みっつめ
└二十一
― 五ノ幕 ―
私達は容子さんに連れられて、彼女の寝室に来た。
部屋の窓辺には、ぐるりと薬売りさんのお札が貼られている。
不思議な文様をジワジワと滲ませているそれは、そこはかとない恐怖を漂わせていた。
「…これ、ちょっと不気味ですね」
お札を見て、容子さんが小さく笑う。
薬売りさんもフッと笑みを零すと、
『…よく言われます』
と返した。
容子さんに促され、私達は彼女を向き合って座った。
弱い行燈の灯りが三人をぼんやりと照らす。
"ろくろ首の正体は、私です"
そうはっきりと薬売りさんに告げた容子さんを、ちらりと窺えば。
思いの外、彼女の表情は落ち着いたものだった。
(……容子さん…)
どうして容子さんは薬売りさんにわざわざ自分の事を話したんだろう…
知らぬ顔を通す事だって出来たはずなのに。
いろんな事が頭を駆け巡っていると、容子さんが口を開いた。
「…私と主人は、見合い結婚だったんです」
じりっと行燈が揺れる。
「私の実家は材木商を営んでいて、小さな頃から木に囲まれて育ちました。木の香りが大好きでよく手伝ったもんです」
「………」
初日に檜風呂を嬉しそうに見せてくれた容子さんを思い出した。
容子さんにとって大工の家業は天職なのかも知れない。
「高砂組とは父と先代が懇意にしていて…それで縁談が持ち込まれたんです」
『…商売のため、ですか?』
「それが大きな理由でしょうが…私はこんな見てくれですから…嫁の貰い手に心配したんでしょうね」
容子さんは自嘲気味な笑いをこぼす。
行燈の灯りが容子さんの瞳に滲んだ気がした。
「…最初はいくら家業のためとは言え、主人の方から断られると思ってました…初めて会う彼はとても柔和で、職人の家の跡継ぎにはとても見えなかった…腕なんかも細くて。そんな人が私なんかを選ぶ訳が無いと…」
『でも…彼はあなたを選んだ』
「……本当は…ただのお愛想だってわかっていたんです…でも…彼は私の手を取って…」
―容子さんの手は働き者の手ですね、とても綺麗な手だ。
―今度からは僕も一緒に、働き者の手になるよう…君を支えていくよ。
―二人でいい夫婦になろう
「………っ」
「容子さん…」
彼女の目から大粒の涙が落ちて、膝で合わされた手で弾けた。
そして容子さんは震える声で続ける。
「…初めてでした…ずっと自分の容姿に自信も無かったし、あんな風に女性として優しくされたのは…嬉しかったんです…本当に嬉しかった…っ」
容子さんが小さく笑うのは、自分に自信が無いから…
浮気している旦那さんを責められないのは、優しく手を取ってくれた事が忘れられないから。
「………っ」
彼女の苦しみが、やっとわかった気がして、私もぼろぼろと泣いてしまった。
薬売りさんも少し苦い顔をして、黙って彼女の話を聞いている。
「でも…」
容子さんは涙を拭わないまま、ぽつりと呟いた。
「私みたいな女にも優しい人は…誰にでも優しいんですよね…」
『………』
「彼が女遊びばかりしているのは、夫婦になってすぐにわかりました…それでも私は仕方が無いと諦めました。例え彼が総領の甚六でも構わなかった。気難しい舅や姑に厳しくされても耐えられた。彼が大工になる気が無いなら、私が職人さんの士気を高められるよう努めようと思えた…でも」
「容子さん…」
「きっと私はどこかで"彼に嫌われたくない""これ以上醜いと思われたくない"…そう自分に言い聞かせて。腹の底じゃ嫉妬の塊だったんでしょうね…」
容子さんはスッと窓辺を見つめる。
薬売りさんのお札がジリジリと音を立てていた。
→21/34[*前] [次#]
[目次]
[しおりを挟む]