みっつめ
└二十七
旦那さんはそんな私に気付かずに、まだぼんやりと家の方を見ていた。
薬売りさんは少しだけ私を振り返ると、自分の唇に人差し指を立てる。
「…………」
私は口を抑えたまま、こくこくと頷いた。
『…そう言えば、ここら辺でろくろ首が良く目撃されてるって、ご存知ですか?』
「えっ?ろくろ首!?」
『えぇ、首の長い怪です』
「あぁ何となく聞いたことがあるなぁ」
旦那さんは顎に手を当てると、ちょっと首を傾げる。
薬売りさんはさっきと違う、いつもの不敵な笑みを浮かべて続けた。
『いちゃつくのに懸命で噂話すら入ってきませんでしたか?』
「な…っ!」
『でも気をつけてくださいね?ろくろ首は情が深い女…まぁ、それが行き過ぎて嫉妬の塊になった女がなるものですから』
「あんた何なんだ!さっきから…」
『意外に淑やかで控えめな女ほど、我が強いですから………おや』
フッと旦那さんの横に薬売りさんの視線がずらされる。
それにつられて旦那さんも横を見た。
「ひ、ひぁ…っ!?」
旦那さんの顔の少し後ろ。
そこには恨めしそうに旦那さんを横目に見る小夜さんの顔があった。
もちろん、あったのは顔…だけだ。
「さ、小夜!?お前…っ!」
「ひどい…ひどいひどいひどいひどいひどい」
ろくろ首になった小夜さんは、ぎょろんと目を見開いたままボロボロと泣き始める。
あまりの異様さに旦那さんは唇を震わせて青褪めていた。
薬売りさんはその様子をジッと見ながら、私を庇うように背中に隠す。
私は薬売りさんの帯にギュッとしがみついた。
「嫁は見合いで仕方なく結婚したって言ったじゃない本当に好きなのは私って言ったじゃないひどいひどいひどい」
「う、うわああああ!!」
小夜さんの首は、呪詛の様に恨み言を呟きながらゆらゆらと旦那さんの周りを飛び始めた。
その姿も充分恐ろしいのだけど、もっと恐ろしいのはその恨み言の内容だ。
「別れて私と一緒になるって言ったじゃないどうして煮物が食べたいなんて卑しいこと言うのよ私だってあなたに煮物くらい作るわよあなたのために何だってするわあなたのためにあなたのために」
「や、やめ…小夜…この化け物!」
「化け物だなんてひどい私はあなたを愛してるのにあなたは私のものなのにあなたは私だけのものなのにぃぃいいい!!!!」
「うわあああああ!」
最初に見た彼女の淑やかさなど、もう微塵もない。
薬売りさんの言うとおり執着に狂う、ただのモノノ怪に見える。
ただ、ひん剥かれた血走った目からボロボロ落ちる涙にだけは少し胸が痛んだ。
「た、助け……」
ガタガタと震えながら、旦那さんが薬売りさんに手を伸ばす。
ただ静観していた薬売りさんは、ちょこっと首を傾げると、
ぱしっ
「!?」
旦那さんの手を叩き払った。
背中に隠れていた私だけでなく、当の旦那さんも目を丸くして呆然としていた。
『…いいじゃないですか、これからもどうぞ睦まじく』
「え?え?ちょ、待……」
薬売りさんはニコリと笑うと、そのままぴしゃっと戸を閉める。
そしてサッと出したお札を綺麗に戸に貼り付けた。
「ちょ、助けてくれよ!あ、開かな…!?…うわぁあああああああ!!!!」
戸はしばらくガタガタと揺れていたけれど、旦那さんの悲鳴と共に静かになった。
「く、薬売りさん…」
しんっと静まり返った通りで、おずおずと薬売りさんに声を掛ける。
薬売りさんはゆっくり振り返ると、フンッと鼻を鳴らした。
『…あの手の遊び人は…同じ男としても大嫌いなんですよ』
「ま、まるっと同意です…」
小さく頷く私に、薬売りさんは『怖かったですか?』と言ってくしゃくしゃと頭を撫でる。
そして首をゴキッとひとつ鳴らすと、
『さ、高砂組に戻りましょう。もう宴会が始まってますよ』
そう言って、夕暮れの通りを戻り始めた。
あの家の中がどうなっているのか…
そう考えると背中を冷たいものが走る。
チラッと藍色の暖簾を見て、私も薬売りさんと容子さんの元に向かった。
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