひとつ…
「…!?」
固まった体と思考回路に、心臓の音だけがうるさい。
顔を上げられないままでいると、頭の上で小さな溜息が聞こえる。
『…いい加減慣れなさい』
「……だって…」
『野宿の時はこうして寝てたじゃないですか』
「それは薬売りさんが野犬とか脅すから…」
『あーはいはい』
薬売りさんはくつくつと喉の奥で笑うと、『結』と私の名前を呼ぶ。
ずっと俯いたままの私は、その声音があまりに優しいもんだから…
つい素直に顔を上げてしまった。
「―っ」
上げたと同時に、おでこに柔らかな感触。
閉じ損ねた視界には、薬売りさんの白い首元。
すぐに離れた柔らかさは、次いでギュウッと抱きしめられる甘い締め付けに変わる。
『…さぁ、寝ますよ』
「……はい」
背中に回された手が、ポンポンッと宥めるように撫で付けられて。
後ろ髪に差し込まれた指が、するりと髪を梳いた。
「…………」
私は早くなる鼓動が薬売りさんにばれないように祈りながら彼の胸に顔を埋めた。
薬売りさんの体温はちょっと低くて。
でも私はそれですらぽかぽか温かくて…
山歩きの疲労に段々と意識がまどろんでいくのを感じながら、そっと彼の着物を握った。
―――……
ガサッ
「あ、お兄!」
「どうだった??」
暗闇に三人分の瞳が光る。
茂みを潜ってきた"お兄"と呼ばれたものは、ふうっと息を付くと額を拭った。
「…今は和尚が留守のようだ」
「え!じゃあ…!」
「ただし、見ない顔の男と女がいる」
「和尚の仲間か!」
"お兄"はこくりと頷くと、ギラリと目の光び怒りを灯す。
「…和尚本人だろうと仲間だろうと、一緒だ…仇は必ず取る…!」
"お兄"の言葉に残りの2人は力強く頷いた。
「早速作戦を開始しよう!」
「おー!!」
そして三つの影は再び暗い山奥へと消えていく。
いつの間にか雨は上がり、流れる黒い雲の陰の隙間から満月が覗き込んでいた。
二ノ幕に続く
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