ひとつめ
└二十六
「俺がここに来たのは、もう飢饉が去った頃だったんだ」
お堂を見渡しながらお坊様が言う。
「この寺の前住職が隠居することになってな。それで初めてこの山寺に来た」
しかし穏やかだったその顔を、すぐにキュッと歪めた。
「……俺はあいつらの父狸にあったことがある」
「そうなんですか?」
「あぁ…正しくは、彼の骨に…だな」
「…!」
私はすぐにぽこくんの憎みつつも悲しい瞳を思い出した。
罠にかかったまま、人間に連れ去られることなくそこで朽ちたお父さん。
様変わりした尊敬する父の姿を見てしまった彼の心中を察するには、あまりにも辛すぎる。
「…それからこの山に起こった出来事を知って…少しでもあいつらとあいつらの仲間を救ってやりたくてなぁ」
「和尚様……」
「見つけられた罠は根こそぎどかしたんだが…如何せんこの生い茂った草が邪魔で」
お坊様は困ったように笑って頭を掻いた。
そして大きな手をおもむろに胸の前で合わせる。
「食事をする前に、こう…"いただきます"ってするだろう?」
「はい、もちろん」
「"いただきます"は、"命をいただきます"って事だ。肉や魚だけじゃない、農作物も米も誰かの手で作られてる。その労力も含めて"いただきます"」
私はハッとして、お坊様の顔を見つめた。
お坊様は手を合わせた姿勢のまま、静かに目を閉じる。
「…わし等は生きとし生けるものの命を糧として生きていく。一方にとっては罪深いことだが、それは放棄してはならん力だ」
「…はい」
「だが人間は、動物とは一点だけ大きく違う」
「え…?」
「動物は自分らに必要な命しか奪わない、でも人間は欲が深いからな…必要な分をとうに過ぎてもまだ奪ってしまう」
本当は、とても簡単な事なのかもしれない。
私達はいろんな命を糧に生きていく。
そしてそれは生き物全てに共通することで。
忘れてはいけないことなのに、日々を過ごす中でその意識は薄れてしまう。
だから、親から子へ、躾として引き継ぐのだろう。
手を合わせて"いただきます"と感謝をすることを。
「…まぁ、食べ物は粗末にしちゃーいけないってことだな!」
小難しい顔をしていた私にお坊様がおどけたように言った。
『……隠してある干物も、ですか?』
「え!!」
ずっと黙っていた薬売りさんがぽそっと呟く。
思わず慌てたお坊様を見て、ニヤリと笑った。
「い、いや!あれはそのー断りきれなくてな…!」
『……ほう?』
「本当だって!…え、アレ食べたのか…?食べちゃったのか!?」
『大変美味しゅうございました』
「あぁーーー…」
(く、薬売りさんったら…)
がっくりと項垂れるお坊様を見て、気の毒なのと自分も一口食べてしまった罪悪感と…
不敵に笑う薬売りさんに、私は苦笑いしか返せなかった。
「はぁ…少し話し込んでしまったな…」
まだ落ち込みを引き摺ったまま、お坊様が溜息混じりに呟いた。
「さぁ明日からは力仕事だ、わしは寝るとするよ」
『私達も明日には出発します』
「そうか、じゃあ今夜はゆっくりと休むといい。明日も天気はいいだろう」
お坊様はにっこりと笑うと、「干物…」と呟きながらお堂を出て行く。
それを見送って私達も床に就くべく、立ち上がった。
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