みっつめ
└十
わいわいと賑やかな夕餉は続く。
いつの間にかみんなはご飯どころか、お酒まで進んでいるようだ。
「ほら!薬売りさん!飲んで飲んで!」
『では…』
相変わらず顔色ひとつ変えないまま、薬売りさんは次々とお猪口をあける。
それが職人さんたちの心を擽ったのか、すっかり人気者だ。
「ほら、お嬢ちゃんもどうだい?」
「え!あの、私は…」
すでに出来上がっている職人さんが私に向かってお銚子を差し出した。
『結は駄目ですよ』
「!!」
(あ、あんなとこから…)
薬売りさんはそこそこ離れたところから、ビシッと釘を刺す。
しかも背中を向けた状態で、首だけ振り返って…
「…こわ〜…こりゃ下手な真似できねぇなぁ」
「あ、あはは…」
職人さんは苦笑いしながらお銚子を引っ込める。
内心ホッとしながら彼を見送っていると。
パタパタと部屋と台所を行き来する女将さんが目に入った。
「あ…」
私は立ち上がると、彼女の元に走り寄る。
「女将さん、手伝いますよ」
「あら、でも…」
「もうご飯は頂きましたから!ご馳走様でした!」
女将さんは少し戸惑ったような顔を見せた後、柔らかく目元を緩めた。
「…ありがとう。じゃあ私は蔵にお酒を取りに行って来ますから、燗をつけてもらえますか?」
「はい!」
私も笑って返事をすると、女将さんは更に柔らかい笑みを浮かべた。
「あ、女将さん!お酒なら俺が…」
すると、そこにたくさんの空のお銚子を持った信介さんが顔を出す。
女将さんに代わって蔵に行こうとする彼を彼女は制した。
「信介!そんな足で重いものなんて持てるわけないだろう?」
「大丈夫っすよ!もうそんなに痛くないし…」
「馬鹿だねぇ、そうは言ってもまだひょこひょこ歩いてるじゃないか!」
「でも…」
「でもじゃない!お前、あの仕事を最後までやり遂げるんだろう!?」
「……っ!!」
厳しく叱る女将さんに、信介さんの顔がピリッと引き締まる。
女将さんはそんな彼を見て、フッと表情を緩めるとポンッと信介さんの肩を叩いた。
「…結さんと一緒に燗をつけておくれ、いいね?」
「…はい!」
信介さんは笑って頷くと、私を促して台所へと向かった。
「熱いから気をつけて」
「はい…っとと…」
危なっかしい私の手つきを見て、信介さんが笑う。
「結さん、こういうの初めて?」
「は、はい…お恥ずかしい」
信介さんは慣れた様子で次々とお酒を温めていった。
「信介さん、いつもやってるんですか?」
「あぁ、俺はここに弟子入りして長いから」
「弟子入り?」
お鍋に目一杯お銚子を入れて、信介さんが一息つく。
どうやらしばらくは温まるのを待つようだ。
「まだ十一か十二の頃かなぁ?俺が弟子入りしたの」
「へぇ!そんなに小さな頃から」
「その頃はまだ先代の棟梁で…あ、親方のことね」
「うんうん」
「よく掃除がいい加減だとか飯の用意が遅いとかって叱られたなぁ」
当時を思い出したのか若干うんざり顔で信介さんが笑った。
「入ったらすぐにお仕事じゃないんですか?」
「ないない!まずは下働き、掃除風呂炊き飯炊き。一、二年してやっと現場にいけるんだ」
「そこでやっとお仕事?」
「まだまだ。最初は弁当もち。道具の名前を覚えたり鉋屑集めたり」
「そうなんですか…」
気の遠くなるような話に私は口を開けたまま頷いた。
段々温まったお酒がほんのりと香り始める。
信介さんは満遍なく温まるように、ちょいっとお銚子を動かした。
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