ひとつめ
└八
「とこちゃん、一人で平気?」
「うん!」
そう言って裸ん坊になったとこちゃんは風呂桶に向かった。
…のだけど。
「あぶぶぶ」
「きゃー!とこちゃん!!」
とこちゃんは早速湯船で溺れていた。
私は慌てて彼を抱き上げると、とこちゃんは半泣きで私にしがみつく。
「ごめんね、一人じゃまだ無理だよね」
「けほっけほっ」
「うーん、じゃあ一緒に入っちゃおうか!」
とこちゃんと同じくびしょ濡れになった着物を見て、私は何だか可笑しくなってしまって。
それにつられてとこちゃんも泣き笑いした。
「♪♪♪〜」
私に抱っこされながら、とこちゃんは上機嫌。
ホカホカと立ち上る湯気の中で、楽しそうにお湯をぱちゃぱちゃと弄んでいる。
「とこちゃん、お歌上手だね」
「えへへ」
褒められて嬉しかったのか、とこちゃんは振り返ってにこっと笑った。
(それにしても…)
この子は一体どこから来たのだろう?
迷子だとしても、この辺りに家なんてあっただろうか?
(…薬売りさん、怒るかな…)
我ながら危機感がないと思う。
小さな子供とは言え、見ず知らずの人とこうしてお風呂まで入っているのだから…
でも。
どうしても重ねてしまうのだ。
「…………」
"ねぇね!"
小さな紅葉のような手。
屈託のない笑顔。
(榮……)
いつも心に引っ掛かっている。
あの子は今どうしているだろう?
でも、そんな事を考えることが偽善のような気がして。
あの小さな手から両親を奪ったのは、私自身だ。
「………っ」
自分の過去を思い出して、思わず身震いした。
気付かない内に小さな温もりを、縋るように抱きしめていたらしい。
とこちゃんが不思議そうに私を見ていた。
「あ…あはは、ぼーっとしちゃった!そろそろ出よ………っ」
不意にとこちゃんが手を伸ばしたかと思うと、そっと私の頭を撫でていく。
小さな手で、たどたどしく。
「…いいこ、いいこね」
「とこちゃん…」
「おっかぁがね、いつもしてくれるの。いいこねって」
とこちゃんはちょっと淋しそうに笑うと、そのまま私の首に抱きついた。
泣くのを我慢しているのだろうか。
小さくて柔らかな背中がちょっとだけ震えている。
「…優しいのね、とこちゃん」
「…………」
ぽんぽんっと、とこちゃんの背中を撫でると、彼はもう一度キュッと腕に力を込めた。
(…こんな風にいじけてたって仕方ないよね)
私は、本当はまだじくじくと疼く胸を誤魔化すようにフッと息を吐く。
「…さっ、とこちゃんそろそろあがろ…」
努めて明るい声でとこちゃんを覗き込めば。
「…………」
「とこちゃん?」
「………きゅう…」
「ええぇぇえ!?」
とこちゃんは真っ赤な顔をして目を回していた。
「え!まさか逆上せ…」
『まさかも何もまさしく逆上せてるんですよ』
「ですよね!?ど、どうしよう!!」
私はクテッとしてるとこちゃんを抱き上げると、勢い良く湯船から立ち上がった。
……ん?
今、薬売りさんの声が?
「…………」
そっと視線を戸口に向けてみると、視界の端に揺れる青い着物。
そのままそろりと視線を上げれば。
「………っ」
『…………ただいま』
「お、おかえりなさい…?」
『ずいぶん楽しそうですね』
薬売りさんは冷めた表情で、じーっと私達を見ている。
(…見ている?)
「きゃあああああ!!!!」
『うるさい』
「な、なんで、ちょ、出てってくださ…うわぁぁああ!!!」
ようやく状況を理解した私は、一気に頭の先まで熱が上がってその場にしゃがみこんだ。
だって私はお風呂上りで、もちろん何にも着てないわけで…
(い、いつ帰ってきたんだろう!?ていうかなんでお風呂直行なの!?)
『……潰れてますけど』
「何がですか!早く出てってください!」
「………きゅう…」
「あぁ!!とこちゃん!!」
しゃがみこんだ私の胸元で、目を回したとこちゃんが押し潰されていた。
私は慌ててとこちゃんを抱き直す。
そんな私達を薬売りさんはたいそう苛立ったように見ると、ふいっと風呂場から出て行った。
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