ふたつめ
└五
― 二ノ幕 ―
『……ん…』
すうっと入り込む冷たい空気と、瞼に掛かる眩しい光。
(…あぁ、朝か…)
薬売りは瞼を閉じたまま、ぼんやりと思う。
しかし彼はその目を開かないまま、腕の重みに意識を向けた。
『…………』
いつも、薬売りが目を覚ます頃、結はまだ夢の中であることが多い。
小さな体をくてんと自分に預けて眠る彼女の姿を感じ…
そしてそのままぎゅうっと腕に閉じ込めるのが、薬売りの朝の楽しみだ。
そうした後にそっと目を開ければ、どうにも締まりの無い結の寝顔が自分の胸元で寝息を立てている。
それを見て、初めて薬売りの一日は始まるのである。
『………??』
…が、その日は違った。
冷えた空気が通り抜けたのは頬だけではなく、薬売りの隣もだ。
薬売りはパカッと目を開くと、起き上がりながら軽く周囲を見回した。
『……結?』
結は珍しく自分の傍を離れて部屋の隅にしゃがんでいる。
そして薬売りの声に気付くと、ぱっと振り返った。
「薬売りさん…おはようございます」
『おはよう……どうしたんです?』
「え…あー……」
結は少しバツが悪そうに笑うと、しょぼしょぼとした目を擦った。
よく見てみれば、目元にはしっかりと隈ができている…
『…眠れなかったんですか?』
「う…はい…」
結が小さく頷くと同時に、ぱきんっと甲高い音が部屋に響いた。
薬売りはもうすっかり慣れっ子になっていた家鳴りに、結はびくんっと肩をはねさせる。
『……もしかして…?』
「…………」
若干呆れ気味に尋ねると、結はしょんぼりしながら頷いた。
そうしている間にも、ぱきぱきと家鳴りは鳴り続けている。
『……はぁ…』
こんな事ならば、家鳴りの正体をさっさと教えてやるべきだったか。
(…しかし知ったところで結は同じく怖がったんじゃ…??)
薬売りが首を傾げていると、結は欠伸を噛み殺してまた目を擦る。
『……もう少し寝ますか?』
「え?」
『家鳴りが怖くて眠れなかったのでしょう?特段急ぐ旅では無いんです、今日くらい朝寝してもいいですよ』
「で、でも…」
床に寝転がったまま両手を広げる薬売りに、結は不安そうな顔を向けた。
それを見た薬売りも、眉間に皺を寄せる。
目覚めの楽しみも奪われ、結は素直にこちらへ来ない。
…と、なるとついつい不機嫌さを隠せなかった。
「あ、あの!これ…」
ムスッとした薬売りに気付いた結が、慌てて彼に両手を差し出す。
『……お手玉?』
「そうなんです…」
結の掌には、赤い縮緬で作られた可愛らしいお手玉が二つ乗っかっていた。
薬売りには見覚えが無いことから、結のものではないのは明確だった。
『どうしたんです?』
「この部屋の端に転がってたんです」
『…………』
「こんな古くて壊れかけた家に妙に新しいから…おかしいと思いませんか?」
思わず二人で天井を見上げる。
ところどころ隙間の開いた屋根から、朝日が柔らかく注いで。
相変わらず、ぱきっ、みしみしっと家鳴りが続いていた。
(…ふ、む)
薬売りは結の手からお手玉をひとつ取ると、ポンッと手の中で躍らせた。
(…天秤の反応は…無い)
ちらりと横目で薬箱を見やる。
しかし薬箱の中の天秤も退魔の剣も、物音ひとつも立てない。
(まぁ…危険なものでも無さそうだな)
とは言え、結の言うとおり、こんなボロ家に真新しいお手玉が転がっているのも気にならないと言えば嘘になる。
それに…
みし…っ
ばきんっっ!!
「っ!!!」
突如大きく鳴り響いた音に、結は猫の様に飛び上がった。
(…何か知ってる、か)
『…少しこの辺りを散策してみましょうか』
「えっ!?」
『あぁ、結は寝ていてもいいんですよ?』
「や、やです!!私も一緒に…」
結は涙目になりながら薬売りの袖にしがみついた。
薬売りはその様子を見て、にっこりと笑顔を浮かべる。
(…寝不足で歩き回るのも…ね)
『…もう少し陽が昇ったら、外に出ましょう』
そう言うと薬売りはぽんぽんっと結の頭を撫でた。
…空いたほうの手で、ころころとお手玉を弄びながら。
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