ふたりぼっち | ナノ




いつつめ
   └三十六



「…?薬売りさ…」



じゃりっ



薬売りさんの視線の意味を理解できずに呼びかけた時。

砂を踏む音がして道の先を見た。



じゃりっ


じゃりっ




まだ早朝なのに、笠を被った人がゆっくりと歩いている。

背格好からして女の人のようだ。


目深に被った笠のせいでその顔は窺えない。



(何だろう…旅の人かな…)



まだ村の人すら起きていない。

私達だってまだ薄暗い道を来たというのに。




『………』




薬売りさんはチラリと横目で見ると、何も言わずに歩き続けた。

私も少し戸惑いながらも、そのまま道を行く。


やがて、前方から来た人も私達に近くなり。

その隣を通り過ぎようとする。




「………」




何となく緊張しつつ、チラリとその顔を覗き見た。

でも、笠に隠れた顔はやはり見えることはなく。


女性は後ろで束ねた長い髪を揺らしながら、特に気にするでもなく。

そもそも、おかしな所はないのだから当然なのだけど…


覗き見ると言っても少しじっと見すぎたかもしれない。

女性は私の方に少し顔を傾けると、小さく頭を下げた。




(あ…)




笠の下から、口元だけがチラッと見える。



「……!!」



色の白い肌に、キュッと形のいい唇だけで笑みを浮かべている。

桜貝のような綺麗な唇で…


一瞬目を見開いた私にもう一度軽く頭を下げると、彼女は颯爽と夜明け間近の道を進んで行った。




「く、薬売りさん今の…!」

『…ふっ』



無関心だと思っていた薬売りさんは、ニヤリと笑う。

彼も気づいただろうか。



村の外に続く道は、海沿いのこの道をやや行って左に曲がる。

あの女の人が歩いて来たのは、右側から…


確か人魚岩の方だ。



「桜貝のような形のいい唇で…」



昔の出来事を語っていたヒサさんの言葉。

そして、あの暗闇のような海から伸びてきた二本の腕。




「なんで…八重姉ちゃん…!」




「…!」



意図的に思い出さないようにしていたあの光景が脳裏に浮かぶ。

思わずぞわっと全身が粟立った。



(きっとそうだ…あの人は…)


『…やめときなさい』



そっと振り返ろうとした私を、薬売りさんが制する。

落ち着かないまま彼を見ると、そのままぽんぽんっと私の頭を撫でた。



『知った所でどうにもならないでしょう、そうやって生きていく人々なんですよ』

「そう、ですけど…」

『それに、さっき結は人魚が怖いと言いましたけど…』



歩みを止めないまま薬売りさんが続ける。



『この村では、昨日まで一緒に生活していた隣人がある日突然いなくなる…そして今度は全く知らない女が来るんです』

「………」

『そしてまた何食わぬ顔で一緒に生活する…それが"人魚"であると理解していても、普通はなかなか受け止めきれないでしょう。中には女将のように人魚とわかりつつ、仲良くしていた人もいたでしょうに』




もう何度目かの寒気が背中を走った。


そしてこの村に来てから何度目だろう?

私はまた、いろんなモヤモヤが、ストンと腑に落ちる感覚を思い出していた。




『一緒に暮らしてた誰が居なくなっても気にも掛けず、知らない誰かが生活に紛れ込んでも"そういうものだ"と、考えることもしない…究極の無関心ですよ、これは。これでも一番恐ろしいのは人魚の方なんですかね?』



薬売りさんは私を見ながらクスッと笑った。

たぶん私は青い顔をしていたのだろう。


だって実際、ぞわぞわしたモノが爪先から這い上がってきて、今すぐにでもあの曲がり角まで走りたいくらいだ。


この村に来てからずっと感じてた違和感。




偏った年齢層


少ない子供


顔立ちの違う村人



"人魚は守り神"と、まるで自分に言い聞かせるかのような言い伝え…






『本当に怖いのは、人間ですよ』




ああ、そうだ。


私は、この村の人達が…この村自体が怖いんだ。





ひぃぃあああああ…




人魚岩の風音がやたらと近く聞こえる。

もうすぐにこの村の外に続く曲がり角だ。



きっとあと半刻もすればこの村は動き始める。

もしかしたら渚ちゃんと和生さんの嬉しい声が聞こえてくるかもしれない。




「…早く行きましょう」

『………』




でも、きっとそんな家族の姿を見ても、私は「良かった」なんて言えない。


変な歩き方をしているのか、草履に小さな砂利が挟まる。

それでも私は一直線に前を見て早歩きで進んだ。


薬売りさんの高下駄は暢気にカラコロと音を立てて。

段々と遠ざかる人魚岩の風音を掻き消しているようで、少しだけホッとした。




(薬売りさんの言う通りだな…)



人間とモノノ怪の棲み分け。

彼の言葉の意味を改めて理解する。




やっと着いた曲がり角。

チラッと見た海は、夜の出来事なんて嘘だったかのように朝日を浴びてキラキラしていた。


― いつつめ・了 ―


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