いつつめ
└十七
― 四ノ幕 ―
ざざー…ん
ざぁーー……ん
「………」
波の音がうるさい。
ひぃぃぁああああ……
それに加えて人魚岩の風音だ。
考えを纏めようにも、どうにも上手くいかない。
きっとそれは、私の手の震えのせいもあって…
(…奈津子さんの表情…真顔っていうか不愉快そうにも見えた)
あのニコニコと笑う顔との温度差がすごい。
いや、あの笑顔もそれはそれで怖いものがあるんだけど。
普通に考えて、私が何か気に障ることを言ったんだろう。
渚ちゃんに言われた事について…?
お母さんが人魚だなんて、あまりいい気分はしないはず。
でもここだったらどうだろうか。
人魚を守り神と崇めている、この漁村では。
『結?』
「っ!薬売りさん!」
振り返った私は余程おかしな顔をしていたのだろうか。
薬売りさんは訝しげに眉を寄せた。
『…どうしたんです、そんな顔して』
「いえ…今、渚ちゃんと渚ちゃんの家族に会って」
『あぁ…それで?』
「………」
私は天秤さんを握り締めながら、今あった出来事を話し。
薬売りさんにも、自分の言った事が変かどうか訪ねてみた。
『…まぁ、普通に世間話程度の会話ですね』
「そう、ですよね…」
『子供の突拍子もない話なんて、笑って終わりでしょう』
ああ、ますますわからなくなってきてしまった。
何だろう、このモヤモヤした感じ。
少しずつ気づいてしまった違和感と、自分の見ている事が上手く合致しなくて。
魚の骨が喉に引っかかったような…
ちりん
「あ…ごめん天秤さん」
ついつい手に力が篭ってしまって、天秤さんの鈴が揺れる。
そんな私に気づいた薬売りさんが、ぽん、と私の頭を撫でた。
そして力んだ手にそっと触れ、解いていく。
『…さて、朝のお散歩でも行きましょうか』
「え、お散歩?」
『このままあの離れに戻っても、気が滅入るだけでしょう?それにこの風音から少しでも距離を取った方が、結には良さそうです』
「…はい、私もそう思います…」
薬売りさんは軽く私の頬を抓むと、手を取って歩き出した。
手を引かれるまま村を歩いていく。
海に出ていた人はこれからが朝餉の準備なのだろうか。
各家の窓から煙が上がっていく。
人々の戻った家は、さっきの海辺の賑わいをそのまま持ってきたようだった。
「母ちゃんご飯まだー!?」
「父ちゃん父ちゃん!今日はどんなお魚がいたの?」
「はいはい!ほら手伝って!」
聞こえてくるのは、長閑な会話。
どこからどう見ても普通だ。
(…やっぱり考え過ぎかな)
そうは思っても、顔はまだ強ばったままで。
薬売りさんはキュッと手を握り直したあと、のんびりとした口調で話し出した。
『そう言えば、あの年配の女性…ヒサさんと言ったか…』
「あ、人魚に詳しい?」
『ええ、彼女、船頭さんの姉らしいですよ』
「そうだったんですか!?」
そう言われてみれば、台所仕事をしていた時、慣れた様子だった気がする。
だからみんなヒサさんの指示に従っていたのか。
あの離れは船頭さんの家の持ち物なのだから、家主に従うのは当然だ。
『村一番の古株のようですね』
「どうりで色々詳しい訳ですね」
『あの家は船頭であり村長的な立場って事です』
「へぇ…誰もそんな事言ってなかったなぁ」
薬売りさんもその辺が引っ掛かるのか首を傾げながら、溜め息に近い息を零した。
そしてコキコキと首を鳴らすと、ふと私の方を見る。
『…何だか釈然としませんが…早めに発ちましょうか』
「あ…」
一瞬、言葉に詰まってしまった。
確かにこの村はモヤモヤする。
不確かな事が心に残っているのは気持ちの悪いものだ。
でも、今のままでは憶測に憶測を重ねるだけで…
それに村の人にぞんざいな扱いを受けた訳ではない。
これ以上詮索するのは、ただのわがままなのかも知れない。
でも…
「あ、の…私、渚ちゃんが気になって…」
『………』
俯いたまま答えた私を、薬売りさんは黙って見ていた。
(う…そうだよね、これじゃ私が変に固執してるみたい)
本当、どうしてこんなに気になるんだろう。
自分でも不思議なくらい渚ちゃんが…いや、あの家族が気になる。
やっぱり私は自分で思う以上に、こういう類のものに興味があるのか…
「薬売りさん、あの…」
「ああ!薬売りさん!さっきはどうもー!」
「!」
顔を上げた私の言葉を遮って、元気な声が割って入る。
再び言葉が喉の奥に引っ込んでしまった。
薬売りさんは声の主を見て、ニコリと営業用の笑顔を浮かべる。
『ああ、これはこれは』
家の入口から顔を覗かせていたのは元気の良さそうなおばさん。
彼女は私達をまじまじと見てからかう様に笑った。
「あら、朝からお手々つないで散歩だなんて仲良いわねー!」
「え、あ!いや…!」
『"いや"?』
「う…いえ何でも…」
ピクリ、と動いた薬売りさんの眉に、思わず目を逸らして口を噤む。
そんな私を見て、おばさんはまたカラカラと笑った。
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