ふたりぼっち | ナノ




いつつめ
   └二十九



― 終幕 ―

「…ヒサさんは、奈津子さんが来た時から知ってるんですよね?」

「ええ…八重ちゃんももちろん知ってますよ」



ヒサさんは私達の方へ歩いて来ると、海の闇を見つめながら話を続ける。



「…こんな契約を…こんな馬鹿げた事を始めたのは他でもない。私の先祖なんですよ」



――……


嵐が過ぎ去った後、岩場に打ち上げられた人魚を助けた…

伝説の通りだったら、どんなにいい話だったか。



打ち上げられた人魚を助けた漁師…そう聞けばただの美談だったのだけれど。


助けた人魚があまりに美しすぎた。

ご多分に漏れずその魅力に参ってしまった漁師は、あろう事か人魚を娶ろうと考えた。


家には妻と小さな子供達が待っているのに。


しかし妖艶な人魚には、そんな漁師の下心は容易く見抜かれてしまい。



「人間、契約を交わさないか」

「け、契約…?」

「何、簡単な事だ…私達人魚に子種をくれればいい。そうすれば、未来永劫、この村で大漁旗を掲げられるようにしよう」

「子種って、つまり…!?」

「人間は好きなだけ美しい女を抱けて、しかも生活も潤う。私達は種族を守れる…悪い話ではないだろう?」




そう言って笑う人魚は、助けてもらったなんて感謝は微塵も無く。

嫌に慇懃無礼に思えるけれど、きっと漁師が彼女に見蕩れていることを十二分に理解してたのだろう。


艶やかでそれでいて幼気で…

そんな人魚の上からの言い分を、漁師は二つ返事で飲んでしまった。





「…そうして今でもそれが続いているのです」


ヒサさんは悲しげに言った。



「馬鹿げているでしょう?でも実際にその日以来この村はとても裕福になったんですよ」

「で、でも…村の女の人が…」

「ええ、件の漁師の妻を始め、とても嫌がってたそうです。それでも食うに困らない日々には勝てなかった…」



…なんだか釈然としない。


漁が盛んになれば、生活だって潤うだろう。

でもそれと引き換えに、女の人が蔑ろにされている気がする。



「幸い、漁師にはすでに跡継ぎである息子いたので、まだ幼い彼に必ず人間と夫婦になるように漁師の妻が言い聞かせたそうです。もちろん我が家だけでなく村人にも、一家に男児が一人だったら人魚とは関係を持たないように、と」

「…そうしないと村が絶えてしまうから…?」

「ええ…当時まだ若かった漁師は人魚と…息子の代になってからは次男が。そうして私の家の人間は今でも人魚と関わり続けているんです。今は父の弟に当たる叔父と、私の次兄が…」



(ああ、って事は船頭さんは一番上のお兄さんなんだ……ん?)



ヒサさんの叔父さん…

お父さんの弟とは言え、だいぶ年齢が…?



私の表情が変わったのが伝わったのか、ヒサさんはクスッと笑った。



「"人魚の肉を食べると不老不死になる"なんて、聞いたことないかしら」

「あ…そう言えば本に書いてあったような…」

『…あぁ、なるほど』



納得したように小さく頷く薬売りさんを、ぽかんと見てしまった。



『肉を食らう、というのはもしかしたら比喩なのかもしれないですね』

「ああ、それはあるかも知れませんね」

「え、えっと…?」



更にぽかんとする私に、薬売りさんがフッと笑う。




『…要するに、人魚と交われば同じ効果を得られるってことですよ』

「ま、まじわ…っ!?」

『人魚を狩って食うより説得力ありますよね』



目を白黒させる私を見て、薬売りさんは楽しそうにニヤリと口角を上げた。




(あ…でもそうするとこの村の年齢層の謎がわかった気がする)



