ふたりぼっち | ナノ




みっつめ
   └二十六



― 終幕 ―


『ごめんください』


薬売りさんは戸を叩きながら声を掛ける。




「…………」



藍色の暖簾。

少し端の欠けた戸…


この町で信介さんたちに出会った日。

ここから覗いた細い腕を思い出していた。





「どなた様で…?」



ややして、か細い声が戸の向こう側から聞こえた。

甘えたような、淑やかな声だった。




『…こちらに高砂組の若旦那が居るでしょう?』

「……っ」

『女将の容子さんから言伝がありまして』




姿は見えないのに、慌てている様子が手に取るようにわかる。

がたがたっと音がした後、ゆっくりと戸が開いた。




「…あれ?あなたは…」

『どうも』



顔を出したのは旦那さんだった。

薬売りさんと私の顔を交互に見て、ヘラッと笑う。




「容子の言伝って言うから…びっくりしたよ、一体何の用だい?」


(……この人……)




締まりの無い顔の旦那さんを見ていて、段々と苛々してきた。


この人のせいで容子さんはどれだけ苦しんだと思っているんだろう。

どれだけ影で泣いていたと思っているのか。


旦那さんの居ない家で、どんな気持ちで帰りを待っていたと…




「…………」




自分でもわかるくらいに眉間に力が入る。




(皺…皺…)



何となく指でぎゅぎゅっと眉間を伸ばしていると、視界の隅で薬売りさんがクスッと笑った。




『あぁ、そうでした。御礼を言わなくては』

「へ?御礼って…」

『ここ三日ほど高砂組にお世話になりまして』




薬売りさんは旦那さんに向かって、ニコリと営業用の笑顔を見せる。

旦那さんはそれを見て少し緊張が解けたのか、更に緩んだ表情に変わった。



(…こうやって見ると…)



旦那さんのふわっと垂れた目元は、いわゆる"優男"という物なのだろうか。


物腰の柔らかい優しそうな人に見える。

大工家業とは程遠く、何だかちょっと優雅な感じ…


が、このヘラヘラ顔の裏で、懸命に支えてる人が泣いているという事実がそれを台無しにする。




(薬売りさんの無表情の方がマシじゃない!)



一人プンスカ怒っていると、はたと旦那さんと目が合った。

旦那さんは優しげな目元をふわりと緩める。




「あぁ、そう言えばそこのお嬢さんに見覚えがあるなぁ」



がちゃん!!!



「!?」



急に鳴り響いた音に、ビクッと肩が揺れた。

同じように驚いた旦那さんが振り返ると、奥から「ごめんなさい」と声がする。




「いや、大丈夫かい、小夜…怪我は?」

「ええ、ちょっと皿を…」



私もちょっと覗いてみれば。

どうやら中で小夜さんがお皿を落としたらしい。


小夜さんは欠片を集めながらも、チラチラとこちらを気にしている。




『大丈夫ですか?』

「あ、あぁ…それで言伝…」

『そうそう、容子さん。彼女、いい奥方ですね』

「え?あー…それは…どうも」




薬売りさんは若干わざとらしく話を逸らした。

旦那さんは中の小夜さんを気にしつつも、笑顔を絶やさない。



『多くの職人さんをしっかりと纏め上げて、高砂組は大繁盛』

「ははは…」

『それに料理も上手い』



この言葉に旦那さんがぴくりと反応した。




「そうなんだよ…!俺が言うのもあれだけど…容子の」

『煮物』

「そう!出汁をしっかり取るからか、こう…香りが違うんだ。糠漬けは食べたかい?」

『えぇ、そこらの旅籠よりいいお味でした』

「容子は毎日ちゃんと糠床の手入れをするから…それにしっかりお袋の味を受け継いでくれて」




容子さんの料理の話になると、旦那さんは嬉しそうにぺらぺらと話し始める。

夕飯時のせいか、今にも涎を垂らしそうな勢いだ。




「あぁ腹が減ってきたなぁ…今日は確か棟上げだったからご馳走だろうなぁ」




旦那さんはそう呟きながら自分の家の方向に視線を投げた。

その時。



「……っ!!!」



私は悲鳴を上げそうになって咄嗟に口を抑えた。



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