ふたつめ
└十一
しんっと静まった部屋に、家鳴りの音とあかねちゃんが口ずさむ童歌が響く。
みどりくんはさっきより苦い顔をしてあかねちゃんをチラリと見た。
「…薬売りさん、あんたの言うとおりだよ。この村の人間には恐怖の対象だったあかねは、都の人間には興味と金稼ぎの対象だった」
「金儲け?どうして…?」
「…見世物小屋だよ」
一瞬、それが何なのかわからなかった。
でもみどりくんの瞳に憎悪の色が浮かんだのを見て、何やら良い物ではない事は想像できた。
「あかねの様に白子で生まれた人間を猩々(しょうじょう)だと言って面白がる奴らがいるんだ」
「猩々…ってあ、お父さんの書物で読んだことがあるかも…でもそれって話の中の生き物なんじゃ…?」
「結は知ってるのか。俺はあいつらの話を聞くまで、猩々なんてものがいるなんて知らなかったよ」
みどりくんはフッと声だけ笑っているような、溜息のような息を漏らす。
そんな彼を薬売りさんはじっと見つめていた。
『…あの珍妙な着物の男が、見世物小屋の主ですか?』
「……あぁ、そうだ」
さっきの派手な着物を着た男の人をぼんやりと思い出す。
その人が見世物小屋の人ならば、あかねちゃんが目的…?
「金になるんだよ」
話が上手く繋がらない私に気付いて、みどりくんがこちらを向いた。
「あいつはあかねを買い取りたいんだ。そして…親父はあかねを見世物小屋に売り飛ばしたいんだよ」
「う、売り飛ばすって…!!」
物騒な言葉に、ぞくりと寒気が走る。
思わずあかねちゃんを見た。
相変わらず童歌を歌いながら、お手玉で遊んでいる彼女。
見た目も白く細いせいか、実際の年齢よりも幼く見える。
赤く透き通る瞳が、妙に空虚に見えるのは、みどりくんの話を聞いたせいだろうか。
(…自分の親に売られるだなんて…)
ずきんっと胸が痛む。
…でも、私は知っている。
親という存在でありながら、他の何者よりも敵に近い存在になってしまう人間がいることを…
「………っ」
更に強い寒気が身を包んで、思わず自分を抱き締めた。
その時、フッと背中に感触を覚える。
(…あ……)
隣に目を向けると、私の方へそっと手を伸ばした薬売りさんが見えた。
視線はみどりくんに向けたまま、薬売りさんの手がぽん、ぽん、と私の背中を撫でる。
「…………」
薬売りさんの手の感触を感じながら、私は静かに深呼吸した。
纏わりつくような寒さが、すーっと靄が晴れるように消えていく。
強張った背中が緩むのを確認すると、薬売りさんは口元だけで笑った。
「見世物小屋の主人は一年くらい前からちょこちょここの村に顔を出すようになった。そして何度もうちを訪ねてきてたんだ…うちを探るように嫌な目付きで見てたから良く覚えてる。それから段々親父とこそこそと話しているところも見かけるようになったんだ。…俺は嫌な予感しかしなかった」
みどりくんは抑揚のない声で続ける。
「でも親父がある日突然、あかねに着物を作ってきたんだ。もちろんそんな上等なものじゃない。でもうちにはそんなもの作る金なんて無かったはずだ」
『…手付金ですか?』
「…………」
薬売りさんの言葉にみどりくんは無言のまま頷いた。
「あかねは何の疑問も持たずに、生まれて初めて父親からの贈り物に無邪気に喜んでたんだ…あの真っ白なほっぺを少し赤くさせて…それなのに…っ」
「み、みどりくん……」
固く結ばれた拳が白く震える。
このままでは掌から血が出るんじゃないかと思うくらいだ。
「…俺はしっかり見てたんだ…親父は一度も、ほんの少しもあかねの目を見なかった。あかねが嬉しそうに笑った顔も、嬉し涙で少しだけ濡れた瞳も…!あいつは全く見てなかったんだ!!」
どんっ!
みどりくんの拳は、力任せに床に叩きつけられた。
朽ちた東屋がミシミシと音を立てて、重なるように家鳴りが響き渡る。
でも、それよりも、悲鳴にも似たみどりくんの声のほうが悲しくて。
思わず溢れそうになる涙を、私は必死に堪えていた。
「…あかねは見世物小屋なんかに行かせない。金が欲しいなら俺がいくらでも働く。親父なんて当てにしない…」
俯いたみどりくんは、呟くように早口で繰り返した。
家鳴りの音しかしない部屋に、彼の声は切なく吸い込まれていく。
痛いほど静かになった部屋で、沈黙を破ったのは薬売りさんだった。
『……では、何故?何故私をここへ呼んだんです?』
「そ、それは…」
みどりくんが薬売りさんの言葉に顔を上げる。
その表情はさっきまでと打って変わって、戸惑う幼子のようだった。
でも、彼が何かを言いかけたその時。
―がたんっ
「!!」
「あ、あかね!!!」
ハッとして振り返ると、あかねちゃんが床に倒れこんでいる。
「あかね!あかね!!」
真っ白な掌から赤い縮緬のお手玉が音も無く転がり落ちた。
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