ひとつめ
└三
(え……?)
…何かがおかしい。
私達の前にはひっそりと仏像が佇んでいて。
ふと横を見ても、薬売りさんは変わらず目を閉じて手を合わせている。
(…おかしいな)
首を傾げながら、再び仏像に向き直ると。
「!!!」
さっきまで穏やかな顔をしていた仏像の目が…開いている。
そしてきょろきょろと私達を見回しているのだ。
「……っ!?」
更にはふと私を見ると。
真っ赤な舌を、小馬鹿にしたようにベェッと出した。
「くっくくくく薬売りさん…!!!」
私は腰が抜けそうなのをどうにか堪えて、薬売りさんの着物の袖を引っ張った。
しかし慌てる私とは裏腹に、薬売りさんはのんびりと目を開く。
『…何です、落ち着きの無い』
「落ち着いてなんていられないです!いま仏像が……って…あれ??」
泣きそうになりながら指さした仏像は、元の穏やかな顔をしていて。
「え?あれ??何で…?」
目を白黒させていると、薬売りさんが小さく溜息を吐いた。
『…疲れてるんですかね』
「え!?ちが…!信じてください、本当に今仏像の目が動いて、舌も出したんです!」
『………はいはい』
薬売りさんはいつもの無表情ながらも、若干哀れんだように私を見ている。
それが何だか悔しくて、私は尚もムキになって説明しようとした。
…が。
『…確かに顔色が良くない』
「……っ」
するりと撫でるように薬売りさんの指が私の頬を滑る。
そしてそのままポンポンっと頭を撫でた。
『風呂でも沸かしましょう。さすがに冷えました』
宥め賺すような仕草に、私は言葉を無くしてしまって。
立ち上がろうとする薬売りさんに、無言のまま頷いたのだった。
『…………』
微かに上がった、彼の口角に気付かないまま…。
―――……
「う…いたた……」
お風呂を沸かした後、薬売りさんに先に入るようにきつく言われた私は、そーっと湯船に足を入れていた。
「うわー…皮がむけてる…」
慣れない山道を濡れた草履で歩いていたせいか、親指と人差し指の間が見事に皮剥けしている。
お湯の温かさに痛みが慣れた頃、ようやく肩の力を抜いた。
「はぁ…温まる…」
もう初夏とは言え、やはり雨は予想以上に私の体を冷やしていたらしい。
立ち上る湯気に、思わず目を細めた。
―薬売りさんと知り合った頃。
お世話になっていた旅籠、"扇屋"では大きな浴場があった。
いつも手足を伸ばして温かい湯に浸かれたのは、とんでも無く贅沢だったと改めて思う。
特に行く当てもなく始まった旅で、私は初めての野宿も経験した。
お風呂も入れない日があって当たり前なのだ。
「…………」
でも、それは決して辛いことでは無く。
そりゃ、今まで経験したことの無いような事もたくさんあるけれど。
"一緒にいればいいじゃないですか"
私にとって、どんな場所でどんな環境であろうと、薬売りさんと一緒にいられる事が一番大事なのだ。
記憶を無くした私を、後ろ暗い過去のある私を…
私の手を取ってくれた彼のそばにいる。
薬売りさんと一緒に、歩んでいく。
それが私の願い。
そしてそんな薬売りさんの隣をしっかりと歩ける人間になること。
これが私の目標なのだ。
「…………」
しまった…
自分の回想でのぼせそうだ…
(薬売りさんだって体冷えてるよね、早く出ようっと)
お湯のせいか、それとも自分の頭の中のせいか…
赤くなった頬を抑えながら、私はお風呂場を出た。
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