ひとつめ
└十四
それから少しして薬売りさんは出かけていった。
『例え子供だろうが、くれぐれも注意するように』
そう釘を刺しながら。
「…ふぅ」
私は、薬売りさんに言いつけどおりお寺の掃除に精を出していた。
「お布団は干したでしょー…お風呂掃除は済んだし、あとは…」
独り言を零しながら、私はある部屋をちらりと見る。
日差しが中途半端に差し込んでいるせいか、妙に陰が濃い気がした。
「…お堂…かぁ」
汗を拭いながらごくりと喉が鳴る。
ここに来た日に見た、目の動く仏像が脳裏を掠めた。
結局薬売りさんには伝わらなかったけど、どうもアレは見間違いだったとは思えない。
(う、ううん!…気のせい気のせい!)
薬売りさんだって何も言ってなかったんだし。
私はぶんぶんと頭を振ると、気味の悪さを打ち消しながらお堂の障子を開けた。
すーっと障子が滑っていくと、ひんやりとした空気が迎える。
もう一度ごくりと唾を飲んで私はお堂に入った。
「失礼しまーす…」
誰もいないのは解っていても、無言のままでいるのはちょっと怖い。
「ち、ちょっと、お掃除させてくださいね…」
ぺこりと仏像に頭を下げて、雑巾で床を拭き始める。
なるべく床から視線をずらさないように、私は拭き掃除に集中した。
お堂の入り口付近を拭いている時。
「あ……」
庭先で小さな花が揺れて、ハッと外を見た。
(あれ、とこちゃんがくれたお花だ)
薄桃色の小さな花弁が風にそよぐ。
私は縁側でおむすびを頬張っていたとこちゃんを思い出して、思わずフッと笑みが零れた。
…今頃とこちゃんはどうしているだろう?
小さなとこちゃんは、小さな狸だったわけで。
私は子狸にからかわれていたんだろう。
(まぁ、それなら迷子…じゃ無かったって事だよね)
それならそれでいいのだけれど…
それなら、じゃあ何で…
"おっかぁ…"
「…………」
涙を堪えるような表情がいじらしくて。
結ばれた小さな手が悲しくて…
思い出すだけで、胸が痛む。
「…榮は…いま、四つだったっけな…」
どうしてもどうしても、姿を重ねてしまう。
でも、わかっているんだ。
私には、そんな思い出すら許されない。
「…………」
気を緩めると涙が零れそうで、キュッと唇を噛んだ。
(…泣いてる場合じゃないや)
目元をぐいっと拭って、再び床掃除に没頭しようと雑巾を絞りなおした。
その時。
「え…っ」
ふわっと仏像の方から風が吹いた気がして、反射的に顔を上げる。
しかし、次の瞬間には目の前にギラリと妖しく光るものが突きつけられた。
「……っ!」
ぴたりと私に向かっているものが、刀の切っ先だとすぐにわかった。
「おい、女」
「え……」
刀の持ち主は、少年で。
その後ろに、同じ年頃の少女と少年がもう一人いる。
睨むように私を見ている少年は刀をくいっと持ち上げた。
「あ、あのあなた達は…」
「黙れ、いいから大人しくついて来い」
「え……」
思考回路がついていかず眉を顰めると。
「……っ」
ひやりとした刀が私の首元に付けられた。
「いいから言われた通りにするんだ!」
しんっと静まり返ったお堂に、じわじわと蝉の鳴く声が響く。
"最近の結は怠慢が過ぎるんじゃないですか?"
(あぁ…薬売りさんの言うとおりだ…)
彼の言葉がぐるぐると頭の中を巡って、私は背中を一筋の汗が走るのを感じていた。
四ノ幕に続く
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