ふたりぼっち | ナノ




ひとつめ
   └四



「薬売りさーん、お先に頂きましたー…ん??」


乾いた浴衣に着替えて廊下を歩いていると、何故か香ばしい匂いが漂ってくる。

クンクンと鼻をきかせながら部屋を覗く。



「…な、何してるんですか…」



障子を開けた途端、もくもくと煙が立ちこめた。

咽せながら見てみれば、薬売りさんは小さな火鉢で干物のようなものを焼いている。



『…台所をあさったら、棚の奥に隠してあったんですよ。とんだ生臭坊主ですね』



しれっと言いながら、お酒まで飲んでいるではないか…



「そんな…ダメじゃ無いですか…」

『ダメなのはこんなものを隠し持っている和尚の方でしょう?』

「ま、まぁ…けほけほっ」



煙を仰ぎながら座ると、薬売りさんは『もういいでしょう』と呟いて、火鉢に蓋をした。

そしてこんがりと焼けた干物をほぐしながら、ちらりと私を見る。



『…結、来なさい』

「え?何です…?」

『いいから』


(な、何だろう…?)



ドキドキしながらも、そっと薬売りさんの方へ歩み寄れば。



「え、うわ!!」


どすん!



急に足首を掴まれて、しかも引っ張るものだから、私はそのまま強かに尻餅をついてしまった。




「いたた…急に何するんですか!」

『………』



薬売りさんは涙目になる私を、楽しそうに見ている。



(よ、酔ってる!?それにしたって…)



私は持ち上げられた足のせいで、はだけた浴衣の裾を必死に直していた。




「離してください!浴衣が…いいいぃいい!!!!???」

『…………』



薬売りさんは足を掴んだまま、あろう事か鼻緒で皮剥けた箇所ぐりぐりと押した。

駆け抜けるような痛みで、とうとう目尻に涙が溜まってしまう。



「痛…痛いです!!」

『…何で黙ってたんです』

「えぇ!?」



ブスッとしたまま薬箱をカタカタと弄ると、小さな薬壺を取り出した。

器用に片手で蓋を開けると、長い指で軟膏を掬う。


私は自分の格好も忘れて、流れるような綺麗な仕草についつい見取れてしまった。



『少し沁みますよ』

「……っ」



言葉や表情とは裏腹に、薬売りさんは丁寧に軟膏を塗っていく。

くすぐったさと気恥ずかしさが入り交じって、私は彼を直視できなくなってしまった。



『まったく…何のために薬箱があると思ってるんです』

「ご、ごめんなさい…」

『そもそも結は山歩き自体慣れてないんだから、無理することないでしょう?』

「…だって」



口籠もる私を、薬売りさんは手当てしながらちらりと見る。


…お風呂での思考回路が薬売りさんにばれてしまっていたのだろうか?

妙に居た堪れない気分になって、私は半ば白状するようにポツリと零した。



「だって…これからの長旅、そんなに弱音ばかり言ってたら…薬売りさんが愛想尽かしちゃうかも知れないじゃ無いですか…」




今まで、たくさんの人にたくさん甘えてきた。


でも、あの旅立ちの日。

薬売りさんと、歩いて行くと決めた。


彼と一緒に、彼の隣で景色を見ていくと、そう決めたのだ。

もう甘えてばかりいられない。



『…………』

「…薬売りさん?」



薬売りさんは少し深めに俯くと、わざとらしく咳払いを一つ。

そのまま無言で私の足に綺麗な布を当ててくれた。



『……急にそういう…』

「え?」

『………何でも無いです』

「???」



小さく呟くと、薬売りさんは少し顔を背けてはぁっと息を吐く。

その頬が少しだけ赤いような…?



(やっぱり酔ってるのかなぁ?)



何だかいつもと違う彼に首を傾げていると、薬売りさんはまた器用に片手で薬壺を仕舞った。




「ありがとうございました」

『ここを出る頃には痛みも引いてるでしょう』

「はい……あ、あの…」

『…干物食べますか?ほぐしておきましたよ』

「………足、離してください…」

『…………』



治療のためとは言え、さすがにこのままの体勢は恥ずかしい…

何となく薬売りさんの顔を直視できなくて、着物の裾を必要以上に直しながら俯けば。




ぐいっ


「ちょっ!!!」



薬売りさんはしれっとした顔で、更に私の足を引いた。

勢いに引き摺られて、私は畳に背中から倒れ込んでしまう。


薬売りさんは驚く私を見て、ニヤリと笑うとそのまま体重をかけてきた。




「え、ちょ、薬…」

『…ほら、口開けなさい』



そう言った彼の手にはほぐされた干物の身。

箸でひょいと持ち上げながら私の口元に差し出す。




「ま、待ってくだ…」

『やだ。ほら、あーん』


(や、やだって…)



ずいずいと迫ってくる薬売りさん…と言うより干物に、おずおずと口を開いた。

すかさず放り込まれた干物は、焼き立てなだけあってほくほくしている…



『…美味しいでしょう?』

「…………」



私はもぐもぐと口を動かしながら、無言のまま頷く。


…本当は至近距離で薬売りさんに覗き込まれて、味なんてよくわからない。

暴れるように脈打つ心臓の音が、薬売りさんに聞こえてしまいそうで。


悠長に味わってる余裕など無い。




『…お酒は…』

「へ……」

『香り…だけにしておきますか』

「!?」



クスッと妖しい笑みを湛えた薬売りさんの唇がゆっくりと迫る。




「え、ちょ、まっ……」

『…………』



完全に混乱状態になった私は、思わず両手で薬売りさんの口元を押さえてしまった。

予想はしていたけれど、薬売りさんの眉が不機嫌そうにピクリと動く。



『…………』

「だ、だって、あの……」

『…何です?』



怖々外した手の陰から、薬売りさんのむすっとした声が零れた。



「ほ、仏様が…見てます…」

『……………』

「……………」



薬売りさんは小さく溜息を吐くと、ゆっくりと体を起こす。

そして同時に、掴んでいた私の足首も離してくれた。



「…お、お布団の用意してきますね!」

『はいはい、頼みましたよ』



すかさず起き上がった私を見て、薬売りさんは楽しそうに笑って。

その涼しそうな顔がむかつくやら悔しいやら…



(……もう!すぐからかう…!)


私は薬売りさんの押し殺した笑いを背中で聞きながら、奥の小さな部屋に向かった。



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