ふたつめ
└十二
―かたん。
薬箱を閉めると、乳鉢でごりごりとそれを擂り合わせた。
乳鉢の中で粉砕されていく薬を見ながら、薬売りは小さく溜息を零す。
「…薬ってそうやって作るんだな」
『…………』
声の主を無表情のまま振り返る。
みどりもまた無表情のまま、薬売りの隣に腰掛けた。
「こういうの…ほら、こう、ころころやる奴」
『…あぁ、薬研ですか』
「薬研って言うのか?それは使わないんだ」
『あんな大きいもの、持ち歩くに不便です』
みどりは「それもそうか」と呟いて小さく笑った。
『……いつからですか?』
「え……?」
『彼女の体調です』
薬売りの質問に、みどりは顔を俯かせる。
「……小さい頃からだよ、たぶん産まれた頃から体は弱かった」
『…………』
医師には見せたのか?
そう聞こうとも思ったが、あまりにも酷な質問だと薬売りは口を噤んだ。
「…薬代はどんなに掛かっても支払うよ」
『……………』
「あんた達は、不思議だな…あかねを見ても眉ひとつ動かさなかった」
『…まぁ、そうですね』
「そんな反応初めて見たから、なんだか拍子抜けしちまうよ」
みどりはフッと笑うと、橙に染まり始めた空を見る。
普段はこんなに喋る男ではないのかもしれない。
外を見つめる彼の目は、まるでがらんどうのようで映りこむ橙がやけに淋しげに思えた。
「…いつも二人でこうして旅を?」
『…いや、二人になったのは最近ですよ』
「へぇ……楽しいだろうな、二人で色んな景色を見たり色んな物を食べたり」
『…どうでしょうね。金持ちの物見遊山とは違いますから…それなりに苦労もありますよ』
ごり、ごり、っと乳鉢から零れる音。
静かな男達の会話は、静かに続く。
「……あかねにも色んな世界を見せてやりたかった」
『…………』
「こんな田舎じゃなくて…このままじゃあかねはあの小さな汚い納屋の、小さな窓からの空しか知らないままだ…」
みどりの声が小さく揺らぐ。
薬売りは擂り終わった薬を薬包紙に分けると、折り紙でも折るかのように器用に包んでいった。
『…かつて』
「え?」
『かつて、結の世界も切り取られた小さな空でした』
「…………」
『そこから連れ出したのは私です』
「……それなら、結は今幸せだろう?」
薬売りは最後の包みを折ると、フッと笑う。
『さぁ…そればかりは結自身にしかわからないでしょうね』
「…………」
『ほら、薬』
「あ、あぁ…ありがとう」
みどりはぽかんとした顔で薬売りを見た。
しかし差し出された包みを受け取ると、薬売りの言わんとした事をそれとなく理解したのか泣きそうな笑顔を見せた。
『目を覚ましたら一包…あとは様子を見て辛そうならば飲ませてやりなさい』
「わかった…ありがとう」
みどりは立ち上がると、部屋を出ようと足を進めた。
が、すぐにそれを止めて首だけで振り返る。
薬売りはそんな彼の姿をただ黙って見ていた。
「…なぁ、本当は気付いているんだろう?」
『…………』
「あかねの命が…もうたいしてもたないこと」
やけに悟ったような表情でみどりが笑う。
『……私はただの薬売り、ですから』
「ふ…そうか…でも俺にはわかるんだよ」
一瞬、手の中の薬包を見て消え入りそうな声で続けた。
「わかるんだ、双子だから…医者にも誰にもわからなくても…俺だけにはわかる」
薬売りは何も答えなかった。
その必要は無いと思ったから。
みどりは再び、フッと笑った。
「…今夜は泊まって行ってくれよ、あかねも心配だし…こんなボロ家で悪いけど」
『……お言葉に甘えて』
「それと……」
再び足を進めながら、彼は続ける。
「結は幸せなんじゃないかな、広い世界にあんたと出られて」
その言葉を残したまま、みどりは部屋を出て行った。
『………ふっ』
夕陽の差し込む部屋に家鳴りが響く。
初対面の人間にくだらない話をしてしまったもんだ、と思いながら薬売りは自嘲気味に笑った。
『…生意気な』
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