人魚と交わった人は、普通の人に比べたら老いていく速度がゆっくりで…

同じ年齢ながら見た目は若いのならば、外者の私達から見て中間層が少ないという感想になるかも知れない。


それなりに高齢に見えたり、中年に見える人は人魚との関わりを持たなかったという事か。




「…そんな状況だから村人の、特に女達の不満は募るばかりで。次々に丘に上がってくる人魚を見て、早々に村を出てしまった人もいたそうです」

『まぁ…次々に妖艶な女が現れたら平凡な女性は居た堪れないですよね』

「く、薬売りさん!」

「ふふっ、彼の言う通りですよ。彼女達は同性から見てもとても美しく…魅力的だったそうです。最初は独り身の者を、と思っていたそうですが中には不埒な男もいて…私の祖先のように妻子がある身でありながら、人魚に入れ込む者も出てきたそうです」

「………」




ふと、奈津子さんの事を思い出した。


確かにあの美しさは、私ですら吸い込まれそうなものがある。

村を出て行った女性もきっと同じように感じただろう。


ヒサさんの言う通り、家に妻子を残して人魚を受け入れた人もいるかもしれない。

もしかしたら、人魚と結ばれた人の中に想い人がいたかもしれない…


想像しただけで胸が痛くなる話だ。




「やがて女達の怒りは、人魚とそんな契約を結んだ我が家に向かうようになりました…もう何人かの女が村を出て行った後だったものだから、祖先はある約束をしたそうです」



そう言うとヒサさんは少し困ったように笑った。



「我が家から必ず世話役を出す、と」

「世話役?…って何の?」

「人魚ですよ。人魚と村の人間が円満に生活できるように間に立つんです」

『…なるほど、人魚のお目付け役、という事ですか』

「そう言ってしまうと…いえ、でもその言い方が正しいですね。私達は丘に上がった人魚達が人間の生活に馴染めるように、人間の女達と同じように過ごせるように…間違っても所帯持ちの男と関係を持たないように。世話役という名の監視役です」




提灯の灯りに浮かぶ彼女の顔が、とても疲れているように見える。


ヒサさんの前は彼女の母親…もしくは女性の親族がやっていたのだろうか?

きっと窺い知れない苦労があったのだろう。


それを物語っている表情だ。



「世話役になったら、この村の中で夫婦になるか…もしくはこの村でずっとその役目を全うするか。幼い頃からそう言い聞かされてましたから、私も当然その役を引き受けました」



ヒサさんが前者なのかそれとも後者なのか。

それを問うには酷く意地悪な気がして、私はきゅっと口を噤んだ。



『誰かが不幸になることで溜飲を下げる…何とも悪癖ですね』



薬売りさんは白けたように首を鳴らす。

ヒサさんは困ったように笑いながら続けた。



「でも村が栄えるにつれて聞きつけた外の人が移り住んでくる事もあって、悪い事ばかりではないんですよ?そうすれば外からのお嫁さんだって貰いやすくなるし」

『この村の風習を伝えるのもあなたの役目ですか』

「ええ…理解してもらうまで大変ですけれども」




ひぃぃあああああ……



人魚岩の風音が提灯を揺らす。

朧気で不安定な光は、胸のもやもやを加速させた。




「……やめようとは思わなかったんですか?」



思わず零した言葉にヒサさんがビクッと反応した。



「そんな苦労までして、辛い思いを他の辛い事で上塗りして…誰もやめようとは言わなかったんですか?」

「………」

「人魚と契約する前も、食べて行くには困らなかったんですよね?それなら…」

「やめられなかったんですよ」

「……っ」



少し食い気味にヒサさんが答える。



「…海に生活する者しかわからないかも知れないですが…海に出て、たくさんの魚を捕ってきて子供達にお腹一杯食べさせられて。そして何よりも漁に出た男達が怪我ひとつなく無事に帰ってくる…それが待つ女達にとってどんなに幸せなことか…」

「………」

「それに…不幸な者ばかりではなかった…」

「……八重さんですか?」



ヒサさんは寂しそうに小さく頷いた。



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