ふたりぼっち | ナノ




よっつめ
   └三十三



外へ出ると、まだ少し風は残っていて。

雨上がり特有の湿った空気がより冷たく感じた。


まだ日も上がらないのに、桜のそばに小さな人だかりができている。

声を潜めながらも、皆、怪訝な顔をしながら話をしていた。



「怖いな、狂い咲きか?」

「くわばらくわばら…」



ただでさえ町の人は気味悪がって近付かなかった桜だ。

こんな時期に咲いた桜を、綺麗だなんて思えないのも当然なのかもしれない。


私と薬売りさんは、人を掻き分けるように桜へ足を進めた。



「しかし、こんな風に倒れているのに一切音はしなかったよなぁ」

「あぁ、それに…やっぱり屍桜って本当だったんだな」


(えっ?)


聞こえてきたひそひそ話に思わず足を止めたとき。



「縄持って来たぞ!ほら、どいたどいた!」

「番屋にも声掛けてきたから!ほら下がって!」



数人の男の人が桜の方へバタバタと掛けていった。

嫌な胸騒ぎを覚えながらその様子を見ていると、今度は肩を叩かれる。



「お客さん!」

「あ、女将さん…!」

「全く驚きましたね…まさかあの人がこんな事になるなんて…」

「え…あ、あの人って…」



ザァッと鳥肌が足元から上ってくる。

私は女将さんの答えを待たないまま、川の方へ走った。



「お客さん!危ないですよ!」

『結!』



二人の声が背後で聞こえた気がしたけれど。

自分の心臓の音がうるさくて、耳には届かない。



走り出した勢いのまま、橋の欄干に身を乗り出す。

激しい音を轟かせながらも、川面には桜の花弁が一面に広がっていた。




「―――美津さん!!!」



薄紅の波の合間。

ゆらゆらと鶯色の着物が揺れている。



「美津さん!美津さん!!」



まるで桜の花弁は彼女を包む絹の着物のようで。

川の中に倒れこんだ枝が美津さんの体を、激しい流れから守っているようで。



「美………っ」



美津さんの表情は、なぜか幸せそうで…




『…結』

「…う…っ」



身を乗り出す私を抱え込むように薬売りさんが、欄干から遠ざけた。

尋常じゃない私の様子に、近くに居たおじさんが声を掛ける。



「嬢ちゃん、知り合いかい?この人も可哀想になぁ…」

「かわい…そう…?」



私はボロボロと零れる涙を拭えないまま、おじさんの顔を見た。

おじさんは少し面食らったように続ける。



「そりゃ…天気のせいとは言え、土左衛門だなんて…」



するとおじさんの言葉を聞いた若い男の人達が話に入ってきた。



「やっぱり屍桜の噂は本当だったんだよ!」

「ああ!あの婆さんはこの桜の犠牲になったんだ、証拠に見ろよ!この恐ろしいほどの狂い咲き…!」



私は彼等の会話に呆然としながら周りを見た。

さっきより集まってきた野次馬が好き好きに噂をする。




あぁ恐ろしい


やっぱりこの桜は呪われていたんだ

人が死んで狂い咲くだなんて


早く伐ってしまえば良かったのに


亡くなった方もお気の毒にねぇ…




思わず耳を塞ぎたくなる言葉に、私は小さく首を横に振った。



「ちが…違います…」

『結…?』

「薬売りさ…違う…っひっく…違…っ」



しゃくり上げながら首を振る私を、薬売りさんの手が宥めるように抱き締める。

私は薬売りさんの着物をぎゅうっと握った。



「…私、目が覚める前に聞いたんです…っ夢かもしれないけど…」






――朔!よかった、やっと逢えた…!



――そなたの元気な姿が見られて、我はそれだけで…





――美津!いけない!


――危ない!美津…!!





たぶん、これは夢じゃない。

私は二人の会話を聞いたんだと思う。



確かに朔さんは、美津さんを取り込もうとした。


でもそれは美津さんを思うからこそで。

再会した時に、同じように取り込もうとはしなかったはずだ。



きっと美津さんは、昨日の風雨で桜の木が倒れてしまうのではと心配だったのだ。

ましてやもう伐られることが決まっている…


せめてその日までは朔さんの桜のそばにいたい。


だから、あの悪天候の中、夜明け近くにこの場所へ来たのだろう。


きっとあの雨じゃ川べりはぬかるんでいた。



そして……




「朔…っ朔さんは、美津さんを…ひぃっ、ぐすっ」

『…………』



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