ふたりぼっち | ナノ




ひとつめ
   └十



静かな部屋にとこちゃんの寝息だけが響いていた。



(…薬売りさん、怒ってるかな)



遠ざかる足音を聞きながら、私はごろんととこちゃんの横に寝転がる。

私の手を握りながらとこちゃんはあどけない表情を見せていた。


柔らかそうな髪を撫でようと空いた手を伸ばそうとした時。




「…おっかぁ……」

「……っ!」



小さく呟いたとこちゃんの目尻に涙の雫が光る。



「………っ」



私は咄嗟に彼の小さな体をギュウッと抱きしめていた。


鼻を掠める幼子の匂いが、頬を撫でる毛先が…

私の胸の奥を締め付ける。




「………榮……っ」




さっきまで明るかった障子の向こうはもう濃紺の空で。

私は腕の中で寝息を立てる小さな温もりを、離さない様にずっと抱きしめ続けた。



――………

暗くなった部屋をそっと覗きこむ。

小さな影が月明かりに照らされている。




『……結?』




そっと呼びかけるも、返事はなく。

薬売りは溜息を付きながら部屋に入ると、結に当たらないように行燈に火を灯した。


ひとつ増えた寝息を窺えば、互いの手を握って寄り添い眠る結とあの子供…




『…………』



若干、面白くないと眉を顰めた薬売りは溜息をもうひとつ。

そして指先を伸ばして結の頬をするっと撫でた。


滑らかな肌に涙の跡を確認すると、薬売りはひどく痛そうに眉間に皺を刻む。





『……結…』



結がこの子供に幼い弟の姿を重ねているのは薄々気付いていた。

それが追憶なのか、哀憐なのか、罪悪なのか……


理由を聞くにはあまりに酷な気がして。

俯いた彼女の瞳を覗くのは傷つける気がして。




『……結』



こうしてその名前を呼ぶ事しかできない。

そんな自分が歯痒くて、少し苛々する。




(…らしくもない)



薬売りは自嘲気味に笑った。




『……ん?』



と、ここではたとあることに気付く。




(……今夜はどこで眠れば…?)



結とふたりきりになってから、夜はこの手にあの体を抱きしめて寝ていた。

指の間をするすると抜けていく結の髪の感触は、何とも言えず心地いい。


そうすると睡眠時間は短いものの、深く質のいい眠りに落ちることが出来た。


…何よりも扇屋の時のようにもう衝立などいらないのに、離れて眠る理由が無い。

そもそも自分の腕に大事なものを閉じ込めておく事に何ら理由が必要だろうか。




『…………』



さて、どうしたものか。

いっそこの子供を放り投げてしまおうか。


いや、そんな事をしたらそれこそ結にどんな顔をされるかわからない。





(結の背中側から…?)



何故自分が畳にはみ出て眠らなくてはいけないのか。


ただでさえ自分の居ぬ間に上がりこんだ知らない輩。

あまつさえ風呂まで一緒に入っているのだから容赦の仕様がない。


子供とは言え、男は男ではないか。





『………ちっ』



薬売りは苦々しげに舌打ちすると、ふたりの顔を睨む。


そんな彼の大人気ない葛藤を知ってかしらずか…

暢気な寝顔を見て、薬売りはがっくりと肩を落とすのだった。



薬売りは再び小さく舌打ちすると、不本意ながらもう一組の布団を乱暴に敷く。

寝転がるとせんべい布団が妙に広く感じて、また眉間に深い皺を刻んだ。


そして天井を眺めながらぼんやりと考える。




(……そう言えばまだ言ってなかったな)




ちらりと視線だけで隣を見た。




(まぁ…害もなさそうだしいいか)



つまらなそうに溜息を吐いて目を閉じる。




『…………眠れない…』




…夜は長そうだ。

三ノ幕に続く

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