ふたりぼっち | ナノ




ふたつめ
   └十七



一際大きな家鳴りが響いた。

と、同時にみどりくんの声。



「…あかね!?あかね!!!目ぇ開けろ!あかね!!!」



あかねちゃんはすでに瞳を閉じかけていて。

目尻から一筋の涙が耳の方へ滑っていく。


そしてみどりくんの頬に添えられていた手が、静かに落ちた。




「あかね…っあかね!!!」




みどりくんの声に混じるように、ぱしん、ぱしんっと家中が鳴りはじめる。

まるで家そのものがみどりくんと一緒に泣いているようだった。


あかねちゃんに覆いかぶさるように泣いているみどりくんの顔は見えない。

でも、あかねちゃんの唇は穏やかに微笑んでいるように見えた。


蝋燭の明かりだけの薄暗い部屋で微笑むあかねちゃんの表情は、あの夜の赤いお手玉の様にはっきりとわかる。




「…………っ」




"最期に見る景色にみどりくんがいるなら、彼女は幸せでしょうか"




そう問い掛けたのは自分なのに、私はわからなくなる。

きっと最初から最期まで、あかねちゃんのあの赤い瞳にはみどりくんしか映っていなかったのだから。




"それは彼女にしかわからないですよ…でも…"




「…………っ」

『……………』

「…う…っひっく…うぅ…」

『……………』




"そうであったら良いと、思います"





薬売りさんの言葉の意味を改めて噛み締めた。

きっと、その答えはあかねちゃんにしかわからない。


ううん。

二人だけにしか、わからないんだ。


私はたまらない気持ちで薬売りさんにしがみついた。

薬売りさんはいつもの様に少し呆れたような息を吐くと、柔らかく抱き締めてくれる。




「あかね…猫になりたいだなんて、馬鹿だ…」



消え入りそうな声でみどりくんが呟いた。

その言葉に薬売りさんはフッと反応を見せる。




『…あなたはわかっていたんでしょう?』

「……………」

『あなた達のそれは…もう兄とか妹とか…そんなものじゃないでしょう』




薬売りさんの問い掛けに、みどりくんは俯けていた顔をゆっくり上げる。

そして、穏やかに…小さく笑った。





ばきぃん…っ!!


「!?」



再び大きく家鳴りが響いた。


いや、それだけじゃない。

家全体がガタガタと揺れている。




『……いけない…っ!』

「え…っ」



薬売りさんはハッと辺りを見渡す。

私もつられて顔を上げると、天井からぱらぱらと木屑が落ちて来た。




『結、外へ』

「く、薬売りさん…!でも…!」

『いいから、早く!』



ばきばきと音を立てながら家が揺れている。

とうとう頼りなげな天井の梁が、どんっと地響きを上げながら落ちてきた。


ぐらぐらと揺れていた蝋燭が倒れるのが目に入って、一気に冷や汗が噴出してきた。



「みどりくん!」



この惨状の中、みどりくんは微動だにせずにいる。

倒れた蝋燭からぼうっと火が上がり始めた。




「みどりくん!早く!崩れるよ!!」

『…結!』

「このままじゃ火も…!!ねぇ!あかねちゃん連れて外に出ようよ!みどりくん!!」




バキバキと音を立てて天井が落ちてくる。

段々隔たれていく二人との距離。


荒れ果てた空き家には、蝋燭の小さな炎でもひとたまりも無く…

舞い上がる土埃の中、みどりくんとあかねちゃんだけが明るく浮き上がって見えた。




「みどりくん!あかねちゃん!!」




私は必死に手を伸ばした。


でも、薬売りさんはそれを許さない。

薬売りさんは足元の薬箱を乱暴に担ぐと、後ろから私を抱え込んだ。



『結!止しなさい!』

「どうして!?このままじゃ二人が…!!」



どうにか薬売りさんの腕を振りほどこうと身を捩った。

しかし目一杯力を振り絞っても、羽交い絞めにされた体は自由にならない。




「薬売りさん!!」



めきぃ…っ


ばきばきばき…っ



「あ……っ」




次々に崩れてくる家の欠片に、とうとう二人は取り残された。

土埃に混じって、焦げ臭い煙が舞い上がる。




「み、みど……」



まるでその瞬間だけ、時間が歩みを緩めたようだった。


狭まっていく隙間の奥。

みどりくんは、力なく横たわるあかねちゃんを抱き上げて。


その細く白い体を、ぎゅうっと胸に抱いた。





『結っ!!』



薬売りさんが強く私の体を引いて、ぐっと後ろに引き戻される。


遠ざかっていく二人の姿。

そして、次の瞬間。




ずず………ん……っ!!!




崩れた屋根によって、二人の姿は完全に隠されてしまった。




「な…なん…で…」

『結、離れますよ』

「何でぇええ!!」



ばきっ


ばきばきばきばきぃぃっ!!!




木材の折れる音が私の声すら消していく。


それはさっきまで耳にしていた家鳴りにも似ていて。

もう私には恐ろしいのか悲しいのかわからない。


薬売りさんによって、私の体は意思とは正反対に崩れた家から遠ざかっていく。

伸ばされたままの自分の腕が、馬鹿らしいほどに虚しく空を切った。


そして…




『…くっ…!』




薬売りさんが体勢を変えて、私を庇うように組み敷いた。




どおぉぉぉ………ん……




とうとう、二人の隠れ家は地響きを立てて崩れ落ちた。

私は覆いかぶさる薬売りさんの着物の隙間から、なす術もなく暗闇に落ちていくのを見ているしかなかった。


埃っぽい風が焦げ臭い匂いを乗せて一気に吹き抜けていく。





「…………え……っ」



でも、その時聞こえてしまったのだ。

崩れた家に、尚も家鳴りの音は小さく繰り返す。





――もし…ひとつだけお願いを聞いてくれるなら、私……




ばきんっ



――私がこの世を去るときは




ぱき…っぱきぱき……っ








――その時は、みどりも一緒に来て欲しい



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