ふたりぼっち | ナノ




ひとつめ
   └二十五



もうすっかり暗くなった庭先から、少し気の早い虫の音が聞こえる。

お坊様と私達は、食事を頂きながらしみじみと話をしていた。





「いやーしかしあいつらも思い切ったもんだな!」



お坊様はおちょこを煽りながら、豪快に笑った。




「まさか母狸を取り返しに来るとはなぁ」

『…笑い事じゃないんですがね』



暢気なお坊様に、薬売りさんは不機嫌な声で答える。

そして私の腕に巻かれている包帯に目をやって、また深く溜息を吐いた。


…あれから、狸の家族は深々と頭を下げて山の寝床へと帰っていった。




「お姉ちゃん」

「とこちゃん!」

「ありがと、おむすびとお風呂と一緒に寝てくれたの、すごくうれしかったの」




とこちゃんは私に耳打ちするようにそっと教えてくれた。

まだ柔らかいふわふわのしっぽを揺らしながら。




「とこちゃんもありがとう!お花も…一緒に遊べたのも嬉しかったよ」

「えへへ…」



もじもじしていたとこちゃんは、急にビクッと身を強張らせた。

視線の先を辿ってみると…




「く、薬売りさん…」

『…………』



とこちゃんに冷たい視線をガンガン浴びせる薬売りさん。

とこちゃんは全身の毛を逆立てると、一目散にお母さんの下に走り逃げてしまった。




「大人気ないですよ…」

『……何の話です?』

「…はぁ…」



しれっとそっぽを向く薬売りさんに若干呆れていると、着物の裾をちょいちょいと引かれた。




「おい…」

「ん?ぽこくんどうしたの?」



ぽこくんはまだ涙で濡れている毛を繕いながらボソッと呟く。




「…怪我させたり…いろいろ悪かったな」

「…ううん、大変だったね。お母さん無事で良かったね!」



ぽこくんはキュッと唇を結ぶと、凛とした瞳で私を見る。




「俺、立派な狸になる。おっとうみたいな、格好いい狸になるんだ!」



そこにはもう泣いていた時の彼の顔は無くて。

頼もしいながらも、幼さが残っていて何とも微笑ましい。



「うん…!ぽこくんならなれるよ!」

「当たり前だろ!てゆーか笑うな!」

「ふふふっ、がんばってね」

「おう、お前もそこの鬼に食われないようにな!」

「鬼って……あ、あははは…」




『ちっ』と薬売りさんの舌打ちを聞く前にぽこくんはたたっと走り去った。

そうして狸の家族は何度も何度も振り返りながら、山の緑に消えていったのだった。




「…ふふっ」



可愛らしい狸の家族を思い出して頬を緩めていると、薬売りさんが訝しげに私を覗き込んだ。




『…何です、ニヤニヤして』

「だって…可愛かったなーって」

『…………』



笑って答える私とは対照的に、薬売りさんは少し物言いたげに視線を揺らす。




(…どうしたんだろう…?)



でも、薬売りさんはすぐに顔を背けるとお猪口を傾けた。



「…?」

「明日からまた忙しくなるなぁ」



私達の空気に気付いたのかそうでないのか、和尚様はまた暢気な声を上げる。



「あ、罠の撤去ですか?」

「あぁ、早速明日から里の若いのが来てくれるらしい…昔に掛けた罠だから、探すのにも時間がかかりそうだ」



お坊様は少し遠い目をして顎の無精髭を撫でた。




「……あの子狸から話は聞いたか?」

「はい、お父さんの話を…」



そうか、と呟いてお坊様は小さく笑う。

私と薬売りさんはただ黙って次の言葉を待った。




「…この辺りは天候のせいか、飢饉に近い状態になったことがあってな。里に住む人は大層困ったそうだ…またその代の庄屋が根性悪でなぁ!食べ物に困る里の住人に米を分けてやることすらしなかったそうだ」

「でも…そんなお天気じゃ山だって植物が育たなかったんですよね?」

「あぁ、それで目を付けたのが山の生き物だったらしい…昔から狸の多い山でな。この山寺にも良く悪戯狸がちょろちょろしてたもんだ!…そんな風に上手く共存していたんだが、悠長な事を言っている場合じゃない」

「さっきぽこくんが言ってました…人間は自分達を助けてくれなかったのに、今度は狸を狩り始めたって」

「うん、そうだな。人間も必死、狸も必死…生きるって事は罪深くも懸命な事なんだよ」

「罪深くも懸命……」



言葉の意味を理解できなかった私を見て、和尚様はくすりと笑う。




「まぁ、難しいよな、言葉にすると……まぁ、それからは見ての通り、山の至る所に罠を掛けたわけだ。何匹何十匹もの狸が狩られたらしい」

「…………」

「里には子供もいたし、この辺じゃ川の魚も捕れない。こうするしかなかったんだろう…しかし、そんな中、里の住人の窮地は一気に救われた」

「…どうしてですか?」

「庄屋の代替わりだよ、根性悪の親父が急病に倒れて息子が家を継いだのさ」



お坊様はポンッと膝を打って、我が事の様に嬉しそうにした。


何でも、その息子さんは蔵を解放して里の人たちに食料を分けたらしい。

しかし先代が急病に倒れたことを、里の人たちは恐れたのだと言う。




「…きっと狩られた狸が怒っているんだ、狸の呪いだ、ってな」

「そ、そんな…」

「それからは里の人々は、怖がって山にすら近寄らなくなった…仕掛けた罠はそのままで、な」




話を聞いても、私の胸はすっきりしなかった。


人間のした事は狸にとって、本当に酷い事だったのだろう。

…でも、そうでもしなければ、里で何人の人が命を落としたのか。


どちらが被害者で、どちらが加害者なんだろう。




「………」



お坊様はことりとお猪口を床に置いた。


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