ふたりぼっち | ナノ




いつつめ
   └三十四



「……後は、さっきなっちゃんが言っていた通り…まんじりともしないまま迎えた朝に、彼女は現れた」



語るヒサさんの顔を、風に揺れた提灯が照らす。

物憂げに伏せられた瞳が、当時の心労を窺わせた。




「もっとも…なっちゃん…奈津子さんがあんな風に八重ちゃんを陥れただなんて、私も今知ったけど…」



"陥れた"


この言葉が全てを物語っているような気がした。


ヒサさんにとっては、表面上普通にしていても、奈津子さんは仇なのだ。

もしかしたら、世話役という因果そのものなのかもしれない。




(…救われた気がしたって言ってたな)



一部の村の人には恨まれ、人魚は我が物顔でどんどん村に上がってくる。

船頭の家系とは言え、自分の人生も選べないままに自ら板挟みになるのだ。


きっと誰にも言えない苦しさがあっただろう。



そんな中、惹かれあう二人はどんなに眩しく見えただろうか。



もしかしたら、憧れに近いものもあったかもしれない。

諦めながらも、心の奥に二人のような出会いに憧れていたのかも…


それだけじゃない。

八重さんを、自分の子供のように思っていたんじゃないだろうか。



ヒサさんが手にすることを許されなかった幸せを形にしたら、きっとあの二人になるんだろう。




(…なんか…悲しいな…)




言いようのない胸の痛さに俯いていると、ヒサさんがぽつりと呟いた。




「…あなた方のような他の土地の人には、私達は滑稽に見えるでしょうね」

「………」

『…そうですね』

「く、薬売りさん!?」



薬売りさんはしれっと答えると、つまらなそうに欠伸をする。



『人間とモノノ怪の類はね、ちゃんと棲み分けするべきなんですよ』

「………」

『棲み分けとまではいかなくても、線引きして均衡を保つべきです』

「棲み分け…」

『ええ、人間が丘に生き、人魚が海で生きるように…ね』



彼の言葉にヒサさんはキュッと唇を噛んだ。


薬売りさんの言葉は一見冷たい。

でもきっと彼にしか言えない言葉なのだ。


モノノ怪をあるべき場所に還す、彼にしか。




『均衡を破る事を決めたのはあなた達でしょう?愛し合う二人とか食べ物に困らないとか・・今更なんの言い訳になるんです?』

「………」

『…まぁあなたに言ったところでどうしようもないんでしょうがね』

「…ふっ、ふふふ」

「!?」




睨み付けるような薬売りさんの視線を浴びながら、ヒサさんは突然笑い出す。

でもその表情は泣いているようにも見えた。



「…薬売りさんの言う通りですね、本当馬鹿みたいだわ…」

「ヒサさん…」

「例え魚の捕れない日があろうと、海で危ない目に遭おうと…私達は普通に生きていくべきでした」

「でもヒサさんが決めた事じゃないじゃないですか…」



私の言葉に彼女は小さく首を振る。




「この契約を受け入れた時点で、私達は人間の誇りを人魚に受け渡した…それに気づかない振りをしながら続けてきたのだから、私も罪は一緒なんですよ」




ひぃぃあああああ…




人魚岩の風音と波の音が響き渡る。

ヒサさんは海を見つめながら自嘲気味に笑った。


ああ、この人は今涙を流しているんだな、そう思うと私にはもう掛ける言葉は見つからなかった。


それが後悔なのか悲しみなのか、それとも別のものなのかわからない。



でも、小さな声で「それでも私達は明日も魚を食べ、男達が無事に帰ってくる事を喜ぶんですよ」と呟いた。


…たぶん、この言葉が全てで、それ以上でもそれ以下でもない。

そんな印象を受けた。



薬売りさんが何度目かの溜息のような欠伸をした時。




「…そろそろ夜が明けますね」



ヒサさんが海を見つめながら言う。

真っ暗な闇のようだった海の向こう側がじんわりと明るくなり始めていた。




「もう少ししたら村のみんなが起き始めます…あなた達は…」

『このまま出ますよ』

「…そうですか、その方がいいかもしれないですね」



目元をササっと拭いながらヒサさんが振り返った。

そして私を見て少し困ったように笑う。



「この村でも、豊かな暮らしを売りに外からお嫁さんを貰うようにしてだいぶ子供が増えたけど…」

「あ…さちさんとかですね?」

「ええ、でもそれでもまだまだ足りなくてね…もしかしたらあなたを引き留める不埒者が出るかもしれない」

「え!?それはさすがに………えっと…」




"あり得ない"とは言い切れないような気がした。


出会った頃のさちさんは、何かに怯えているような素振りだった。

彼女はこの村では貴重な"外から貰ったお嫁さん"だ。


きっと初めての日に見た数人の子供も、そういう人達が産んだ子達だろう。


でも、やっぱりヒサさんの言う通り圧倒的に少ない。

この村の女の人と人魚の比率はすでに逆転しているのだろうから…




(…さちさんは、私に話した事以上の約束をさせられてたのかも)



この村の掟を疑問に思いながら、ここで生きていくしかない…


それって本当に幸せなのだろうか。

例えお腹がいっぱいになっても、本当に満足なんだろうか。


いつか、疑問も恐怖も受け入れた時、さちさんはこの村のみんなと同じように張り付けた笑顔を浮かべるのだろうか。





『…結』

「あ…はい」

『では、ちゃんとした御礼も言えずにすみませんが…』



薬売りさんは淡々とヒサさんに告げると、彼女も黙って頷く。

私も二人の言葉を受けて頭を下げた。



『…それでは世話になりました』

「ありがとうございました…あの、さちさんに宜しくお伝えください。渚ちゃんにも…」

「ええ…いろいろとお気遣いありがとうございます」



ヒサさんの言葉は、どこか私達から一線引いた感じがした。

もうこの村の事を探られたり、意見されるのが嫌なのだろう。


にこやかな笑顔の中に、ほんのりと漂う拒絶。


私はもう何も言えないまま、もう一度頭を下げた。



『結、行きますよ』

「あ、はい!」

『ああ、そうそう。美味しい魚、ごちそうさまでした』



薬売りさんはニヤリと笑うと、そのまま私の手を引いて船頭さんの家へ足を進める。




「もう!薬売りさん、そんな嫌味みたいに…!」

『嫌味?事実じゃないですか』



つーんっとそっぽを向く薬売りさんにハラハラしながら、ちらっとヒサさんを振り返る。

小声で交わす会話に気づいたのか気づいてないのか…


ヒサさんは変わらぬ笑顔で、私達を見送っていた。


段々と明るくなる空と海、そして人魚岩の風音を纏いながら。


34/37

[*前] [次#]

[目次]
[しおりを挟む]




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -