みっつめ
└十三
「…さっきはお見苦しいところを見せてしまって…ごめんなさいね」
宴会の喧騒から離れると、女将さんは振り返らないまま呟いた。
「…私こそ…立ち聞きしてしまって…」
振り返らない背中が、少し頼りなげに見えて胸がギュッと詰まる。
「まったく…恥ずかしいですね、いい歳した夫婦が」
女将さんの呟く言葉が、悲しく響いた。
理由は私にでもわかる。
きっと女将さんは、心の底ではそんな風に思っていなくて…
(…旦那さんのこと、本当は大好きなんだろうなぁ…)
私の想像ではたぶん足りないくらい。
彼女の心の重さは、とても辛いものなんだろう。
「さ、どうぞ」
「あ…ありがとうございます」
いつの間にか着いたお風呂の戸を、女将さんがガラガラッと開けてくれる。
ふわりと檜の香りが漂ってきた。
「わぁ…良い香り…」
「ふふ、職業柄ね」
私は湯船のほうに歩み寄ると、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「私、檜風呂って初めてです!」
そう言って振り返れば。
「……女将さん?」
「…………」
女将さんは入り口に佇んだまま、ぼんやりと私を見ていた。
そして表情無く、ぽつりと言葉を零す。
「……細い肩ね」
「え………」
「きっと…男の人はそういう女の人を…守りたいって思うんでしょうね…」
「…女将さん……」
女将さんはそこまで言うと、ハッとして口を噤んだ。
「や、やだ、おかしなことを…じゃあごゆっくり」
「あ…女将さん…!」
また小さな笑みを浮かべると、女将さんは慌てて戸を閉めてしまった。
(あ…わかった、女将さんの笑顔の違和感…)
小さく笑うその顔は、劣等感の裏返しのようで…
なんて、なんて悲しい笑顔を浮かべる人なんだろう。
なんて不器用な笑い方をする人なんだろう。
そして、何度、その笑顔の裏側の涙を飲み込んできたんだろう…
「…女将さん…」
私はどうにも遣り切れない気持ちを持て余したまま、しばらく閉ざされた戸を見つめていた。
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