ひとつめ
└二
そして…
ガサッ
『―!』
「ひゃ…っ」
茂みが一際大きく揺れて、のそりと人影が現れた。
思わず目を瞑ると…
「あれ?あんたらこんな山奥で何してるんだ?」
「へっ!?」
予想外に暢気な声に、私は恐る恐る目を開けた。
薬売りさんの背中からひょこりと覗けば。
「お…お坊さま…?」
そこには袈裟姿に蓑と笠を身につけた大きなおじさんがいた。
お坊さまは少し笠を持ち上げて、私達を不思議そうに見ている。
大きな体に少しくたびれた蓑…
それこそ、こんな山奥で見たら熊と見間違っても仕方が無い気がする。
薬売りさんも拍子抜けたのか、強ばっていた背中をフッと緩めた。
「あんたら旅道中かい?こんな雨の日に山の中になんていたら大変な目に遭うぞ?」
『…ここらに休める小屋はないですか?』
「うーん山小屋は無いなぁ…」
お坊さまは困ったように眉を寄せると、すぐにパッと笑った。
「そうだ、わしの寺で休むといい!」
『…寺?』
「あぁ。ここからそんなに離れとらんし…わしはこれからちょっと留守にするんでな。留守番がてら好きに使ってくれ」
にこにこと人好きする笑顔を浮かべながら、お坊さまは茂みの向こうを指さした。
確かに木の陰に、ちょこっと屋根が見えている。
『…………』
しかし、薬売りさんは少し訝しんでいるようで、無言のままお坊さまを見ていた。
そんな彼の視線に気付いたのか、お坊さまはフッと小さく笑って続けた。
「…まぁ、怪しいのは仕方ないが…このなりでも住職だ。あんたらが困るような事はせんよ」
『…………』
「それに…」
そう言ってお坊さまは、ひょいっと私を見た。
「嫁さんの体も冷えてるじゃないか?唇の色が悪いぞ?」
「!!」
(よ、嫁……っ!?)
思わず固まった私を見て、お坊さまはにこにこしている。
(よ、嫁って言われた…!!!!)
それって…薬売りさんと私が夫婦に見えるって事だろうか。
一気に頬に熱が集まってくる。
(ど…どうしよう…嬉しい…!!!)
『…結、口開きっぱなしですよ』
「…ハッ!!」
湧き上がる感情にぷるぷるしていると、薬売りさんの冷静な声に現実に戻された。
薬売りさんはアワアワしている私を見て、呆れたように溜息を一つ…
『…では、お言葉に甘えて』
そう言ってお坊さまに軽く頭を下げた。
お坊さまは嬉しそうに頷くとニカッと笑う。
「いや、こちらこそ助かるよ…あの辺は悪戯者が多くてなぁ」
「悪戯者…?」
「そうそう。まぁあんたらなら大丈夫かな?」
お坊さまは意味ありげに薬売りさんを見ると、再びにこっと笑った。
「寺の中にあるものは何でも好きに使ってくれて良いから。寺だからたいしたものは無いが食料もある。わしは二日か三日で戻るんでな」
『…ありがとうございます』
「あぁ、それと慣れん山だしあんまりフラフラ出歩かん方がいいかもな…特にあんた」
「えっ」
薬売りさんと話していたお坊さまが、急に私に視線を投げる。
そして優しげに目を細めると、口の周りに疎らに生えた無精髭を撫でた。
「あんたはお人好しそうだからなぁ」
「えぇ……」
「"悪いもの"はおらんが…まぁ用心するに越したことはないだろう」
「???」
えーと…
この口振りは、おそらく…
チラッと薬売りさんを覗き込めば、彼もまた無表情のまま小さく頷くのだった。
「じゃあわしはこれで…家主不在で申し訳ないが寛いでってくれ」
密かにがっかりしていると、お坊さまはまた目深に笠をかぶった。
「あ、ありがとうございます!」
すぐに歩き出そうとするお坊さまに慌てて頭を下げると、彼は目尻に柔和な皺を刻んだ。
細い獣道なため、私が端に寄ろうとすると。
一歩遅かったのか、すれ違いざまにお坊さまの蓑が私に引っ掛かってしまった。
「あ、すみませ…」
バサッと捲れた蓑の陰に一瞬釘付けになってしまった。
だって、そこには丸く膨らんだ麻袋…
しかも微かに動いているのだ。
「……おっと」
「…………」
お坊さまは私の視線に気付いて、サッと捲れた蓑を正した。
そしてニコッと笑うと、慣れた足つきで獣道を下っていく。
『…結?』
窺う様な薬売りさんの声に、ハッと我に返る。
呆然と追っていたお坊さまの後ろ姿はすでに見えなく。
『どうかしましたか?』
「あ…い、いえ…」
(…何だったんだろう…??)
麻袋とお坊さまの事が気になりながらも、私は薬売りさんの元へ急いだ。
――……
『……これは…』
どんどん強くなる雨を軒下で避けながら、ぽかんと口を開ける私達。
親切なお坊さまが案内してくれたお寺は、なかなかのボロ寺だった…
まぁ…豪華なお寺を建立しているのは、ごく一部のお寺だと言うことは知識としては知っているけれど。
『…まぁ雨漏りはしていなそうですね』
「そうですね」
濡れた着物に身震いしながら、私達はお寺の中へとお邪魔した。
お堂の前の廊下を歩いていると、中に仏像が置いてあるのが見える。
『…手を合わせて行きましょうか』
「そうですね、お世話になるんだし…」
私達は仏像の前に座ると、静かに手を合わせた。
静かなお堂に雨の音が響く。
どんな風体であろうと、さすがはお寺。
厳かな雰囲気に、不思議と心が澄んでいく気がした。
(…ボロ寺とか言ってごめんなさい)
こっそりと先ほどの失礼を詫びていると。
「………??」
何かが動いた気がして、そっと目を開けた。
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