みっつめ
└十四
「はぁ……」
何だかもやもやした気持ちは、大きな檜風呂に入っても晴れる事は無かった。
(…とりあえず今日はもう休もう…)
私はもうひとつ溜息を吐くと、薬売りさんに声を掛けようと大広間に向かう。
宴会は若干落ち着きを見せたようで、何人かの話し声がするだけだった。
「薬売りさ……」
「本当だって!俺ぁこの目で見たんだ!」
「??」
大広間の襖を少し開けると、どうやら揉めているようだ。
覗き込んでみれば、完全に出来上がった職人さんたちが薬売りさんを囲んで何やら討論している。
「まだここに住み込んで間もない頃に、夜中に厠に起きたらさ。何かが外を通った気がしたんだ!」
『ほぉ』
「それでフッと外を見たら…こう…ふぃ〜〜っと」
話をしている職人さんは、手をゆらゆらと揺らして薬売りさんに見せる。
「それでそのまま裏通りの方に行ったんだ」
『…………』
「あれはどう見てもろくろ首だった、間違いねぇ!」
がちゃんっ!
「っ!?」
職人さんの言葉にやや重なって大きな音が響いた。
ビクッと肩を揺らして音の方を見れば。
(女将さん…?)
部屋の端で宴会の後片付けを始めていた女将さんの姿があった。
どうやら手を滑らして小皿を落としたようだ。
「お、女将さん!驚かさないでくださいよ!」
「あ、あははごめんごめん…あんたらが物騒な話してるもんだから」
そう言って女将さんは苦笑いをした。
でも…
その顔は心なしか青褪めていて。
(手が震えてる…)
明らかに動揺しているのを隠すように、女将さんはまた片づけを始める。
『……この辺はろくろ首の目撃情報が多いようですね…?』
ずっと黙っていた薬売りさんが静かに口を開いた。
周りの職人さんが「え?」と首を傾げると、彼はニヤリと笑う。
『いやね、ここに来る前に一休みしてたお茶屋でもそんな噂を聞いたもので』
「そうなのかい!?」
職人さんたちが震え上がって顔を見合わせた。
それを見て薬売りさんは更に笑顔を浮かべる。
『何なら…退治しましょうか?』
(!?)
いきなり何を言い出すんだ、この人は。
職人さんたちもぽかんと薬売りさんを見てる。
女将さんも目を丸くして、片付けの手を止めた。
『こういう仕事をしてますと結構あるんですよ、病の原因に怪やら祟り神が関係しているんじゃないかってお客がね』
「あー…なるほど」
『こちらとしては不本意ではあるんですが…まぁお札や祈祷くらいならば一応心得はありますからね』
「へぇ、薬屋ってのも楽じゃねぇんだなぁ」
あっさりと納得した職人さんは、みんなしてうんうんっと頷いている。
そして薬売りさんはニコリと営業用の笑顔を浮かべるのだった。
(う…胡散臭い……)
見事としか言いようのない薬売りさんの口八丁に、私はその場に立ち尽くしてしまった。
感心と呆れの入り混じったような表情を浮かべていると、薬売りさんがパッとこちらを振り返る。
『結、もう休みますか?』
「へっ、あ、はい。お風呂をいただいたので…」
『じゃあ部屋に行きましょう、私も湯をいただいたらすぐに寝ます』
「えぇ、もう仕舞いかい?もっと色んな話を…」
『でも皆さん、明日も力仕事でしょう?それに…』
薬売りさんは笑っていた目元を戻すと、一転してヒヤッとするような視線を向けた。
唇だけはキュッと弓形に微笑みながら。
『…丑三つ時になる前に…深い眠りに落ちていたほうがいいのでは?』
「!!!」
ゾクッとした空気が部屋を走り、みんなが肩をビクッと震わせた。
『…では、また明日…』
そんな様子を面白そうに眺めると、立ち上がって頭を下げる。
そして隅で固まったままの女将さんに『ご馳走様でした』と声を掛け、私の肩を軽く抱いて促した。
「お、おやすみなさい」
立ち去り際に中の人たちへ声を掛ける。
でも、返ってきたのは職人さんたちの気のいい声だけだった。
(女将さん…?)
チラッと見た彼女の顔はやはり青褪めていて…
何かを堪えるように唇を噛んでいたのだった。
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