みっつめ
└十五
『…まだ休んでなかったんですか?』
「……薬売りさん…」
お風呂から戻った薬売りさんが髪を手拭で拭きながら呆れたように言う。
私は待っている間、部屋で一人、どうにもならないモヤモヤと戦っていた。
『もしかして…怖いんですか?ろくろ首』
「ち、違います!考え事したんです!」
『へぇ…どんな?』
薬売りさんはくるくると器用に髪をまとめながら私を覗き込む。
ちょっと色っぽい仕草にドキッとしながらも、私は少しずつ心に引っ掛かってる事を話し始めた。
「今日ここに来るときに…見かけた男の人と女の人、いたじゃないですか」
『あぁ、いかにも"訳あり"な感じの』
「う…そうです、その男の人の方…ここの旦那さんみたいです」
『…という事は女将の?』
「はい…ご主人です…しかもあの女の人との事、知っているようでした」
"きっと…男の人はそういう女の人を…守りたいって思うんでしょうね…"
女将さんの言葉と白くなる程握り締められた手を思い出して、思わず溜息が零れる。
そんな私を見て、薬売りさんは宥めるようにポンポンッと頭を撫でた。
『…ろくろ首は何かに取り憑かれてるのか、と聞きましたよね?』
「はい」
『怪に取り憑かれてる、と言う訳ではないんですよ』
「じゃあ何に…?」
恐る恐る尋ねる私に、薬売りさんはニヤリと笑う。
『…そうですね、強いて言えば…"嫉妬"とか、ですかね』
「嫉妬…!?」
『例えば夜…もう寝ようと体は布団で休んでいるのに、心は別のことを考えていて休めていない』
「……………」
『"あの人は今どこにいるんだろう"、"今夜は誰と会っているんだろう"……そんな事を考えていると、意識だけはそちらに向いてしまう』
そして薬売りさんは、細い指でスッと私の首をなぞった。
ゾクリと背中を寒気が走る。
『そうするとね、体を残したまま伸びてしまうんですよ。首が』
「っ!!!」
『アレにもそういう挿絵が描いてあったでしょう?脇息に凭れたまま首だけが伸びている女性の絵が』
薬売りさんはチラッと視線で荷物と一緒に置いてある、あの本をさした。
私は挿絵を思い出して、無言のままこくこくと頷く。
とてもじゃないけど、今、あの本を開いて確認する気にはなれなかった。
『まぁ、恋焦がれて…って場合もあるでしょうが、大体こんな風に不気味な姿形になるのは嫉妬絡みでしょうね』
「…そう、なんですか…」
呆然とする私に、若干呆れた息を吐くと薬売りさんは既に用意されている布団に向かう。
そしてごろんと横になると、ふと何かを思い出したかのように私を見た。
『…そう言えば、女将が何かあったら夜中でも声を掛けてくれ、と』
「へ、あ、そうなんですか」
『えぇ…女将の部屋は厠に向かう廊下沿い…裏通りに一番近い奥の部屋だそうですよ』
そう言うと薬売りさんは意味ありげな笑みを浮かべた。
(裏通りに一番近い……?)
"夜中に厠に起きたらさ。何かが外を通った気がしたんだ"
"それでそのまま裏通りの方に行ったんだ。あれはどう見てもろくろ首だった、間違いねぇ!"
さっきの職人さんの言葉を思い出してハッとする。
旦那さんの浮気、嫉妬、裏通り…
『…結?寝ますよ、こっちに来なさい』
「ま、待ってください!それじゃまるで……」
『…………』
「まるで……女将さんが……」
詰め寄った私に何も答えないまま、薬売りさんは私の腕を引いた。
よろけた私はそのまま薬売りさんの胸に倒れこんでしまった。
薬売りさんはぎゅうっと私の体を抱えると、耳元でぽつりと言う。
『……明日はこの屋敷にいくつかお札を貼って…少し周辺を散歩しましょう』
「……そんな暢気な…」
『そうすれば自ずと次第が見えてきますよ』
「…………」
『だから、今日はもう休みなさい。わかりましたか?』
有無を言わさぬ言い様に、私は口を噤んだ。
そして小さく頷くと、薬売りさんの腕に身を任せる。
でも。
(……そんな訳…無いですよね…?薬売りさん…)
聞けなかった言葉は喉に貼り付いて。
その夜、私はなかなか寝付けなかった。
四ノ幕に続く
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