いつつめ
└十九
さちさんはぎゅうっと洗濯物を握り締めて俯いた。
戸惑いと後ろめたさの混じったような表情が、見ていて痛々しい。
「…結さん達は旅の途中なのよね?」
「え、ええ」
「じゃあ…忘れてね、私の話。きっと忘れてね」
「きっとよ」と念押ししてさちさんは私を見る。
縋るような視線に無言のまま頷くと、彼女はぽつりぽつりと話し出した。
「私がこの村に嫁いできたとき、最初に説明されたの」
―――……
この村には"二種類"の人がいる。
でも決して驚かないで欲しい。
それがこの村の掟だから。
きっとあなたもすぐに慣れる。
それは当たり前のように行われて、当たり前のように過ぎていく"日常"なのだから。
「…最初は何を言われているのか全くわからなくて」
静まり返った川原に、ただ和流の音が響く。
私は黙ったまま彼女の次の言葉を待った。
「でも、この村の"歴史"を聞いたの」
「歴史…?それって人魚が関係してる、とか?」
さちさんは小さく頷いた。
それとほぼ同時に、ゾクッと背筋が寒くなる。
「…前に人魚はこの村の守り神、って聞いたでしょう?」
「はい…あの、台風の過ぎた日に…って昔話のですよね」
「うん…あの話、本当は違うみたい」
「え…」
「説明された日に聞いたのよ」
そう言いながら、さちさんは自分の体を抱きしめるようにした。
「まるで人魚の恩返しのように言われてるけど、本当は人魚との契約なんだって」
"お礼に、この村が漁で潤うように…漁がいつでも上手くいくように海の中からお手伝いしましょう"
(確かに…)
助けてもらったお礼に、人魚が村人と交わした約束。
そう、約束だ。
人魚から村人への恩返し。
でも、どうしてだろうか。
"契約"となると、そんな微笑ましい事じゃないように聞こえてしまう。
「あの話の通り、人魚はこの村が食べるに困らない十分な量の魚を捕らせてくれる」
「そうですよね」
「でも結さん、よく考えてみて」
「え?」
「いくら助けてもらったお礼だからって、未来永劫、この村に恩を返し続けるなんてことある?」
…妙にさちさんの話に納得してしまった。
子供の頃に聞いた童話にもあった気がする。
恩返しに貧しい家に富をもたらしたり、幸せになれるようにお手伝いしたり…
それが続くのは、恩返しされる側が人が良かったり思慮深い人だったりするのがお決まりだ。
(あぁ、でも私がそういう話だけしか知らないだけかも…)
こんがらがりそうな頭を抱えそうになっていると、さちさんが続けた。
「本当はね、あの時人魚も条件を出しているんだって」
「え…」
さちさんは私の顔を見つめる。
「漁が上手くいくように手伝う代わりに、子種を寄越せ…って」
「…っ」
何度目かの冷たい汗が背中を走った気がした。
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