ふたりぼっち | ナノ




ふたつめ
   └十四



部屋を出るとすでに空は橙と濃紺が混じり始めていた。

家鳴りが響く中、薬箱をいじっている薬売りさんの背中が見える。




「…あかねちゃん、目を覚ましました」

『……そうですか』



薬売りさんは振り返ると、一言だけそう言って薬箱の引き出しを閉めた。


私は薬売りさんの隣に腰掛けた。

薬売りさんはちらりと私を見ると、何も言わずにがしがしと私の頭を撫でる。




「わ…ちょ………っ」



その仕草の割りに、薬売りさんの手は優しくて。

どうにも遣り切れない気持ちが込み上げてきて、また泣くのを我慢するしかなかった。



『…ふう…やれやれ』

「……え、え?わ…っ!?」



薬売りさんは溜息を零すと、そのまま私の両脇に手を差し込んだ。

何事かと思うと同時に、そのまま持ち上げられると胡坐をかく彼の上に着地する。




「ちょ…く、薬売りさん!」

『暴れないで下さい、足が痛いじゃないですか』

「だって……!」



抵抗する私をまるっと無視して、薬売りさんは動きを封じるように抱えた腕に力を込めた。




『…見世物小屋というのは』

「……っ!」



薬売りさんは、私を背中から抱き締めながら静かに話し始める。




『…正直、結には知って欲しい世界じゃないですね。決して楽しいものではなく…ただ娼婦として売られる場合もあれば…あかねさんのように見た目の違う人が見せ物になる場合もある』

「…………」

『…その中でも、猩々は能の舞いにもあるので、きっとそういう場所でも人気なんでしょう』

「…そんな……」



そこにいるのは、きっと何か悪いことをしたわけではない。

この世に生まれてくるときに、ただひとつ…そう、ほんの少し何かを持たずに生まれてきただけなのに。


それが望んでもないのに商売道具にしてしまうとは、なんて恐ろしいことなんだろう。


そう思うのは、私が暢気だからだろうか?

自分が全て持って生まれてこられたからだろうか?



『もっとも…そう言うところでしか賃金を得られないような人もいたでしょうし。人間の悪趣味な興味も尽きる事はないし…まぁ廃れる事はないんでしょう』



気付かない内に震え始めた肩に、薬売りさんが顎を摺り寄せる。

そして、消え入りそうな声で言った。




『……彼女は…あかねさんは、もう長くは生きられません』

「……え…!?」

『あのように生まれた子にはよくあることなんです…元々歳を重ねられるものではないんですよ。それに加えて幼い頃から納屋に閉じ込められ、動かすべき体も動かせず浴びるべき日光も浴びていない』





"…みどりと一緒にいられなくなるもの"




そう言って頭巾を抱き締めた彼女の細い細い腕を思い出した。

みどりくんと同じ歳でありながら、とても小さな彼女の体を…




「で、でも…!薬売りさんのお薬があるじゃないですか!さっきみどりくんがお薬飲ませて…!」

『結』

「薬売りさんのお薬はよく効くもの、それなのにどうして」

『結!』



耳元で薬売りさんの声がしてハッとした。

薬売りさんが、落ち着かせるように片手で私の目を覆う。


視界が橙の光が遮られて、柔らかい闇に包まれた。




『…彼はその事を知っています。そして恐らく彼女自身も』

「…………」

『知った上で、私達をここに連れて、そして薬を頼んだんです』

「……じゃあ何の薬を…?」

『……ただの金平糖を擂り潰したものですよ』



ギュッと噛んだ唇が震えた。

そのすぐ脇を滑り落ちていく涙を、薬売りさんの長い指が掬っていく。


再び開かれた視界には、もう少ししか橙が残っていない。




「……あの二人、まるで恋人のようですよね。兄妹というより」

『…………』

「もし…もし、あかねちゃんが最期に見る景色に…ひっく…みどりくんがいるなら…」



涙が零れるたびに、冷たい風と薬売りさんの指が攫っていく。




「…彼女は幸せでしょうか……」




ぱきぱきと家鳴りが悲しくなり続ける。

橙色の太陽は山の陰にゆっくりと隠れていく。




『……それは…彼女にしかわからないですよ…でも』

「…………」

『そうであったら良いと、思います』



その夜、私は薬売りさんに抱き締められながら、床で眠った。


あんなに怖かった家鳴りが今夜はあかねちゃんの泣き声の様に聞こえて。

心許なくて、悲しくて、薬売りさんにしがみつくようにして無理矢理眠りについた。


何事も無く、明日の朝を迎えられますように。

また二人の笑顔を見られますように。


そう願って。



でもそれは結局叶わなかった。



「…かね…あかね!!!」



もう子の刻も過ぎようとする頃、夜の沈黙が破られたのだ。

終幕に続く

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