ふたつめ
└十八
パチパチと音を立てながら、目の前で炎が大きくなっていく。
私は座り込んだまま、ぼんやりとそれを見ていた。
橙に辺りを染める炎は、数刻前に見た夕陽より濃い。
時折私を吹き抜ける熱風は、彼らを巻き込んで更に熱くなっていった。
『…立てますか?』
薬売りさんは着物の埃を払いながら、私に手を伸ばす。
私はゆっくりと彼を見た。
「……何で助けなかったんですか…?」
そんな事、薬売りさんに聞いたって仕方ない。
薬売りさんを責めたって、仕方ない…
でも私は素直に彼の手を取る気にはなれなかった。
『……………』
薬売りさんはハァッと溜息を吐くと、差し出していた手で私の体を抱き起こした。
無理矢理立ち上がったせいか、ぐらりと足元が揺れる。
それをパッと支えながら薬売りさんが呟いた。
『…それが彼女の望みだからです』
「……あの家に埋もれる事が、ですか…?」
俯けていた顔を上げると、間近で藤色の瞳とぶつかる。
薬売りさんの瞳に、揺らぐ炎が映り込んでいた。
「………っ」
私は酷い顔をしていたのかもしれない。
一瞬、薬売りさんの表情が酷く痛そうに歪んだ。
「…あかねちゃんが望んだのは…みどりくんを道連れにすることですか…?」
『…………』
「みどりくんが望んだのは、二人であの家で死ぬことですか!?」
『彼らが共に望んだ事です!』
「……!」
薬売りさんにぎゅっと掴まれた肩に痛みが走る。
でも、それ以上にやっぱり薬売りさんの表情の方が痛そうだと思った。
『…彼女にはずっと兄しかいなかったんです。彼だけが彼女の世界だったんです』
「…………」
"生まれた時から死ぬ瞬間まで、ずっとみどりだけが大好き"
あかねちゃんの切ない声が、何度も耳の中で繰り返される。
狭い埃っぽい納屋の中で過ごす毎日。
父親からも疎まれ、世間に怖がられ…
"あかね、ほら、お手玉!"
その閉ざされた世界で見たみどりくんの優しさは、どれだけ眩しかっただろう…
その時のあかねちゃんの気持ちは、私にも痛いほどにわかる。
「…お父さんが死んだとき…私達には幸せになって欲しいって…」
それでもまだ上手く消化できない私が呟くと、薬売りさんは私の頬を指先でするりと撫でた。
『…親子の情と、彼らのそれとは似て非なるものでしょう』
「……………」
『…それならば…』
緩やかに私の頬を包むと、薬売りさんは続ける。
『結、あなたならどうするんです?』
「…え……?」
『考えて御覧なさい。結の瞼が閉ざされてもう永遠に開くことができないとしたら…』
薬売りさんは片手でスッと私の瞼を塞いだ。
暗くなった視界で薬売りさんの声が入り込んでくる。
『目の前の大事な人に、結は何を願うんですか?』
ごぉ……っ
背後で大きく炎の音が鳴った。
ぱちぱちと音を立てながら、その火柱は段々と大きくなっていく。
『…そろそろこの辺も危ない…』
そう言って薬売りさんの手がゆっくりと離れていった。
「…………」
閉じることを忘れた私の目に、橙に染まる薬売りさん。
背中には熱を感じるのに、指先がどんどん冷えていく気がした。
『…少し意地悪な質問、でしたね』
薬売りさんは少しすまなそうに笑うと、くしゃりと私の頭を撫でる。
そして傍らの薬箱を背負うと再び私に手を差し出した。
『いくら寂れた村でもそろそろ人が気付くでしょう…今の内にここを離れますよ』
「…………」
『…歩けますか?』
「……は、い…」
震える指先を伸ばして薬売りさんの手を取る。
でもその感覚を、私はほとんど感じることができなかった。
ぐらぐらと揺れる頭のまま、私は薬売りさんに手を引かれて歩き出す。
まだ夜が明け始める前でよかった。
いまの私の顔を、彼に見られたくない。
「…………」
薬売りさんの質問の答えは、本当はすぐに頭に浮かんでいた。
私の世界が終わる瞬間。
もし目の前にいるのが、絹江さんや弥勒くん…白夜だったら、きっと私はお父さんと同じことを願うだろう。
でも、薬売りさんだったら――?
「………っ」
何も考えずに、その答えはポンッと頭に浮かんだ。
でも次の瞬間には、全身に寒気が走った。
もし、私の最期の瞬間に目の前にいるのが薬売りさんだったら。
私は迷わず、こう願うだろう。
(…ひとりにしないで…私と一緒に…)
――あなたの世界も、終わりにして
思い返した傍からぞくりと冷たい汗が背中を走る。
薬売りさんがしっかりと繋いでくれた手は、感覚がないほどに冷たい。
(…私…っなんて恐ろしいことを…)
咄嗟に浮かんだ自分の願望が薄ら怖くて、私は奥歯を噛み締めた。
…あかねちゃんもこんな風に考えたのだろうか。
大好きなみどりくんと、この世の先まで一緒にいたいと、自分の想いに震えたのだろうか。
薬売りさんに手を引かれながら、そっと振り返って見た。
燃え盛る炎の端。
あの赤いお手玉を、再び見たような気がした。
― ふたつめ・おわり ―
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